いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

『ぼくが生まれた新宿、柏木団の人々と関東大震災。』 著・中條克俊

 9月1日は、10万人以上の死者を出した関東大震災から100年である。この大震災直後に起こった朝鮮人、中国人、そして日本人社会主義者の虐殺事件については、心ある人たちの手によって真実の掘り起こしや追悼がおこなわれてきた。ところが日本政府は、これまで虐殺事件の取り調べの結果発表も公式な謝罪もしてこなかった。それどころか5 月の参院内閣委員会では、文科省、警察庁、国家公安委員長が「事実関係を把握することのできる記録が見当たらなかった(ので)内容を評価することは困難」「更なる調査は考えていない」と、歴史の闇に葬る姿勢を明らかにしている。

 

 著者は、埼玉県朝霞市で中学校の社会科教員をしてきた人だ。地域を歩き、地元の人たちから話を聞き、それをつなげて教材化し、生徒とともに平和・人権・民主主義を学ぶことをテーマにしてきた。

 

 その著者が生まれ育ったのは、新宿区柏木だ。あるとき地元のミニコミ誌で、関東大震災直後に虐殺された大杉栄・伊藤野枝の自宅がその柏木にあったことを知る。それだけでなく日露戦争前後の時期には、自分が住んでいた新宿駅西口周辺に堺利彦、山川均、幸徳秋水、管野須賀子、福田英子らが住んでおり、そこが初期社会主義発祥の地といっても過言ではない歴史的な場所だったこともわかった。

 

 そこから著者は、20世紀初頭の柏木と、関東大震災直後の虐殺事件を改めて調査、探究し、中学生の授業に耐えうるよう教材化して本書にまとめた。

 

日本の植民地支配に根源 「劣等民族」という偏見

 

 この本のなかでは、授業テーマ「関東大震災直後に何が起きたか」の教育実践について詳しく紹介されている。著者は「なぜ朝鮮人が虐殺されたのか」を子どもたちとともに探り、ともに考えようとしている。

 

 大震災が起きて、突然虐殺が始まったのではない。内村鑑三をして「正義の戦争」といわしめた日清戦争に勝利した天皇制政府は、朝鮮半島への支配を強めた。1895年頃から、朝鮮では日本の植民地化に反対する義兵運動が各地で起こったが、日本は義兵を徹底的に弾圧した。日露戦争(1904年)で朝鮮半島に送られた数十万の日本兵が帰国すると、「鮮人」「ヨボ」という差別語も広がった。

 

 1910年の韓国併合で「朝鮮人は劣等民族」という偏見が助長され、同年の大逆事件を経て、政府・官憲は社会主義者と朝鮮人を弾圧対象と見なし警戒を強めた。1919年に朝鮮で三・一独立運動が始まると日本は軍隊を出動させ、朝鮮人の死者は約7000人にのぼった。この頃、「不逞(ふてい)鮮人」という言葉が煽られており、著者と生徒たちは差別意識の原型がつくられた時期を確認した。

 

 著者は、関東大震災直後の虐殺の根本的な原因を、こうした日本の植民地支配にあるとしている。そして、みずから掘り起こした事実から、直接的な原因を「国家の責任」とするとともに、国家権力のウソを見抜けなかった当時の民衆の側の問題を今の自分たちの教訓にするよう呼びかけている。このあたりは非常に興味深い。

 

 「国家の責任」とは、第一に、天皇制政府が大震災直後に戒厳令を布告したことだ。目的は「不逞の挙に対して、罹災者の保護をすること」だった。9月2日の緊急勅令で、戒厳令は東京市と周辺五郡に布告され、3日には東京府全域および神奈川県に、4日には千葉・埼玉県に拡大された。この地域の行政・司法権が停止され、軍の支配下に置かれたわけだ。この戒厳令布告の推進者が内務大臣の水野錬太郎と警視総監の赤池濃であり、彼らは三・一独立運動弾圧の当事者だった。

 

 そして第二に、治安当局中枢である内務省警保局が3日、各地方長官(現在の知事)に宛てて虚偽電報を打ったことだ。その内容は、「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。…各地に於いて十分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」というものだった。つまり「流言飛語」というような曖昧なものでなく、国家権力の側からの官製デマによって朝鮮人虐殺が煽動されたことは否定できない。

 

民衆の側の教訓とは ウソ見抜く力必要

 

 著者の学校のある埼玉県で調べたところ、この日、内務省から帰ってきた埼玉県地方課長は事前に知った電報内容を内務部長に伝え、自警団の結成を促す移牒(命令・通知)を各町村に伝えて、全国に先駆けて在郷軍人、青年団、消防組からなる自警団を県内各地に結成したそうだ。その後の県内各地の虐殺事件も詳しく調べている。

 

 ところが、同年10月20日に朝鮮人虐殺事件に関する報道が解禁されるが、軍隊や警察による事件は報道されず、自警団や民衆による事件のみ大々的に報道させていた事実がわかった。責任は「流言飛語に踊った民衆の側にある」というのだ。

 

 しかも当時、官憲は虐殺した朝鮮人の遺体を隠蔽したり、日本人の遺体と一緒に焼いたりして、証拠隠滅をはかった。だから「虐殺された朝鮮人は数千人」といわれるが、いまだにその正確な数はわからない。

 

 ここで著者と生徒たちは、もう一段論議を深めている。「国家に一方的に責任を転嫁して、民衆が虐殺に走ったのは仕方なかったと納得していいのだろうか」「日頃から朝鮮人と接していた人たちは、実生活から、朝鮮人の暴動などウソだと見抜いていた」。そこから、流言飛語=フェイクニュースに惑わされることなく、真実はなにかと立ち止まって考え、ウソを見抜く力をつけることが大切で、それは現代に生きるわれわれこそ求められていることだと論議を発展させている。

 

 著者は、ウクライナでの戦争が長期化するなかで、武力による解決ではなく話し合いによる解決をすべきだし、なにより戦争を避けるために自分たちができることはなにかを探究する平和学習を、今こそ全国で起こそうではないかと呼びかけている。

 

 (梨の木舎発行、A5版・272ページ、定価2700円+税)

関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。