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映画『1987、ある闘いの真実』 チャン・ジュナン監督

 韓国の大統領・尹錫悦(ユン・ソンニョル)が「非常戒厳」を宣言してクーデターをくわだてたものの、わずか6時間で失敗して、逆に国会では弾劾訴追案が提出され、警察からは内乱罪で刑事捜査の対象とされる身となった。半世紀以上の民主化闘争をたたかってきた韓国民衆運動の強さが示されたといえるが、そのなかで民主化闘争の歴史を今に伝える韓国の映画が話題になっている。

 

 1980年の光州事件を描いた『タクシー運転手 約束は海を越えて』は、2017年に公開され、日本でも各地で上映された。翌2018年に公開された『1987、ある闘いの真実』とともに、朴槿恵(パク・クネ)政権の末期に制作が始まったものだ。

 

 光州事件とはなにか? 1979年10月、釜山・馬山で民主化を求める民衆蜂起が続くなか、朴正煕(パク・チョンヒ)が腹心の部下に暗殺され、18年に及ぶ軍事独裁政権が終わったかに見えた。ところが翌80年5月、全斗煥(チョン・ドゥファン)が非常戒厳令を発布。同月18日、光州市内の学生たちの「戒厳令解除」を求めるデモを戒厳軍が弾圧したが、その残虐行為に光州市民が怒り、民衆蜂起に発展した。

 

 光州市民は武器を持って市民軍を結成し、戒厳軍を追い払って、わずかな期間ではあるが「市民共同体」を樹立した。しかし、空挺部隊が投入されて戒厳軍が制圧。虐殺された市民は2000人を上回るといわれる。

 

 その後、学生たちは光州の虐殺を支援したアメリカを追及し、1985年にはソウルのアメリカ文化センター占拠事件を起こす。反米・祖国統一の機運は高まった。そうしたなかで、民主化運動の重要な転換点となる1987年を描いたのがこの映画である。

 

 映画の冒頭、闇に葬られようとした拷問致死事件がクローズアップされる。1987年1月、ソウル大生の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)が、民主化運動のリーダーの行方を自白させようとする5人の警部たちによって、水責め拷問の最中に窒息死させられた。場所は南営洞にある治安本部・対共(共産主義)捜査分室の密室で、大統領・全斗煥の最側近といわれる国家安全企画部部長からの命令を受け、同分室のパク所長が指揮して捜査していた。

 

 パク所長らは、民主化運動のリーダーを逮捕して「北朝鮮のスパイ」にでっち上げるために、この拷問をやっていた。このリーダーは民主党の政治家・金大中や金泳三のブレーンであり、そうすれば金大中ら大統領直接選挙推進派を一気に潰すことができるからだ。

 

 映画は凄惨な拷問の場面を映し出すが、それ自体、戦時中に朝鮮を植民地にした日本の特高警察のやり方を踏襲したものだといわれる。パク所長らは事件を隠蔽するため、死因を「心臓麻痺」と偽り、家族に知らせないまま火葬して証拠隠滅をはかろうとした。

 

 ところが、そうはさせない動きが次々と起こっていく。

 

 現場で死亡診断をした医師は、パク所長の脅しに屈せず、「死因は心臓麻痺ではない」と勇気ある証言をおこなった。

 

 ソウル地検の公安部長は、「解剖して死因を解明してから火葬するのが決まりだ」といい、法律を無視しようとするパク所長の横暴を認めない。

 

 『東亜日報』などの記者たちも、「ソウル大生死亡事件は報道禁止」とする報道指針を「クソ食らえ」と破って、医師や検事たちの証言を大きく報道した。

 

 追い詰められた治安本部は、2人の下っ端捜査員に罪を被せて、トカゲの尻尾切りですまそうとし、1億ウォンの金を握らせる。だが2人は、「俺は殺していない」「拷問した者の悲鳴が響いて夜も寝られない」と拒否。このやりとりをそばで聞いていた刑務所の係長や看守がメモをとり、それをキリスト教会に届けて、教会が光州事件7周年の5月18日、すべての真実を市民の前に明らかにした。

 

現代に受け継がれる民主化運動の誇り

 

 強そうに見える独裁政権も、実はみずからの傲慢さゆえに、内部からもろくも崩壊していく。それを決定づけるのは市民の大衆運動だ。

 

 この映画は、実在人物をモデルに、厳密な事実関係の復元をめざして、韓国の社会が民主化に向かう一局面を描き出している。そのなかで唯一の架空の人物が女子大生ヨニだが、彼女は当時、運動に新しく参加してきた無数の若者の象徴として描かれている。

 

 彼女は初めは、「デモなんかいい迷惑よ」といい、「銃を持った軍部とたたかうわけ? それで死者が出たら誰が責任とるの?」と反発する。しかし、身近な人にも弾圧の手が伸びるなか、勇気を出して一歩を踏み出した。彼女たちが大学のサークルで光州事件を描いたビデオを見る場面は、軍事政権と大手メディアが光州事件の一切の事実を覆い隠そうとするなか、その真実を若い世代に伝えようとする試みがやむことなく続けられていたことを想像させる。

 

 拷問致死事件の真相が暴露された翌6月には、延世大生・李韓烈(イ・ハンニョル)が警官隊による催涙弾水平打ちで殺された。それを契機に「軍部独裁を終わらせよう!」という行動は一般市民を巻き込み、一気に全国的な大運動となった。李韓烈の葬儀には100万人をこえる市民が集まったという。こうして6月29日、大統領直接選挙制へ移行する民主化宣言が発表された。映画の最後には韓国の無数の人々が立ち上がる当時の実際の映像が映し出され、思わず身を乗り出した。

 

 とはいえ、韓国の民主化はその後も長い紆余曲折を経ることになる。そして2016年12月には、1年間で100万人をこえるキャンドルデモがおこなわれるなか、大統領・朴槿恵に対する弾劾訴追が可決された。その運動の只中でこうした映画がつくられ、大ヒットしたわけだが、そこに韓国の人々の、真実を後世に語り継ぎ、よりよい社会をつくろうとするなみなみならぬ思いを感じさせる。

 

(2017年、2時間 9分)

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