いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『731部隊全史――石井機関と軍学官産共同体』 著・常石敬一

 ウクライナ危機をめぐって、ロシアが「米国がウクライナでの生物兵器開発計画に関与している」と批判すれば、アメリカは「ロシアこそ生物兵器を使おうとしている」と応酬している。これをめぐっては3月8日、米上院公聴会でヌーランド国務次官(政治担当)が「米国はウクライナ政府と協力して生物学研究施設の材料がロシアの手に渡るのを防いでいる」と発言している。

 

 生物兵器は、日本にとって縁遠い話ではない。日本軍は戦時中に旧満州(中国東北部)に石井機関(731部隊)を置き、PXというペスト菌兵器の人体実験を中国人捕虜を使っておこない、実戦にも使用していたこと、敗戦後は米軍が石井機関のメンバーを戦犯から外すことと引き替えに、その研究成果をすべて奪いとり、歴史から抹殺した――という歴史があるからだ。

 

 著者は神奈川大学名誉教授(科学史)で、40年以上にわたって731部隊について研究してきた。今回、改めて本書をまとめるきっかけになったのは、2015年に防衛省が大学などの研究機関を補助する制度(安全保障技術研究推進制度)を始めたことだ。軍学共同が進み、再びかつてと同じ過ちをくり返さないため、学術界に警鐘を鳴らそうと本書の執筆に至ったという。軍の公文書などの資料や関係者のインタビューをもとに、731部隊の全体像を明らかにしている。

 

 731部隊の本部は、1931年から1945年まで旧満州のハルビンに置かれた。部隊の創設者で部隊長を務めた石井四郎は、京都帝大医学部卒業の軍医中将だった。

 

 1931年の満州事変勃発とほぼ同時に、陸軍は東京の軍医学校に防疫研究室を設けた。責任者となった石井はハルビンに731部隊(約3000人)を、また姉妹部隊である防疫給水部を北京、南京、広州、そしてシンガポールに置いた。総勢1万人をこえるこの組織が石井機関と呼ばれた。

 

 石井機関の任務は細菌兵器の開発と戦場での使用(散布)だ。細菌の感染力は長期保存すると低下する。感染力の回復と増強のために、モルモットに接種する方法が海外でもやられていた。石井機関でやっていたのは、病原菌をモルモットでなく人間の身体に通すことで、兵器としてのより強力な病原菌を得るという作業だ。そのために1000人とも2000人ともいわれる中国人捕虜の人体実験をおこなった。

 

 初めて使用したのが1940年から41年にかけて、中国の三つの町での実戦で、600人の犠牲を出したと731部隊の記録にある。1942年の作戦では、ペスト菌は主としてPX(ペストノミ)の形で航空機から投下するなどし、コレラなど消化器系の病原体は水源や井戸、貯水池に大規模に散布した。

 

 この1942年の淅作戦では、第一線にいる現地の司令官や参謀は「(細菌兵器を使えば)日支関係に100年の傷痕を残す。そのうえ利益はなく、我が方の防疫の手続きだけ厄介である。山中や田舎の百姓を犠牲にしてなんの利益があるのか」と「陣中記録」に記すほど強く反対していた。だが作戦は、東京の参謀本部中枢の命令で強行された。

 

 ところが、石井機関が細菌攻撃した地域を日本軍の部隊がそうと知らずに占領したとき、短時間で一万人以上が罹患し、1700人以上がコレラで死に、赤痢やペストで死んだ兵士も多く出た。参謀本部は日本兵には細菌兵器を使っていることを知られないようにしていたこと、「コレラや赤痢の流行は敵の謀略によるもの」といって情報操作していたことが、後に明らかになっている。全国各地から徴兵された多くの兵士たちは、天皇はじめ権力中枢にとってはたんなるコマでしかなかったことを暴露している。

 

 そして1945年8月9日、日本の敗戦直前にソ連が旧満州に攻め込んできたため、日本陸軍は731部隊だけを特別扱いして即時日本への全面撤退を決めた。証拠隠滅のため、4日間かけて建物を爆破し、人体実験の被験者として捕えていた数百人を殺害した。国際条約であるジュネーブ議定書で細菌兵器の研究開発や使用が禁止されており、日本軍の犯罪を隠すためだった。

 

 だがこの瞬間、満州には日本軍兵士70万人と民間人150万人がいた。民間人で日本への帰還が果たせず現地で死亡した人が25万人ともいわれ、一家離散して「残留孤児」となり中国に残された人も多数出た。国民の命はまったく顧みられなかった。

 

 だが、731部隊をめぐる問題は戦後も続く。1947年1月、ソ連が731部隊による細菌戦と人体実験を告発した。するとアメリカは731部隊の科学情報がソ連に渡るのを阻止するため国際裁判を認めず、みずからが独占して隠蔽をはかったのだ。

 

 著者は本書のなかで、米占領軍が731部隊の元部隊員に対し、戦犯を外すというアメを与えて、細菌戦や人体実験の極秘情報を米軍に提供せよと迫った事実を示している。それに応えて元部隊員らは、1939年から43年の期間に人体実験により作成された8000枚の顕微鏡用スライドなどの研究成果を米軍に提供した。G2のウィロビーは、このとき25万円(今の912万円に相当)の「現金、食べ物、土産物、宿泊代」などを与えたとのべている。

 

 こうして極秘情報は米軍が独占し、石井機関を裁く法廷は開かれず、事実は世間から抹殺された。機関に関わっていた大学教授らはその犯罪が明らかにならないまま、戦後もそのまま生き延び、学界の権威であり続けた。具体的には本書を見てほしい。

 

 731部隊の活動の核は医学研究だ。そして防疫研究室がスタートした1932年、天皇制政府は大規模な科学研究支援制度を開始した。日本学術振興会の発足がそれで、専門の垣根をこえた先端技術研究に潤沢な予算を与える仕組みをつくったわけだ。そして石井の防疫研究所が窓口になり、日本医学界の人材を吸収したり、潤沢な研究費を供給したりするネットワークができていったという。目的は軍事研究の活発化であり、そのために大学の医学部長クラスを防疫研究所の嘱託に据えたり、その弟子を731部隊に派遣したりした。

 

 つまり、医学界のなかの一定の人々は、軍部の命令にものがいえなくなってそうしたのではなく、カネと地位がほしいために、研究者の名に値する学問の自由をみずから投げ捨てて権力者の要求に迎合していったのだ。著者はそれを「ウインウインの軍学官産共同体」と表現している。だが、その結果国民はどうなったのか。同じ過ちをくり返すなという著者の訴えは、そうした意味を含んでいると思う。

 

 (高文研発行、四六判・415㌻、定価3500円+税)

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