著者は電力中央研究所の上席研究員で、「どうすれば国際社会は、協調して気候変動問題に有効に対処できるか」という問題意識でこの本を書いた。そうした立場から現実を丁寧に観察するという著者の姿勢によって、次のことを垣間見ることができる。すなわち2015年のパリ協定以来、「地球温暖化阻止のためのCO2削減」という運動が、地球の将来を心配する自然保護の論理ではなく、より露骨に市場争奪と金融支配という大国の論理で動いているということだ。
2015年のCOP21(国連気候変動枠組条約の締約国会議。締約国は195カ国)でパリ協定が採択された。それは「世界全体の平均気温の上昇幅を、産業革命以前と比べて1・5度以内とする」との目標を決め、各国がCO2削減目標を掲げて、競って再生可能エネルギーや原子力発電といった非化石エネルギーへの移行を急ぐ流れをつくるものだった。そのなかでG7を中心とする大国同士の市場争奪戦が激化している。
各国の脱炭素政策は、①国が脱炭素産業を支援する、②CO2排出に対して政策的にコストを上乗せする炭素税や、定められた排出枠をこえた企業が排出枠があまった企業から排出枠を購入する排出量取引(これらをカーボンプライシングという)によって、再エネ拡大へ誘導する――の二つに大別される。
米国は2022年8月、「インフレ抑制法(IRA)」という名の脱炭素投資法を成立させた。2031年までの10年間で、再エネ技術の導入に3690億㌦の政府支援をおこなうもので、電気自動車や再エネの国産品を手厚く優遇する措置を盛り込んだ。これはWTOの自由貿易原則に違反するものだが、それを知ったうえで実行している。
たとえば風力や太陽光発電所を新設する事業者は、法人税の減税を適用されたうえ、導入する設備(太陽光パネルや風力タービンなど)の一定割合が米国製の場合、その減税幅が上乗せされる。また電気自動車(EV)については、一般消費者がEVを購入するさい、最大で1台当り7500㌦を所得税から控除できる。ただ、この減税を受けるには、①完成車の最終組立が北米でおこなわれること、②使用されるバッテリーが米国、または米国と自由貿易協定を締結している国で抽出・処理されること、が必須とされた。
これに猛反発したのがEUだ。将来の成長産業を米国に吸いとられることが許せなかったわけだ。
EUは同じ2022年12月、輸入品には自国と同等の炭素コストを課し、輸出品には国内で課した炭素コスト相当額を還付するCBAM(炭素国境調整メカニズム)を導入した。これは、EUの排出量取引制度(EUETS)とセットで導入されたもの。EUETSは、電力、鉄鋼、化学、セメントなどエネルギー消費量が多い産業を対象とし、企業に自社工場のCO2排出量と同等の排出枠を購入する義務を課すものだ。
ところが輸入品に炭素コストを課すCBAMには、対EUの主要な輸出品が鉄鋼とアルミである中国や、インドなど新興国が「CO2削減を隠れ蓑にした保護主義だ」と強く反発している。
さらにEUは昨年2月、「脱炭素化を産業政策と位置づける」という米国と同じ方針を打ち出し、2024年2月、「ネットゼロ産業法」を成立させた。再生可能エネルギー、バッテリー、CCS、原子力などの技術の製造能力をEU内で拡大するために、国が企業への支援をおこなうものだ。ドイツ政府は、投資コストの最大一五%を補助することを決めた。
グローバルサウスの反発 大国の都合に辟易
もう一つの動きが金融だ。パリ協定採択の直前の2015年9月、英国中央銀行であるイングランド銀行のマーク・カーニー総裁が、気候変動を金融の安定と結びつける発言をしたことが、その契機になっている。
カーニーは当時、金融安定理事会(FSB)の議長でもあったが、このFSBがカーニー演説を受けてCOP21の期間中に、G20に呼びかけて、気候関連財務情報開示タスクフォースを立ち上げた。議長は金融情報サービス企業の創設者マイケル・ブルームバーグで、その下に機関投資家や格付会社、監査法人が参加した。このタスクフォースが、パリ協定の1・5度目標に関する情報開示を、世界中の企業に求め始めた。
さらにカーニーは、イングランド銀行総裁退任後は国連の気候特使となり、2021年4月、グラスゴー金融同盟を創設した。目的は2050年カーボンゼロ(CO2排出実質ゼロ)にコミットする世界の金融機関を増やすことだ。その金融機関には、銀行や保険会社だけでなく、年金基金などのアセットオーナーや、そこから資産運用を任されているアセットマネージャーなど、金融業界のプレーヤーのすべてが含まれている。つまりその目的は、投融資先の各企業のカーボンゼロを推進することだ。
同時期、世界最大の資産運用会社ブラック・ロックのラリー・ファンクCEOが、「気候変動を軸にした運用を強化し、情報開示を怠った場合、その企業の決定に株主として反対票を投じる」と宣言したことも報じられている。
また、世界でもっとも巨額の資産を運用している機関投資家は各国の年金基金だが、彼らが気候変動を含むESG投資へ舵を切っている。日本のGPIFも2017年に投資を始めた。ESGは国連環境計画・金融イニシアティブが最初に提唱したもので、つまり国連がお墨付きを与えているわけだ。
以上のことを俯瞰(ふかん)して見れば、「今からもうかるのは再エネだ」と、大国の政財界が脱炭素ビジネスに沸き立っている姿に他ならない。
そのために日本の森林や海が再エネの基地と化し、住民は災害の危険や低周波の健康被害に直面することになる。しかも岸田政府は、GX(グリーン・トランスフォーメーション)などといい、2023年から10年間で20兆円の政府支援をおこなうといっているが、再エネ技術は欧米主導であり、おりから欧州では脱炭素政策に反対する運動も高まるなか、日本が再エネの在庫処分のターゲットにされかねない。
これに対してグローバルサウスの国々は、長い植民地状態からの復興と貧困の撲滅にとりくんでいる最中であり、先進国の都合で進められるCOPの議論そのものに反対している。大国が自分たちの都合で世界を振り回すことに、いかに辟易(へきえき)しているかである。
(中公新書、302ページ、定価1150円+税)