いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『権力にゆがむ専門知 専門家はどう統制されてきたのか』 著・新藤宗幸

 新型コロナウイルス感染症による社会経済の危機は、改めて政治と専門知との関係を問い直すものとなった。平たくいえば、安倍・菅政府が専門家の科学的知見を無視し続けた結果、社会は先の見えない混乱に陥っているということだ。

 

 たとえば安倍晋三の全国一斉休校の要請は、専門家会議に諮らない思いつきで、地域ごとの感染状況や今後の推計などエビデンスを無視したものだった。オリンピックによる感染爆発に対して菅義偉は「中等症・軽症患者は自宅療養を原則とする」といういわば棄民政策をとったが、これも同じ。そして専門家の側も、国民を守る側から政権に対して毅然とした態度をとってきたとはいえない。

 

 本書は、千葉大学名誉教授(行政学)の著者が、戦後の歴史を振り返りつつ、とくに安倍・菅政府の9年間に重点を置いて政治の責任を追及するとともに、専門家の側の弱点も指摘して、政治と専門家との関係はどうあるべきかを考えようとするものだ。

 

 1980年代の中曽根内閣時代、「私的諮問機関」なるものが乱造された。法令に根拠を持たず要綱などで臨機応変に設置でき、しかもそこに理系・文系の研究者や専門家を入れることで「民意を聞いた」と主張できるからだ。

 

 その典型が土光敏夫(経団連名誉会長)を会長とする第二臨調で、三公社(国鉄、電電、専売)の民営化、とりわけ国鉄の分割・民営化を推進した。国鉄問題をテーマにする第四分科会では、新自由主義の立場に立つ経済学者・加藤寛らが議論を先導した。彼は中曽根内閣のブレーンになっていく。

 

 このやり方を受け継いだのが第二次安倍内閣で、法律や政令で設置される審議会に加えて、それに根拠を持たない有識者会議が乱造された。安保法制懇談会、教育再生実行会議、働き方改革実現会議、全世代型社会保障検討会議、未来投資会議(産業競争力会議)、新型コロナ感染症対策専門家会議などがそれだ。有識者会議によって権力側が学者・研究者をとりこもうとし、その誘いに応える学者も少なくなかった。

 

 著者はそれぞれについて分析しているが、ここでは印象に残ったいくつかを記してみたい。

 

 まず、安保法制懇談会。個別的自衛権のみしか認められないとする内閣法制局の憲法解釈(歴代内閣の公式見解)や憲法学界の多数派の見解を覆し、米国の戦争に参加するための集団的自衛権行使を積極的に認めた。懇談会には防衛事務次官OBや統合幕僚会議議長OBもいたが、報告書の作成に向けてリーダーシップをとったのは北岡伸一(国際大学学長)だった。

 

 次に、働き方改革実現会議。非正規雇用の増加と格差の拡大や長時間労働・過労死が社会問題化しているなか、それを是正するどころかよりいっそう深刻化させる「実行計画」を発表した。「月100時間未満までの時間外労働を容認」「高度プロフェッショナル制度の導入」「外国人材の新たな受け入れ」などが盛り込まれた。有識者委員には、経団連会長・榊原定征、連合会長・神津里季生とともに、社会的平等や公正という規範が重視されるはずの社会保障法、労働法、労働経済の専門家が入っていた。

 

 福島原発事故後にもうけられた原子力規制委員会についても、次の点を指摘している。関西電力の大飯原発3、4号炉をめぐり、再稼働に向けて新規制基準にもとづく適合性審査が始まると、その最中に安倍内閣は委員長代理の島崎邦彦(日本を代表する地震学者の一人)と委員の大島賢三の再任を認めなかった。関電の「基準地震動」予測に厳しい見解をとり続けたからだ。

 

 後任には原子力学界のドンといわれた田中知(原子力工学の専門家)が任命された。このときロイター通信は、田中知が日立GEニュークリア・エナジーや大間原発を建設中の電源開発から巨額の寄付や報酬を得ていたと報じたが、政府は無視した。その後、原子力規制委員会は先の原発の再稼働を認めた。原子力規制委員の側からも人事について異議が出されたようには見えない。

 

 新型コロナ感染症対策専門家会議についても、著者は政治の側の科学無視を厳しく批判するとともに、専門家の側の弱点についても指摘している。公衆衛生学者を中心にした専門家会議の役割は、政権の政策を国民の生活(療養)実態と感性を踏まえて評価し、政権に疎まれようとも果敢に問題提起することだ。尾身会長は、東京オリ・パラの開催が迫る六月、パンデミック最中の開催について疑問を投げかけ、開催によって感染爆発の危険性があることを公然とのべたが、それを最後まで貫けず腰砕けに終わった、と。

 

 新自由主義とは、政府規制は市場経済を阻害するといって否定し、所得の再分配を基本とする福祉政策に反対するが、それだけでなく科学的思考を否定し反知性主義を横行させる――と著者は強調する。

 

 政府規制にしろ、福祉政策にしろ、それは人々の長いたたかいと叡智が築き上げてきたものだ。ところが専門知の養成機関であり、研究拠点となってきた大学も、新自由主義の波に呑まれ、大学間や研究者間の研究費獲得競争が煽られ、成果主義が浸透してきた。

 

 著者がいうように、権力者の行動に研ぎ澄まされた鋭い批判精神で臨むことは、人文・社会科学の本源的な営みである。そうした批判精神を否定することは、学問・研究の発展を阻害し、ひいては社会全体が旺盛な知的関心を失い衰退してしまうことにつながる。そのことはまた、権力者の不当な支配に屈し、国民全体を破滅的な戦争に導く手伝いをさせられた痛恨の体験から、戦後は軍事研究を拒否し続けてきた先人たちのたたかいを、いかに受け継ぐかという問題でもある。

 

 そのためには専門家が、細分化された専門分野へ閉じこもるのを改めて、常に市民の感性とともにあり、それをもとにして科学的知見を磨いていかなければならないと、著者は自戒を込めてのべている。  

        
 (朝日新聞出版発行、四六判並製・250ページ、定価1600円+税

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