「ふつふつと沸きたつ」柔らかな地殻変動
「脱原発パレード」「盆踊り」「発酵」この3つのキーワードはいったいどのように結びつき一つの映画になっていくのだろうか――そんな興味を持って鑑賞した。
今から11年前の2011年3月11日に起きた原発事故。それをきっかけにして湧きあがってきた違和感ややるせなさを、鎌倉の女性たちは音楽や踊りに変容させて人々を巻き込み「輪」を生み出している。街頭での「反原発活動」から、自然界の法則に日々の生活を添わせながら、自分たちの手によって豊かでまっとうな暮らしを積み重ねていく人たちのドキュメンタリーだ。7年の歳月をかけてつくられた。
3・11当時、東京で映像メディアの仕事に携わっていたという平野監督は、翌4月に鎌倉の町でおこなわれた女性たちによる「脱原発のパレード」を取材しニュースで放映した。その後、その女性たちから「盆踊り部をつくったので見に来ないか」という案内が届く。彼女たちは、日々の生活で浮かび上がってくる思いを唄にして踊り始めていた。そのなかの一人の女性、瀬能笛里子さんが笑いながら、でも真剣に「原発にも戦争にも反対ですが、それをまるっとこえられるところを目指しています」といった言葉に、どこか惹かれてカメラを回し始めたのが始まりだったという。
彼女たちは、日々の手仕事やさまざまな営みを通してその思いを唄にして、周囲を巻き込みながら踊る。お酒や味噌、パンづくりの思想から生まれた「発酵盆唄」。海水を汲み、薪で火を炊いて塩をつくる「塩炊きまつり」。新型コロナウイルス下でも女性たちは「ひっくり返り節」という曲を生み出して、新たなコミュニティを生み出しているという。
人間以外の存在に耳すます
そんな営みと絡み合って「発酵」の世界が描かれる。微生物によっておこなわれる発酵は、ゆっくりと時間をかけておこなわれる。発酵とは多様な微生物の働きによって変化を続けていくこと。パン屋で「イマジン踊り部」に参加する男性は、「酵母菌のドライイーストは、効率的に大量生産をめざす世界ではエリート菌。けれども発酵菌はもっと多様であっていい」といった意味のことを語っていて印象的だ。人間にとっての都合ではなく、人間以外の存在に耳をすますということでもある。人間にとっての豊かさや便利さだけを追い求めた原発などは、発酵の世界とは対照的なものとして描かれる。
多様な微生物による発酵の営みと、人々の心の内側から湧きあがるエネルギーが共鳴しあう世界をリンクさせる。そこから生み出される文化の力は、年齢も性別も職業、思想、信条、政党政派なども飛びこえる。多くの人を巻き込む懐の深い盆踊りの「輪」が生み出すパワーが、映像から感動的に伝わってくる。
鎌倉から三重県松阪市嬉野上小川町に移住した「イマジン踊り部」の女性は、他の移住者家族とともに、地域の人たちを巻き込んで約35年ぶりに地元の盆踊りや祭りを復活させた。一人また一人と、みずからの生活リズムを問い直し、衣食住の生活様式を変革させて、多様性をコミュニティにとり戻していく。
さまざまな情報や喧騒にまどわされることなく、当たり前の日々の営みを大切にすること、「盆踊り」や「唄」は、地域で暮らす一人一人が奥底に秘めたエネルギーに火を灯していくスイッチのように見えた。それを生み出すのは女性たちの優しく柔軟で肌感覚を大事にしたユーモア溢れる感性だ。
「一人一人が自分から踊り始めることによって、世界は変わってゆく」という歌い手の山口愛さんの言葉が心に残る。多様なコミュニティを通じて一人一人が能動的に力を発揮し、その緩いつながりの輪は、世の中をあるべき方向へ動かしていく。
すでにそれは全国各地で広がっていることを感じさせる。
地方で上るささやかな狼煙
2日に山口市で平野監督のトークショーがおこなわれた。監督にとって原発事故は今まで生きてきたなかで一番の衝撃であったという。福島の取材に関わるなかで、福島の人から「東京とか神奈川の皆さんって3・11をきっかけに何を感じましたか?」とさりげなく聞かれたことで、「福島を観る側だったが、自分たちが観られているなと思った。実情が届いていないと思った。ささやかでも3・11以後の普通の人たちの変化を記録したいと思った」と語る。
鎌倉の女性たちはコロナ禍でも変化を続ける。その様子をカメラで記録し続けているという。「現在のちょっと行き詰まった社会の状況のなかで、東京以外の地域に住む人々の思いやささやかな変化が、これからのヒントになっていくだろうと思っている」と次回作への意欲も語っていた。
目と耳だけでなく全身に何かを訴えてくる映画だ。それを観た人たちによってまた新たな発酵が始まるのだろうと思う。