いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『新・現代アフリカ入門―人々が変える大陸』 著・勝俣誠

 西アフリカのマリ、ブルキナファソ、ニジェールで、2020年からあいついで軍事クーデターが起こり、旧宗主国のフランス軍が撤退に追い込まれている。また、昨年2月以来のロシアのウクライナ侵攻をめぐり、国連総会緊急特別会合でのロシア非難決議には、アフリカの26カ国が反対および棄権に回った。現在のパレスチナ情勢にさいしても、イスラエルの歴史的な占領政策を批判している。グローバルサウスの一員としてのアフリカ諸国が、みずからの主張をよりいっそう明確に表明するようになっている。アフリカ研究者の論考から、その背景を考えたい。

 

マリ・2020年 フランス軍を撤退させる

 

 マリ(旧フランス領スーダン)では2020年、青年将校が軍事クーデターを起こし、フランス軍に撤退要求を突きつけた。民衆は新政権を支持するデモをおこなった。その結果、フランス軍は昨年8月、マリから撤退した。

 

 隣国のブルキナファソで昨年誕生した青年将校らによる新政権も、フランス軍に撤退要求を突きつけた。フランス外務省は10月、同国から撤退すると発表した。さらにフランスのウラン鉱山があるニジェールでも、今年7月の軍事クーデターで親欧米政権が倒された。数千人の反フランスデモが起こり、フランス軍が撤退した。

 

 明治学院大学名誉教授の勝俣誠氏は、1970年のアルジェリアを皮切りに、40年余りアフリカ大陸に通い続けた。勝俣氏は最近の西アフリカの事態を、「アフリカから大英帝国が去った後も、軍事や貿易、文化で絶大な影響力を及ぼしてきたフランスの支配が決定的に弱体化した」と見ている。

 

 冷戦期にフランスは、米国主導の世界支配を支えるところから、アフリカの旧植民地に軍事基地を置いて地域の憲兵の役割を果たし、ソ連に接近する国に対して武力介入をいとわなかった。とくに2011年のリビア内戦では、フランスNATO軍が空爆を開始してカダフィ政権を崩壊させた。

 

イスラエルを追放 アフリカ統一機構の活動

 

 このときアフリカの55カ国が加盟するアフリカ連合(AU)は、即時停戦と戦争当事者間の交渉仲介役を果たそうとしたが、フランスに無視され、その結果カダフィ政権下の大量の武器がサハラ砂漠以南に流れ、イスラム武装勢力のテロ活動を助長し民衆が長期に苦しむことになった。そこから大国の内政干渉に抗う民族主義が台頭した。

 

 また、ロシア非難決議に対する反対・棄権は、アフリカ諸国が自国の利益を第一に考えるようになったことの反映だ。というのも欧米の対ロシア制裁が本格化するにつれ、アフリカ諸国がロシアからの輸入に大きく依存する食料、燃料、肥料などが高騰し、2008年の食料暴動を想起させる事態になった。このときAUが動き、ロシアから必需品輸出再開の確約を得ている。

 

 こうしたAU(前身はアフリカ統一機構)の積極的な活動は、アパルトヘイト体制を終焉させた南アフリカが加盟したことも大きいという。南アはアフリカ統一機構の悲願だった植民地解放の原点に戻ることを主張。AUのオブザーバー資格を得ていたイスラエルを今年2月、資格停止・追放に追い込んだ。

 

欧米アグリビジネス 農業国が飢える構造

 

 アフリカは多くが農業国だが、「アフリカの年」といわれ17カ国が独立した1960年以降も、深刻な飢餓に苦しまなければならない状況が続いてきた。その背景には欧米の押しつけた不平等な「飢えの構造」がある。これも勝俣氏が、著書『新・現代アフリカ入門』(岩波新書)のなかで詳しく展開している。

 

 アフリカは今日でも「飢餓大陸」と呼ばれ、その悲惨な状況は大手メディアも報道する。しかし、なぜそうなっているかの突っ込んだ検証はないままだ。

 

 たとえば日本でも大々的に報じられた1984年のエチオピアの飢餓は、餓死者が100万人と推定されるが、それは大干ばつと内戦、エチオピア政府の政策的失敗といった複数の要因が相互作用して事態が深刻化した。アフリカの飢餓はすぐれて平和問題ともいわれ、歴史的な英仏の植民地支配が複雑に関係している。

 

 この飢餓問題の解決といって欧米から持ち込まれたのが「緑の革命」だった。これは1960年代までのモンスーン・アジアの経験をアフリカに持ち込んだものだが、農薬や化学肥料の大量投入と水の大量消費で地力が劣化し、ただでさえ脆弱なアフリカの自然環境をさらに悪化させた。

 

 問題は、「緑の革命」を持ち込んだのが、欧米のアグリビジネスだったことだ。彼らは欧米大企業が製造する農薬・化学肥料や特許権を持つ種子をセットでアフリカ諸国に売り込むために、飢餓キャンペーンをおこなった。その結果、アフリカ農民は外国の技術と投入材に振り回され、自分たちが蓄積してきた技術や品種を放棄せざるを得なくなった。その経験からアフリカでは、「すべての国と国民が自分たちの食料と農業政策を決定する権利を持つ」という「食料主権」の考え方が広がっている。

 

 もう一つが、ワシントン・コンセンサスによる債務奴隷化である。1980年以降20年間にわたって、IMFと世界銀行はアフリカ諸国に巨額の構造調整融資をおこない、アフリカ諸国はその借金の返済のために、欧米債権国が要求した大幅な輸入自由化と輸出の振興策を採用した。その結果コーヒーやカカオ豆、木綿、落花生などの輸出換金作物の生産が最優先されることになり、増大する都市人口をまかなう自前の食料生産は放棄せざるをえなくなった。

 

 IMF・世銀は、貸したカネを取り戻すために換金作物への融資には熱心だったが、アフリカ人が消費する食料への投資には消極的だった。それどころか、食料は国際市場から安く輸入すれば、アフリカ人の賃金は低く抑えられ、より安く輸出品が作れると考えていたし、それは穀物メジャーや遺伝子組み換えメーカーの意向に沿っていた。

 

 その矛盾が爆発したのが2008年の世界食料危機であり、食料価格の高騰をきっかけにアフリカ諸国で大規模な暴動が起こった。

 

 勝俣氏は、アフリカ諸国はこうした経験をへて、残酷な略奪をくり返す欧米諸国を見限り、BRICSや中国の「一帯一路」に接近しているのだとのべている。それは、欧米の植民地支配によって人間の尊厳を奪われてきたアフリカ人たちの歴史的な権利回復運動に見える。搾取も貧困も戦争もない社会を求める気持ちがいかに強いかである。

 

(岩波新書、272㌻)

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