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『ルポ「命の選別」』 千葉紀和、上東麻子・著

 新型コロナウイルスが猛威を振るい、感染者は増え続け、医療現場は人工呼吸器もベッドも足りない。そのなかで「命の選別」を危惧する声があいついでいる。

 

 それだけでなく、2016年には「障害者は不幸を作ることしかできない」という加害者の男の発言が問題視された「やまゆり園」事件があった。2018年には、「不良な子孫の出生防止」を掲げた旧優生保護法のもとでの強制不妊手術に対し、被害者が国家賠償を求めて裁判を起こした。一方、科学技術が万人の遺伝子レベルでの差異を明らかにし、ゲノム編集で次世代の遺伝子改変も可能になるというニュースもあった。

 

 本書は「命の選別」をテーマに取材を続けてきた2人のジャーナリストによるもので、問題は以上のように多岐にわたる。そのなかで、本紙でも報道してきた新型出生前診断の問題点を追ったルポに注目してみた。

 

 「簡単な血液検査で、お腹の中の赤ちゃんにダウン症の障害があるかどうかが分かる新型出生前診断」と『読売新聞』が一面で報じたのが、2012年8月29日。すぐに他のメディアも追随した。当然にも市民団体や障害者団体、研究者らから強い反対の声が起こったが、当事者やこれらの団体との話し合いはなされないまま、日本産科婦人科学会が指針をつくっただけで、翌年4月に運用が始まった。始まりからして異常である。

 

 出生前診断のうち、従来からある「羊水検査」や「絨毛検査」は、妊婦のお腹に長い針を刺し、直接胎児の細胞を採取するので危険性もともなう。ところが新型出生前診断(NIPT)は、妊婦から大さじ一杯分の血液を採って最新の装置で分析する。妊娠した女性の血液には、胎児の染色体のかけらが胎盤から漏れ出て浮遊しており、血液中の特定の染色体が含まれる割合を標準値と比べることで、ダウン症など染色体数の変異にもとづく病気が胎児に生じるかどうかを推定する。これを「簡単、確実」「流産の心配もない」とメディアが宣伝した。

 

 このNIPTは、一例ごとにデータを蓄積する臨床研究という形で始まった。正式に認定された医療機関は、昨年1月段階で全国に109ある。多くが大都市の大病院だ。NIPTは自由診療で、健康保険はきかない。価格は医療機関が自由に決められる。現状では1回20万円前後のところが多いという。そして医療機関がやるのは採血して、集めた検体を検査企業に送るだけだ。認定施設が検体を送る送り先は、日本のジーンテック社がほぼ独占している。というのも同社は、この技術を開発した米国シーケノム社と国内独占販売契約を結んだからだ。

 

 本書によると、開始から2019年3月までに7万2526件のNIPTをおこない、「陽性」は1・8%に当たる1299件だった。確定検査をし、本当に陽性だったのはうち984件。そのうち妊娠を続けたのはわずか15件で、中絶率は9割をこえた。人々の心配は現実になり、「中絶のための検査」となっていることは明らかだ。

 

 さらに問題は、開始から3年過ぎた頃から、無認定でNIPTをおこなう医療機関が急増し、昨年7月で135カ所(推計)と認定施設を上回ったことだ。しかもその多くは産科や産婦人科以外の診療科で、妊婦を診ることのない美容外科も含まれている。

 

 無認定施設からの検体を、国内の検査企業は受けない。日本産科婦人科学会の指針に従っているからだ。そこで無認定施設は、仲介企業などを通じて、主に米国、台湾、スペインに拠点を置く3社に検体を送っている。

 

 先にも触れたが、2011年にこの技術を初めて実用化したのが米国カリフォルニア州サンディエゴに本拠を置くバイオベンチャー企業、シーケノム社だった。そして今、NIPTの世界市場は急成長が見込まれている。米国の調査会社の予測では、その市場規模は2028年までに、北米や欧州を中心に26カ国で約56・7億㌦(約6000億円)になるという。米国のイルミナ社、スイスのロシュ社、中国のBGI社など10社以上が覇権を競っており、これらの企業が最大のターゲットにしているのが日本市場だ。

 

 こうして「障害を持って生まれてくる子どもは社会問題になっています」などと妊婦の不安を煽って利益を上げる「不安ビジネス」が横行している現状を、本書は明らかにしている。

 

 東都医療大学の百溪英一氏は、この新型出生前診断によって障害を持つ可能性のある子どもの中絶が当たり前になれば、ダウン症を持つ子どもに対するいじめを促進するだけでなく、ダウン症を持つ人の医療・教育・社会福祉が無駄ではないかという議論や人間無視の考え方の台頭につながり、障害を持つ人全体、さらには老人や病気を持つ人への差別にも発展し、ひいては障害を持たない人を含めた基本的人権の崩壊につながりかねないと批判している。

 

 本書のなかでは、遺伝カウンセリングにやってきた幾組かの夫婦の「一度流産したことがあり、心配で…」とか「うちは共働きで、正直なところ障害のある子が生まれて、私が仕事をやめないといけなくなるのは考えられない…」などの不安の声も紹介している。問題は、そうした切実な悩みをも利用して、ビジネスの食い物にしてはばからない輩がいることだ。

 (株式会社文藝春秋発行、四六判・326ページ、定価1700円+税

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