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『新自由主義と教育改革:大阪から問う』 著・高田一宏

 本書は、橋下徹の府政が始まった2008年以降の十数年を振り返り、維新の会が府知事と市長をおさえ、府・市ともに第一党となった大阪で、「改革」を掲げた教育政策の転換は教育をよくしたのか、子どもたちの学びと成長は保障されたのかを検証したものだ。著者は、1965年生まれの大阪大学大学院教授である。

 

 著者はまず大阪の教育改革について、中曽根内閣の臨教審に始まり小泉・安倍内閣が受け継いだ新自由主義にもとづく教育改革を、もっとも大規模かつ急激に具体化したものだという点をはっきりさせている。「改革」の看板にだまされてはいけない。

 

 特徴は、教育現場の意見を尊重せず、教育委員会の独立性を否定して、教育についてシロウトの政治家が教育内容に直接クチバシをいれる「政治主導」で進められたことだ。それは第一次安倍内閣が教育基本法を改悪し、政治による「不当な支配」を容認する内容に変えたことで保障された。

 

 教育の新自由主義改革とは、学力テストの結果を公表して学校や自治体を競争させること、一人一人の教員の業績評価を給与や処遇に反映させ、教員同士を競争させることなどをさす。その目的は、元教育課程審議会会長・三浦朱門の次の言葉に示されている。「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり力を注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」

 

 では、維新の会はなにをやったのか。

 

 大阪府知事になった橋下徹は2008年9月、全国学力テストでの大阪の成績が全国平均を大きく下回ったことから「教育非常事態」を宣言し、「競争を否定する教師が教育をダメにした。教育界の外から競争原理を持ち込んで教育を立て直す」と主張した。テストの結果公表に慎重な教育委員会を「クソ教育委員会」と罵倒したり、「ダメ教師は排除する」といったりと、メディアを使った世論喚起を重視した。

 

 2011年の府・市ダブル選挙で松井・橋下体制になってからは、「大阪府教育行政基本条例」などを府議会で可決・成立させ、教育委員会の独立性を骨抜きにして政治主導で教育改革を進める体制を整えた。

 

 さらに2度目のダブル選挙で2人が再選された2014年からは、改革が全面展開する。

 

 まず、大阪府・市独自の学力テスト「大阪府中学生チャレンジテスト」などの実施を開始し、その市町村別成績を教育委員会が公表するようになった。そして大阪市は各学校の全国学力テストの成績を公表し始めた。これが突破口になり、その後全国で市町村や学校が公表するようになっていく。

 

 第二に、大阪市の24区すべてで、小・中学校の学校選択制が導入された。大阪市は、府内の小・中学校の約4分の1を占める。

 

 第三に高校については、府立学校条例で、3年連続定員割れで改善の見込みのない高校は「再編整備」の対象とすると決められた。

 

 その結果、どうなったか? 各種調査から著者は次のようにいう。

 

 チャレンジテストによって、教師が一人一人の子どもに主体的に向き合うことが困難になった。ペーパーテストで測定できない個人の資質や能力を見出すことが難しくなった。


 学校選択制によって、「人気校」と「不人気校」の分化、それと結びついた学力格差の固定化・拡大が進んだ。たとえば人口減少率が最も高い西成区は、経済的に厳しい家庭が多く、その学校で子どもが荒れると、一部の親は他の区へ流出していき、さらに地域が衰退するという悪循環に陥っている。また、家庭訪問・親との連携や地域との連携が困難になり、それが子どもの成長に大きな影響を与えている。学校選択制は、全国では廃止や見直しをおこなう自治体が増えた。

 

 高校については、大阪では私立高校の授業料無償化を進め、公立と私立を競わせたため、生徒が公立から私立に流れ、公立高校の定員割れが常態化して募集停止となる高校があいついだ。昨年度までに募集停止になった公立高校は17校にのぼり、今年の入試では公立高校の約半数、70校が定員割れとなった。そのなかで難関大学への進学に力を入れる文理学科10校の生徒数が増える一方、義務教育段階でつまずいた生徒を受け入れる高校の入学者は減って廃校が必至となり、行き場がなくなる生徒が生まれているという。

 

 その一方で、教育改革がもっとも重視した学力向上だが、この10年間、全国平均との差はほとんど縮まらず、「全国平均を上回る」という目標は未達成のままだ。そもそも学力低下の背景には、大阪府で就学援助を受ける児童・生徒の数が全国1位(全国平均の約2倍)であることに見られるように、家庭の貧困化がある。そうした子どもたちをしっかり教育し、全体の底上げをはからなければ成績は上がらないが、その真逆をいったわけだ。

 

 そのうえ、不登校や高校中退はこの期間に急増した。大阪府の不登校者数(2022年度)は、小学校7153人、中学校1万3651人、高校6452人となり、高校では1000人当り不登校者数が全国1位になった。それは、将来の働く場を見つける困難さにつながらざるをえない。

 

 そしてハッとさせられたのは、新自由主義改革の結果、教師が教育者としての誇りを失い、萎縮してしまったという指摘だ。本書のなかに幾人かの教師へのインタビューがある。

 

 「昔やったら、校長が“かまへん。最後は俺が責任持つから、やれ”やったけど、今は上からいわれることを恐れ、最後は“こいつが悪いんです”と切り捨てられる。だから教師も萎縮するんですよ」

 

 「“目標を数値化せえ”といつもいわれる。けど、僕たちはやはり、1年、2年だけじゃなくて、5年後、10年後に子どもたちがどんな大人になっているかを考える」

 

 現場の教師が、自由に本当のことを語ることができなければ、成長する世代の心を動かすことはできないし、人間は育たない。教育の新自由主義改革は、20年余り経ってさまざまな弊害を生んだことで批判が高まり、国内外で見直しが始まっている。

 

 以上のことは、大阪に典型的にあらわれているが、全国的な問題でもある。教師が、子どもや保護者の顧客満足度を高める存在にあまんじるのでなく、子どもたちが持つ力を知育・徳育・体育の全面で開花させ、ひ弱でなく、思いやりが深く、間違ったことを許さない人間に、将来の日本の担い手に育てる――そうした教育者としての使命をとり戻す教訓とし、現状を変える力としたい。

 

 (岩波新書、216ページ、定価920円+税)

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