舞台は東京の浅草と上野の中間に位置する、世界最大級の飲食店用品の問屋街「かっぱ橋道具街」のなかの、小さな料理道具専門店「飯田屋」である。創業から100年以上続くこの店も、1997年に3億7000万円あった売上が、2009年には1億円近くまで減少。赤字続きの経営に苦しむ母親を見るに見かね、その息子である著者がウェブサイト製作会社を辞めて6代目店主となった。
しかし、著者の初チャレンジは大失敗。「どの店よりも1円でも安く」と安売り競争に参戦した結果、売り場から日本製の高品質な道具は消え、韓国製や中国製、さらにはバングラデシュ製が増えて、客から「すぐ曲がった」「使い物にならない」というクレームが続出。長年ひいきにしてくれていた飲食店主らも離れ、信頼していた先輩社員も去った。
そんなときに出会った2人の救世主。1人は割烹着姿の料理人で、一番柔らかい食感の大根おろしができるおろし金を求めた。しかし、著者には商品知識はない。その場で大根を実際にすりおろしてみたが、満足のいくおろし金はない。「なんだよ、自分のところの商品なのに、わからないで売ってんのか。次までに探しておいてくれ」。
著者は商品を扱う商社やメーカーに尋ねたが、実際に食感を食べ比べた人はいなかった。そこで100種類以上あるものから気になる商品をとり寄せ、実際に食べ比べてふわふわした口どけの大根おろしができるおろし金を見つけた。「この食感だ! よく見つけたな! また来るよ!」。大将は満面の笑顔で帰って行った。
もう1人は、閉店間際に息を切らして駆け込んできたスーツ姿のサラリーマン。聞けば、子どもがニッケルアレルギーで、市販のケーキを食べさせられないんだとか。「自分の子がケーキのおいしさも知らずに大きくなっていくと思うと、なんか悲しくて。だったら、自分がつくってやろうと…」。しかし、彼が望むケーキ用の金型はなく、彼は何も買わずに店を出た。
専門店と名乗っていながら、なぜこれまで道具に本気で向き合って勉強してこなかったんだ…自問した著者は、「これがほしかった」「こんなのを探していた」と客を笑顔にする仕事をしよう、それは料理をすることを通じて食べる人たちみんなを笑顔にすることにつながると思い立つ。そのために必要なのは商品についての知識、それも書物やネットで得られるものではなく、実際にそれを使ってみてどうだったかの実践にもとづく知識だった。
このような著者の姿勢は、曾祖父である三代目が敗戦後の東京で、「自分たちにあう道具がない」と困っていた精肉店主らのために道具を販売し、オリジナル商品も開発して喜ばれたという経験を受け継いでいるともいえる。
本書には、飯田屋で評判になっている料理道具のかずかずがカラー写真付きで紹介されている。先ほどのおろし金だが、今では店頭には230種類のおろし金があり、おろした食感の違うものから、大根用、生姜用、わさび用、チーズ用、ナツメグ用とさまざま。お玉も0・1CCから2000CCまであり、そのうち5CCから100CCまでは1CC単位で常時在庫しているという。というのも、チェーン店の料理人は調味料の配合をお玉で配合しながら調節しており、「必要な量をすり切れひとさじですくえるお玉があると大変便利」といわれたからだ。
今の時代、「売上第一」「そのための効率化を」「品揃えを売れ筋に絞り込み、在庫回転率を高め、過剰在庫を持たないように」というのが経営再生コンサルタントのいい分であり、「アマゾンなら翌日に届けてくれる。実店舗は終わったコンテンツだ」という見方すらある。しかしそのなかで、届ける商品に愛情や思い入れを持ち、それによって人々の有用性に応えるという商売の原点がいかにないがしろにされているか。それは、長い目で見れば客の信頼を失わせ、経営をより困難にしていくことは、著者の経験からも明らかだ。こうして東京の下町でも、新自由主義的価値観からの転換が始まっている。
(プレジデント社発行、四六判・255ページ、定価1600円+税)