いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『イスラエル軍元兵士が語る非戦論』 著 ダニー・ネフセタイ 構成 永尾俊彦

 イスラエル軍で超エリートといわれる空軍パイロットの養成学校から始めて3年間の兵役を経験したダニー・ネフセタイ氏は、退役後に日本に来て家具職人として働くなかで「国のために死ぬのはすばらしい」と説く愛国教育の洗脳から目覚め、現在は各地で「武器による平和」という幻想から卒業することを訴える講演活動をやっていることは昨年本紙でも紹介した【既報】。そのダニー氏が、イスラエル軍のガザ地区への空爆と地上侵攻の只中で、この本を出版した。

 

「ユダヤ人は唯一無二の民族」

 

 ダニー氏の祖父母は、パレスチナにユダヤ人の理想の国家をつくるというシオニズムに共鳴し、ホロコーストの前の1920年代に、父方はポーランドから、母方はドイツから移民としてやってきた。ヨーロッパに残った親族の大半は、ナチスの強制収容所で犠牲になった。ダニー氏は1957年、イスラエル中部のクファー・ヴィトキンという入植村で生まれた。

 

 この本では、ダニー氏がどのような教育によって、戦争になんの疑問も持たず、パレスチナ人の子どもたちを殺しても「仕方がない」と思うような軍人になったか、そしてどのような葛藤を通じてそこから脱したかを、時代背景とともに詳しく振り返っている。そのなかで、子どもたちを洗脳するイスラエルの教育の特徴を次のようにのべている。

 

 まず、ユダヤ人は「唯一無二の民族」という刷り込みだ。

 

 イスラエルの公立学校では、旧約聖書を宗教としてではなく、ユダヤ民族の歴史や文化として小・中・高と12年間学ぶ。「エジプトの川から大河ユーフラティスに至るまで」の土地を神様が与えると約束してくれたと、小学校低学年から暗記する。そこから「パレスチナ人を追い出すのは当然」という理屈になる。「良いアラブ人は死んでいるアラブ人」「パレスチナ人は人間ではない」と教える大人もいる。

 

 また、「戦争とテロで亡くなった人たちの追悼記念日」「独立記念日」などの学校行事を通じて、歴史的にユダヤ人はいつも虐げられてきたが、辛抱強く頑張り、最後は神様が助けてくれるという意識がつくられる。強烈な被害者意識と、強烈な「神様に選ばれた民族」という選民意識が表裏一体になっているという。

 

 とくにナチス・ドイツによるユダヤ人600万人の虐殺(ホロコースト)は、授業でくり返し教えられ、自分たちが経験したほどの悲惨は他にはない、という意識がつくられる。1961年にユダヤ人を強制収容所に送ったアドルフ・アイヒマンの裁判が開かれ、死刑が執行されたが、そのときイスラエルの外相ゴルダ・メイアは「今後私たちがなにをしても、世界の誰一人として私たちを批判する権利はない」といった。そのことも影響している、と著者はいう。

 

 また、都合の悪い歴史をなかったことにする教育になっている。イスラエルの建国と同時に、そこに元々住んでいたパレスチナ人は虐殺されたり難民になった(70万人以上)が、歴史の授業でその事実を教えることは禁止されている。

 

 建国後、イスラエル政府はパレスチナ人が住んでいた場所を森や国立公園にし、パレスチナ風のアラビア語の名称はイスラエル名(ヘブライ語)に変えて、パレスチナ人は「いなかった」ことにしようとした。現在、学校で教える地図からは、ヨルダン川西岸地区やガザ地区の境界線が消えているそうだ。そのことは逆に、歴史の継承がいかに重要かを教えるものだ。

 

 さらに著者は、「学校で数多くの平和を望む歌を歌い、自分たちは平和教育を受けたと固く信じていた」という。だが、その中身は「平和は大切。そのためには抑止力が必要」「私たちは対話を望んでいるが、アラブ人は対話ができない」「アラブ人たちは“ユダヤ人を追い出せ”という洗脳教育を受けている」など、「われわれは善、彼らは悪」の二項対立を煽るものだった。

 

 修学旅行は徒歩で戦跡をめぐり、先輩たちがいかに勇敢にたたかったかを学ぶし、「テルハイの日(ローマ帝国軍に抵抗したユダヤ人が集団自決した日)」という学校行事では、黒板ほどの大きさの「国のために死ぬのはすばらしい」という横断幕を掲げる。それらは、武力によってしか問題は解決できないという考え方や、軍隊への憧れをかきたてるものだった。

 

75年間続く泥沼の戦争

 

 こうした「カルト宗教のような」洗脳から、どのようにして目覚めたかは本書を見てほしい。とくに2006年の選挙でハマスが第一党になり、イスラエルがガザ地区の封鎖を開始し、2008年にはガザに侵攻してパレスチナ人1398人を殺したこと、それに子ども345人が含まれていたことが大きな契機になったようだし、日本人の妻からの訴えも大きかったようだ。

 

 著者は次のように訴えている。イスラエルはGDPの5%を軍事費に使い、最先端兵器を保有し、アメリカから強力な軍事支援を受けながら、パレスチナやアラブ諸国との間で75年間、ずっと殺し殺される泥沼の戦争を続けている。肉親を殺されたパレスチナ人の苦しみや悲しみは世代をこえて受け継がれるし、ユダヤ人は常にテロにおびえて暮らさなければならない。民間人虐殺は殺す側の精神も壊し、イスラエル兵の死亡原因のうち5割近くが自殺だ。「武力による平和」がウソであることは、このように毎日イスラエルで証明されている、と。

 

 今、周辺の国々を敵視し、「平和を守るため」には軍備の増強しかないという方向に舵を切っている岸田政府をイスラエルの姿と重ねて見ないわけにはいかない。必要なのは「敵基地攻撃能力」ではなく「近隣諸国との対話能力」であり、職場・学校・地域でどうしたら戦争を防げるか、話しあい、世論を高めることだと考えさせる。

 

 (集英社新書、238㌻、定価1000円+税)

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