11年目となる3・11から間もない3月16日夜、福島県沖を震源とした地震があり、福島県と宮城県で震度6強を観測した。地震から5日経った21日夜の時点でも9250戸で断水が続き、家屋の全半壊がどれほどかは調査中だという。ここ数年、毎年のように全国各地で地震や豪雨災害がおき、2年も3年も経つのに仮設暮らしや被災した自宅暮らしを続けている被災者は多い。国民の生命や財産を守るのが統治者としての政府の務めだが、地震・火山列島といわれるこの国で政府の危機管理は機能せず、被災者は放置され、切り捨てられている。
本書は、1966年春の連続航空機事故や1964年の新潟地震などを契機に、ノンフィクション作家として国の危機管理の問題にとりくんできた著者が、東日本大震災と福島原発事故、そして新型コロナ・パンデミックをとりあげつつ、なぜこの国は重大事件が起こるたびに危機管理の戦略戦術の失敗をくり返すのか、その根底にある問題をえぐり出そうとしたものだ。
福島原発事故 見たくないものは見ないという悪癖
たとえば福島原発事故をめぐっては、巨大津波の警鐘はそれ以前に何度も鳴らされてきたが、国と東電はそれを闇に葬ってきた。ここでは以下のような事実が提示されている。
平安時代に仙台平野を襲い、1000人以上の溺死者を出した、この地域で最大級の津波である貞観津波(869年)については、すでに1986年の地震学会に、東北大学の地質学者・箕浦幸治教授が報告している。当時、地震学者たちはこの報告にまったく関心を示さなかった。世の中はバブル経済突入時であり、不動産業者から箕浦教授に脅迫電話が何度もかかったという。
それでも90年代には、津波堆積物の調査から、貞観津波はそれまでなかったと思われていた仙台平野に大津波をもたらしていたこと、南端は福島県相馬市に及んでいたこと、この巨大津波は450~800年程度の周期でくり返してきたことが明らかになった。
これに対する政府や東電の動きはこうだ。電力業界は原発の安全性を担保するためとして、土木学会に検討を委嘱した。土木学会は津波評価部会を設置した。同部会は、部会長は研究者だが、まとめ役の幹事団は電力中央研究所と東電などのメンバーで構成されていた。同部会は2002年2月、「信頼性があるのは江戸時代初期の慶長津波まで。文献記録に残っていない古い時代により巨大な津波が発生していたとしても、そのようなものは評価対象としない」とのまとめを発表、貞観津波を除外した。何万年も続いている地球の地殻変動からは目をそらし、最近400年ほどの変動を見れば十分というのである。
しかし同年7月、文科省の地震調査研究推進本部の地震調査委員会は、「巨大津波は福島県沖を含め、日本海溝のどこでも起きる」という「長期評価」を発表しようとした。ところが発表の6日前、内閣府に置かれた中央防災会議はそれにストップをかけた。「そんな信頼性が低いものに、多額の防災費用をかけられない」というのだ。委員会の教授たちは受け入れることができないと抗議したが、内閣府は押し切った。当時は第一次小泉内閣だ。
続いて2004年2~5月、中央防災会議の専門調査会の場で、津波研究者たちは貞観津波を切り捨ててはいけないと訴えたが、結局、原発のある福島県沖は除外すると決まった。政治が科学を抹殺したわけだ。2008年、東電子会社が15・7㍍という津波予測値を提出したが、東電はこれも無視し、そして原発事故を引き起こした。
ところが2019年9月19日、東京地裁は、業務上過失致死罪で強制起訴されていた東電の経営陣3人に無罪判決をいい渡した。以上の事実が明らかにされたにもかかわらず。裁判所での被告人質問で、勝俣社長(当時)が「津波対策は立地本部がしっかりやってくれていると思っていた」「(地震・津波の報告は)理解しきれなかった」「(原発についての知識は)あまりなかった」と答えると、傍聴席の被災者らは騒然となったという。
日本の棄民政治の原点 戦争引き延ばした第二次大戦
こうして何万何十万という住民が故郷を奪われ、移住や避難生活を強いられてきた。福島県民の災害関連死は、2021年3月末までの10年間に2316人に達した。ほとんどが原発事故による避難者だ。
著者は、国は原発を推進してきた責任において、放射線被曝を含めて被害の全容を明らかにする調査プロジェクトを立ち上げ、被害者の補償と支援に尽くすべきだと強調している。だが、政府の原発事故調が最終報告書でそう提言しているのに、政府はいまだに被害の全容を調査する計画すら立てていない。
先の大戦の全国空襲についても、国は国民を戦争に動員しておきながら、敗戦後は空襲被害の徹底的な全国調査をしなかった。戦災の調査にとりくんだのは、各地の住民たちや自治体だ。公害の原点といわれる水俣病についても、調査どころか、高度成長の担い手だったチッソを擁護するために、政府は原因の特定を9年も遅らせ、水銀化合物の垂れ流しを止めず水俣病患者を増えるままに放置した。
著者は、このような国の棄民政治の原点を太平洋戦争に求めている。それに関していうなら、すでに日本の敗戦が決定的になって以降も、天皇はじめ戦争指導者の中枢は、自分たちの地位が保障される形で米英に降伏する条件を探るため、いたずらに戦争を引き延ばし、原爆や空襲や沖縄戦による国民の犠牲を増やし、戦後はアメリカへの隷属のもとで支配の地位を保ってきた。この歴史的事実について考えないわけにはいかない。
(毎日新聞出版発行、四六判・446㌻、定価1900円+税)