アメリカのZ世代の若者たちの多くが、「パレスチナ連帯」を正面から掲げて登場している。それに象徴されるように、これまでの世代では常識とされてきた「アメリカ的な価値観」を覆す「Z世代的価値観」が若者のおもな思潮となっている。
同年代の著者がつづる
著者は、カリフォルニアで生まれ育ち理系研究職に就く日系アメリカ人だが、カリフォルニア大学大学院に在学するZ世代でもある。本書はZ世代の若者たち特有のSNSを媒介にした生活スタイル、食文化、音楽や映画への関心、さらには仕事観・人生観にみられる新しい動向を同じ目線で共有しつつ自由に綴ったエッセイ集ともいえる。だが、Z世代の動向を単に追認するのではなく、著者独自の見解をはっきりと押し出し問題を投げかけるものとなっている。
アメリカでは一般的に、戦後世代をおおまかに「ブーマー世代」「X世代」「ミレニアム世代」に分類し、それぞれを親世代の影響や社会的な背景からとらえる論議がやられてきた。Z世代とは1990年代半ばから2000年代の間に生まれた年齢層で、10代から20代前半の若者たちを指す。彼らは9・11(同時多発テロ)以後のアメリカ社会で育ち、リーマン・ショックを経て貧富の格差が広がるなかで「まじめに働けば、良い生活が送れる」というアメリカン・ドリームの崩壊を肌身で感じてきた。
著者はZ世代の関心・欲求はさまざまであり、「多様性」を大きな特徴としてあげている。同時に、それはバラバラな自由勝手を志向するのではなく、他の世代とは相異なる共通の価値観で結ばれていることを強調する。また、そのことは仕事への向き合い方や新しい社会への処し方において顕著だという。
相異なる共通の価値観
たとえば、著者もかかわるカリフォルニア大学では一昨年、10の州立大のすべてのキャンパスで4万8000人の大学院生とポスドクたちが、アメリカの大学史上最大といわれるストライキに決起した。組合員の98%が賛成し多くの学生が連帯したが、その根拠となっているのは、インフレによる物価、家賃の急上昇に見合った賃金が生活するうえで不可欠だという現実である。
ストライキ中におこなわれることは、数百人規模で学長の家までデモをするほか、カラオケやダンス、バーベキューなどさまざまだが、「重要なのはスト破りしないこと」で一致している。マイノリティや貧困層の学生たちに充分な援助がなく、院生やポスドクは家賃を払うのもギリギリなのに、大学経営層は超高額の給料や何百万㌦もの豪邸を新築している。ストライキで授業が混乱して致命傷を負うのは大学経営側であり、「労働者たちの価値を示す」ことにストライキの目的があるのだ。
ストライキ参加者は「これからもずっと我慢しつづける必要はない」をモットーに団結している。「間違っていることには間違っていると声をあげ、権力に立ち向かっていかなければならない。格差や不平等を是正することを目標に、一人でも多くの人にとって“フェアな契約”を獲得するために」。
こうした考え方は大学だけでなく、全米で勢い良く広がるアマゾンやスターバックスなどの新しい産業部門でストライキをたたかう若い労働者に共通している。それは、バブル期の恩恵を受けたり、アメリカン・ドリームの余韻にふれて育った親や先輩たちの世代に概して残っている「競争に打ち勝つために、努力すれば幸せな生活を送ることができる」といった価値観とはまったく相入れないものだ。
自分たちで前例をつくる
Z世代にとっては、従来の「拝金主義」と結びついた「働く意味」や「仕事への価値観」「ノーマル・ライフスタイル」こそ非現実的なもの、まやかしとしか映らないのである。社会に出て学生ローンを返済するために働くのに精一杯で、結婚はもとより老後の貯金すら見こめない将来を見据えている。そして、経営者の求めにこたえてまじめに働けば働くほど、心身を壊しかねないのが、まぎれもない現実だ。
SNSは「そもそも“怠け者”という概念は、ブルジョワジーによって作られた、労働者に労働をつづけさせるための架空の概念なのでは?」と「働くこと」への疑問や焦燥感を共有しあう場になっているという。IT企業の大富豪などの勝ち組に憧れたり、これらの企業のストライキのさい、彼らを擁護することはなんとも「ダサい」ことなのだ。
著者は、「しかし、Z世代は“怠け者”ではない」と強調する。「明日のことも、将来のことも不安なZ世代は、本物の豊かさとはなにか、生きていく上で大切なことはなにかという問いと向き合い、自分たちにとって本当に大切で優先すべきものは何なのか(生活におけるワークライフバランス)を再定義している」だけなのだという。それは、「社会により良い変化を及ぼすにはどう行動すればいいのか」という緊迫感を抱いた根源的な問いかけだという。
Z世代は、自分のことだけを考えて、幸せになろうとしているのではない。前の世代のように誰も恩恵を受けることができないことが分かっているからだ。著者は、彼らは若いころからなぜ自分の生活が豊かにならず、自分が思うように生きられないのかをくり返し問うなかで、「誰かが大いに得をし、誰かが搾取される格差社会が悪化しており、根幹に後期資本主義の問題がある」ということを覚ってきたのだとして、次のようにとらえている。
「大人に任せておけばいい」という時代は、もうすでに終わっているのだ。自分たちの手で「昔からそうだったから変わらない」という前提ごと作り替えてしまう。どんどん「変化の前例」を作っていくことで、自分たちの手で腐った社会を少しずつ変えられることを証明している。我慢していても誰の得にもならないという「絶望」と「希望」を抱えながら「生きているという手応え」を感じるために行動しているのだ、と。
著者はその意味で、世代間の断絶につながるいわゆる「世代間論争」は無意味だと強調している。Z世代のすべてが「Z世代的価値観」を持っているとは限らないが、逆に他の年代層も「Z世代的価値観」を持つことは可能だからだ。そのような他世代との連帯のあり方を探っているのがZ世代なのだ。
(講談社、B6判、208㌻、1500+税)