著者の一人である大隈良典氏は、「オートファジーの仕組みの解明」によって2016年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。大隈氏は「私がオートファジー(タンパク質の分解現象)を研究してきたのは、何かの役に立てようという明確な目標があって進めてきたのではない。純粋に目の前に見える細胞内の、ものの分解の仕組みやその意味を解明したいと思ってやってきた」とのべている。その基礎研究は新しい研究分野を拓くためにおおいに貢献し、がんや生活習慣病、アルツハイマーやパーキンソン病などの創薬研究も進められるようになった。
大隈氏は、「役に立つ」という発想から離れ、知的好奇心に導かれて追求するのが基礎科学だと強調する。「宇宙の果てはどうなっているか」「物資の根源はなにか」「原子の構造はどこまで分けられるのか」「生命はどうやって連続性を保っているのか」といった問いに対する答えは、直ちに企業のもうけにつながるものではない。しかしそれに対する答えが、知の体系として人類に貢献するし、何十年か後には応用科学に結実する。
同じく著者の永田和宏氏は、コラーゲンが皮膚や骨の成分として役割を果たすためにHSP47が必須のタンパク質であることを発見した。その永田氏も「科学者にとってもっとも必要なことの一つは、なにかを本当におもしろいと思えるかどうか」「流行を追わず、自分だけの分野にとりくむこと」を信条としてきた。そうした態度は科学研究費などの獲得において不利にならざるを得ないし、コストパフォーマンス(費用対効果)という点では相当に低い。しかし、「役にたたなくても、真実というものがあるのなら、少しでもそれに近づきたい。ここに人間の本性があり、サイエンスの根幹があると思うのである」とのべている。
この本は、基礎研究に長年携わってきた2人が、基礎研究とはなにか、なぜ基礎研究が必要なのか、そして日本の基礎研究はこのままで大丈夫なのかということを、一般の読者にもわかりやすく語ったものだ。日本の科学の将来を考えるうえで興味深い。
永田氏は「待つことが苦手になった私たち」の章でこうのべている。
今の学生たちはインターネットにアクセスすることで、知りたいことの多くを即座に手に入れる。だが私は、なにかを知るため、理解するために費やす時間の長さが大切だと思っている。最初からすべてがわかっていたら学ぼうとする態度も生まれないし、ああではないか、こうではないかと想像するプロセス、「わからない」ということに耐えている時間こそが知へのリスペクトを醸成する、と。
また、「本を読むことの最大の意味は、これまでこんなことも知らなかったのかという自分の発見だ」という。そんな「無知」な自分に気がつかないと、世界は自分中心に回る以外にないからだ。
さらに、最近の研究者は近視眼的になり、専門外のことに興味を持たない。外国の理系の研究者と交わると、「小津安二郎のこの映画みたか?」とか「村上春樹の○○はどう感じたか」、という論議を普通にふっかけてくる。だがこうした場合、会話にならない日本の理系研究者は多くいるという。
大隈氏も「安全志向の殻を破る」のなかで、「“今、役に立つかどうか”が数年単位でしか考えられなくなって、私たちは“役に立つ”という呪縛のなかにいる」と指摘する。問題はその結果、次世代の研究力が育たなくなっていることだ。
今、日本の大学院では博士課程への進学者が激減し、修士課程の意味が企業への就職の準備期間となっているそうだ。そして、自分の興味ある研究課題に挑戦するよりも、教授から与えられたテーマをそつなくこなそうとする傾向が強まっている。自分の頭で考えない「実験するロボット」になってしまえば、日本の基礎研究力は低下し、人材が枯渇することにもなりかねない。
両氏が強調するのは、ディスカッションの重要性だ。
「ディスカッションに喜びを見出せないなら、科学者になっても意味がないとさえ思っている」「(しかし)最近の若い人は、自分と反対のことをいわれるのをすごく怖がっているようだ」(永田氏)
「もっとも本質的なことは、議論の過程でそれまで見えなかった新しい方向が見えることにあると思う。その点では、違った見方や考え方をする人と議論する機会を持つことが大切」「大学での学びは、得難い生涯の友人や先生と出会い、直接対話して、これからの長い人生でなにを学ぶかを模索する時間だと思う」(大隈氏)
「企業のための即戦力を養う」という国策のもと、1991年に大学設置基準が大綱化されて、多くの大学がそれまであった教養課程を廃止し、大学は専門学校化してきたといわれる。そして、政府による「役に立つ研究」への研究費配分の過度の偏りの結果、今では日本の科学のレベル低下が懸念されるようになった。限りなく無駄をなくしたことが、逆効果になっているわけだ。
新自由主義を教育に持ち込んだことの弊害があらわになっている。「教育は国家百年の大計」という言葉を死語にしてはならないと思う。
(角川新書、262ページ、定価960円+税)