現在、米軍基地が集中する沖縄県内や米軍横田基地のある東京都多摩地域などで、泡消火剤に含まれる有機フッ素化合物PFASによって地下水や河川、水道などが汚染され、住民の血中から指標の数十倍にのぼる濃度のPFASが検出されて大問題になっている。
世界的にはさまざまながんや潰瘍性大腸炎などとの因果関係が確定し、人間の免疫機能を阻害しワクチンの効果を減少させるリスクがあることも指摘されているからだ。
この本は、PFASの危険性を初めて裁判所に認定させ広く世間に知らしめた、米国ウェストバージニア州とオハイオ州の住民たちと大手薬品メーカー・デュポンとの20年にわたるたたかいを、担当弁護士が克明に書き残したものだ。このたたかいの結果、2017年、デュポンに両州の3500以上の裁判について、6億7070万㌦を支払うことを約束させるとともに、連邦規制庁を動かしてそれまで政府の規制基準もガイドラインもない状態を改めさせた。
牛150頭が原因不明の死
そもそもの発端は、1998年10月、ウェストバージニア州パーカーズバーグの農場主ウィルバー・アール・テナントから著者がもらった電話からだった。家畜を放牧する牧草地を流れる川がオリーブ色に濁り、石鹸のような泡と腐った臭いをともなうようになったこと、牛たちが飼料を2倍食べさせてもやせこけ、原因不明のまま150頭が苦しみながら死に、解剖してみると内臓のあちこちに腫瘍があったことを、アールは必死に訴えていた。彼自身がぜいぜいと呼吸困難気味で、原因不明の病気に苦しんでいた。
農場主が川を汚染している犯人として疑ったのは、デュポンのドライ・ラン産廃埋立地から漏れ出る化学物質だった。牧場のそばにあるワシントン・ワークス工場はデュポンの世界最大のプラスチック工場で、「くっつきにくいフライパン」の原料となるテフロンはこの工場の主力製品であり、PFOAはテフロン製造過程で不可欠の化学物質だった。
農場主はデュポンを訴えたが、デュポンはあらゆる手段で反撃に出た。あるときは原告の弁護士(つまり著者)の発言禁止命令を裁判所に要請し、あるときは弁護士を買収しようとした。また、州の環境保護局と結託し(州の規制当局幹部の再就職先がデュポン)、全米有数の6人の獣医によるチームをつくり、「化学物質の証拠はなにもなく、牛の死亡の原因は飼い主の過失である」という報告書を出させた。
著者は3年間のたたかいで裁判を和解に持ち込んだが、さらに大きな問題に直面する。農場主の地域に隣接するリューベック市の水道が化学物質によって汚染されていると、住民からの訴えがあったのだ。
ジョー・カイガーと名乗る男性がいうには、最近、水道会社から「水道水に若干の化学物質が含まれているが、デュポンによれば安全だ」と書かれた通知が来た。男性が心配したのは、友人が睾丸腫瘍と診断されたが、近所の数人の男性も20代で睾丸腫瘍を発症していること、隣に住む若い女性教師も別のがんを患っていること、向かいの人たちが飼っている犬が2頭とも腫瘍を複数発症していることだった。「毎日飲み続けている水で、将来がんになるかもしれないなんて」。
著者はコミュニティ全体、数千数万人を代表する集団訴訟に持ち込むことにした。ところが今度は、デュポンは連邦政府や州政府の規制当局、御用学者らと結託し、「新しいPFOA水道水安全基準を150ppbとする」と発表させた。デュポンのこれまでのガイドラインは1ppbだから、その150倍だ。この新基準の根拠を問いただすと、州政府側責任者の女性は「それが書かれた公文書はすべて破棄した」と平然といってのけた。裁判中にもかかわらず。
猛毒と知りつつ垂れ流す
このなかで浮き彫りになるのは、デュポンの金もうけ最優先の強欲さである。
実はデュポンは、すでに1960年代からPFOAの動物実験をくり返し、それが猛毒であることを知り抜いていた。最大量を投与されたサルは、1カ月以内にすべて死亡した。とくに1981年、ラットの実験で胎児に先天異常(とくに目の異常)が発見されたとき、デュポンは全女性従業員をテフロン部門から他部署に異動させ、血液検査を開始した。すると最近出産した七人の女性全員がPFOAの血中濃度が異常に高く、うち2人の新生児は目の障害を持って産まれてきたことがわかった。
しかしデュポンはここで調査を中止し、政府規制当局にも、もちろん住民にも一切報告しなかった。そして、何もなかったかのように女性たちをテフロン部門に戻している。2人の女性の証言は胸に迫る。デュポンは、その証拠は山のようにあったのに、「健康被害はありません」と隠蔽を続け、企業の利益を優先させて何十年も化学物質を垂れ流し続けたのだ。だが、住民たちは負けなかった。本書のなかで印象深いのは、初めて開かれた住民説明会の場面だ。住民たちは激しい怒りとともに、冷静な賢さを持ち、事前にわかることをすべて調べ上げて企業側のごまかしに一切だまされず、企業を追い詰めていった。また、一番最初に訴訟を起こした農場主アールは、そのために村八分にあい、訴訟の途中で亡くなるけれど、「欲しいのは補償金ではない。子どもや孫たちのため、地域のみんなのために本当のことが知りたいんだ」といつもいっていた。
そして著者自身、「アールの訴訟をとりくむことで自分は変わった」という。これまで企業の弁護士として平穏な生活を送ってきた彼が、住民たちのたたかいに心底同情し、熱情的な責任感を持つようになったし、それまで気づかなかった弱者を犠牲にして無慈悲に権力を行使する大企業や政府の横暴さを直視するようになったと、反省を込めて振り返っている。弁護士事務所との矛盾や、3人の幼児を妻に任せきりにする葛藤を抱えつつ、毎日の夕食は家族とともにとり、四つん這いになって遊んだ後は、事務所に戻り夜の静寂のなかで何万ページという資料に目を通す。その姿は目に浮かぶようだ。
政府や州の規制当局や大手メディアを従え、カネと権力で住民に被害をもたらし続ける巨悪に対して、無名の人々が力を合わせて勝利していった経験は、PFAS汚染に直面するわれわれにとって大きな励ましと教訓に富んでいる。
なお、この本の登場人物はすべて実名である。映画『ダーク・ウォーターズ』は、この本を原作にして制作された。日本語訳が出たのは今年4月である。
(花伝社発行、四六判・418ページ、定価2500円+税)