背後でアメリカ政府とCIAがかかわり、100万人以上の市民が虐殺されたといわれるインドネシアの9・30事件(1965年)。米ソ両超大国のどちらからも一定の距離を置き、第三世界のリーダーだったインドネシアを、一夜にしてアメリカ陣営の従順な一員に組み込んだこのジェノサイド(集団虐殺)については、長い間国際社会が黙殺し、事件を生き延びた人も投獄されているか恐怖に口をつぐんでいて、真相は闇に葬られてきた。
1965年から66年にかけて、この群島国家でなにが起こったのか? 著者は2017年、『ワシントン・ポスト』の記者としてジャカルタに拠点を置いたことをきっかけにこの事件を調べ始め、事件の生存者や目撃者、また献身的な研究者にインタビューし、公開された機密情報で裏付けをとりながら本書を完成させた。「ジャカルタ・メソッド」とは、CIAがインドネシアで実行し、その後全世界で展開した「絶滅」プログラムであり、本書はその全容を明らかにしている。
独立への喜び 数百年の隷属から解放
インドネシアは1万3000余りにのぼる多様な島々からなる群島国家で、島々には数百の異なる民族が住み、使用される言語は700以上にのぼる。世界で4番目に人口の多い国(約2億7000万人)で、豊富な天然資源があることでも知られる。数百年続いた搾取と隷属の植民地状態から解放され、独立を勝ちとったのが第二次大戦後の1949年。オランダ人が撤退したとき、読み書きができる人は人口のわずか5%だった。それほど自分たち自身の民族や文化に対する知識のあらかたを失っていた。
本書は、独立したばかりのインドネシアの人々の高揚を伝えている。初代大統領スカルノはイスラム教徒で民族主義者だったが、石油産業の国有化を進め、「土地は耕す者のもの」という土地改革を促し、イスラム教徒が多数を占める国でヒンズー教徒により多くの自由を与えるなど宗教的多様性も認めた。
当時、イスラム同盟は反植民地主義を掲げ、共産主義者はマルクスとコーランの両方から影響を受け、ソ連を含む外国の異教徒たちの指示に従わず、外国の支配に反対し独立インドネシアを支持するという思いがインドネシア人を一つに結びつけていた。
人種、宗教、国境を問題にしないこのナショナリズムは、数世紀に及ぶ植民地主義に対抗して生まれたもので、第三世界の国々に共通していた。1955年4月にインドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議は「人類史上初めての有色人種による大陸間会議」といわれ、国連加盟国のおよそ3分の1の国々の、約15億人を代表する人々が集った。これはヨーロッパ帝国主義に対抗し、かつ米ソ両大国から独立を守る運動で、「全人類の平等と大小を問わずすべての国の平等」「大国の侵略行為や脅しの自制」「あらゆる国際的不和の平和的手段による解決」などを掲げた。インドのネルー(初代首相)とインドネシアのスカルノはそのリーダーだった。
著者がインタビューしたインドネシア人の女性は、国境をこえた団結と各国の誇りあふれる当時を思い出し、語ろうとすると興奮のあまりその声はいっそう甲高くなり、まるで口笛のようになったそうだ。
クーデター捏造 運動の拡大恐れた米国
だがアメリカにとって、それは許しがたいことだった。中立主義そのものが反則行為であり、ソ連に対して敵対行為をとらない者は誰であれアメリカの敵だった。善か悪か、ヒーローか悪党かのどちらかしかないプラグマティズムであるし、それほど運動の広がりが恐ろしかったのだ。
すでにアメリカは、イランで、グアテマラで、ブラジルで、いうことを聞かない政権をCIAの謀略と武器・資金の援助によって転覆させていた。1964年8月にはトンキン湾事件をでっちあげ、ベトナムへの全面戦争を開始した。
そして、1965年9月30日が来た。その日の深夜、共産主義者の「9月30日運動」がクーデターを起こしたが、鎮圧した――と陸軍のスハルト少将が発表し、全権を掌握した。スハルトが作った物語は、「共産主義者の婦人団体のメンバーが裸になって踊りながら、将軍たちの手足を切り刻み、拷問し、性器を切断し、目をえぐり出し、殺害した」「中国が武器を密かに届けていた」というもので、遺体の写真とあわせて国中に拡散した。
するとスマトラ島の軍司令官が「共産主義者を根こそぎ殲滅せよ!」と演説し(10月7日)、この日から大量殺人が始まった。軍と警察がおびただしい人を真夜中に逮捕し、その後その人たちは消えた。残された家族には消息さえわからず、恐怖で身動きがとれなくなった。死体が累々と積み重なり、川の流れをせき止め、国中におぞましい悪臭をはなったという。虐殺はインドネシアの他の島にも広がり、翌年まで続いた。
武器、資金を供与 CIAのシナリオ
こうして書くことすらはばかられるスハルトの話を、当時、西側の報道機関はほとんどそのまま伝え、「アジア人は原始的で、後進的で、暴力的」という固定観念を広げたという。だが、これは最初からホワイトハウスとCIAのシナリオ通りだった。米国政府は軍隊内親米派に武器も資金も訓練も与え、アメリカ大使館は共産主義者と疑われる数千人の名前が書かれた分厚い名簿を軍に手渡していたことが、後に明らかになっている。
そしてスカルノはスハルトに権力を移譲する書類に署名させられ、全閣僚は逮捕された。するとアメリカは即座に経済支援を再開し、ビジネスチャンスを得るためインドネシアに乗り込んだ。石油国有化は阻止され、地球最大の金鉱はアメリカの鉱業会社フリーポートが手に入れた。
この9・30事件については、インドネシア政府はいまだに調査を拒否し、アメリカの犯罪は裁かれないままだ。著者は、無辜の一般市民の大量殺戮をともなうこの反共「絶滅」プログラムが、1945年から90年にかけて、チリやニカラグア、フィリピンをはじめ23カ国で実行されたことを明らかにしている。それはアメリカの「自由と民主主義」がいかなるものかを暴露している。
多くの血が流され、人々が悲しみや恐怖にうちひしがれたことを、本書は我が事のように感じさせる。その歴史のうえに現在、アメリカは中東からもラテンアメリカからも叩き出され、反米政権が続々と誕生しており、歴史が大きな転換期を迎えていることを考えないわけにはいかない。アメリカは世界の主要な中立国の一つに対して、侵略者としての本性を白日のもとにさらした。
それはアメリカ本国や同盟国ではほとんど報道されなかったが、第三世界の人々はけっして忘れない。
(河出書房新社発行、四六判・414ページ、定価3800円+税)