ロシアのウクライナ侵攻後、「ウクライナは第二のシリア」という言葉が飛びかうようになった。欧米と日本の政府・メディアは、ウクライナ危機の経緯を顧みることなく、「ロシアは悪、ウクライナは正義」の図式で、ロシア軍による無辜の市民、とくに子どもや母親、病院への無差別攻撃、さらには生物・化学兵器、核攻撃、クラスター爆弾、白燐弾などの使用をためらわない残忍さを喧伝してきた。そして、ロシアのこうしたやり方は、シリアの内戦時とまったく同じだと吹聴している。
東アラブ地域研究、シリア問題の専門家として知られる著者(東京外国語大学大学院教授)は、ロシアの侵攻を「暴挙」ととらえウクライナの惨状に胸を痛めつつ、こうした西側の一方的で排他的な宣伝こそがシリア内戦当時と酷似していると断じている。シリア内戦も、事実はより複雑で流動的であったにもかかわらず、「勧善懲悪と予定調和の物語」として語られた。「独裁者、独裁体制、拷問、弾圧、無差別攻撃、化学兵器、虐殺」といった紋切り型の言葉が、アサド大統領やシリア政府に浴びせられた。
そして、アサド独裁政権の打倒をめざす反体制派を、か弱い幼子や女性、罪のない市民を守る「革命家」「自由の戦士」として美化する一方で、これと異なる情報や見解は「フェイク・ニュース」「プロパガンダ」と一蹴され、排除されていった。しかし、欧米諸国がおこなってきたシリア内戦での干渉こそ、ウソと誤認にまみれたものであった。シリアの「化学兵器使用」がねつ造であることが機密文書から発覚したように。
また、欧米諸国が直接干渉したにもかかわらず、シリア内戦への西側メディアの迫り方は「中東の内部問題」としてなすがままにするなど冷淡を極めた。それは「ウクライナは可哀想だ」と感情移入をまじえた連日の過剰なウクライナ報道とはまったく対照的だった。ここで浮かび上がるのは「青い目をしたウクライナの人々が戦争で悲惨な目にあっている」というヨーロッパ、白人中心のレイシズムと二重基準である。
事実、シリアでの諸外国の軍事的威嚇はそのほとんどが国際法にふれる違法行為であったが、西側諸国はそれを問題にしなかった。ウクライナ侵攻を前後したシリアで起こったさまざまな爆撃や住民虐殺についても報じないでいる。そして、シリア・中東の難民を煙たがり、無関心と抑圧で対応する一方で、ウクライナの難民には手厚く保護するという具合である。こうした二重基準への反発が、アジア、中東、アフリカ、中南米の多くの国々が西側のロシア制裁、ウクライナ支援になびかない重要な要因となっている。
そのような制約のもとで、「今世紀最悪の人道的危機」といわれたにもかかわらず、シリア内戦の内実は覆い隠されてきたといえる。また、そのことがロシアのウクライナ侵攻についてありのままに見ることを妨げてきたことがわかる。著者はウクライナへの軍事支援やロシアへの制裁が「集団ヒステリー」のように進められてきたのは、あまり知らないシリアよりも身近に接するウクライナへの感情移入が容易であったこと、さらにシリアへの無知がそれを支えることになったと指摘する。
諸外国の干渉で重層的混乱 シリア内戦の経緯
本書はシリアが古くから中国とヨーロッパを結ぶ東西交易路(シルクロード)の要衝にあり、多くの国から侵略を受けてきたこと、19世紀の「東方問題」からシオニズムによるイスラエルのゴラン高原占領、ロシア・ソ連との関係などを歴史的にたどっている。そこから、シリア内戦が2,011年の「アラブの春」と呼ばれる一連の政変の波及であったことを浮き彫りにしている。
シリア内戦では、反体制派を支援する形で「人権」「テロとの戦い」を掲げた欧米諸国が干渉し、それに対抗するアサド政府の支援要請を受けて「主権尊重」「内政不干渉」を掲げたロシアとイランが加わった。本書では、さらにアルカイダ系やイスラム国などのテロ組織、外国の活動家が大挙して押しかけることで、重層的に混乱を極めていった事情をくわしく展開している。
19世紀半ばのクリミア戦争の発端がシリアでの「聖地管理権問題」であったように、シリアとウクライナは歴史的にイギリス、フランス、アメリカ、そしてロシアの勢力争いや代理戦争の主戦場となってきた。イスラエルの建国をめぐる「パレスチナ問題」や「中東和平」も、西側は中東の内部問題のように扱っているが、欧米列強が引き起こした「力による現状変更」に起因している。
著者は「ウクライナ侵攻が二国間の戦争というよりはむしろ代理戦争として推移しているという事実は、10年以上におよぶ紛争と混乱の末に、分断と占領を特徴とする“膠着という終わり”を迎えたシリアがたどった悲劇の再来を想起させる」とのべている。西側諸国がウクライナでの戦闘を和平に向けた交渉に向かわせず、意図的に長引かせているのは、「“燃えるがままにせよ”戦略」で火種を残したまま「分断と占領(駐留)という二重苦」を強いたシリアの前例を踏まえたものだという。
欧米諸国と日本の為政者の言動が示すことはとどのつまり、ウクライナでの戦闘でウクライナの人命がどれだけ奪われ、国土が廃墟と化そうがかまわないというものだ。そのもとで、欧米諸国に直接的な被害が及ばないまま、ロシアを消耗させ弱体化できれば良いのである。
著者は、ウクライナの「徹底抗戦」を煽り破滅に追いやる狂乱的な風潮は、第二次大戦で日本を覆った「一億玉砕」の空気と酷似していると指摘している。その意味からも、アメリカと中国の狭間に位置する日本を「第二のウクライナ」にする策動がうごめく今、国民が肌身で体験した戦時の苦難と怒りを共有する意義を、本書からくみとることができる。
(岩波書店発行、四六判・214ページ、2,000円+税)