この本を読みながら、ときどき訪れる近所の店の店主の顔を思い出す人も多いはずだ。
フリーライターの著者にこの物語を書かせたきっかけは、東京・阿佐ヶ谷のとある文房具屋店主との会話である。「これと同じものをください」と100円そこそこのボールペンを持って行ったところ、「ダメダメ。もったいない。替え芯がある」と60円の替え芯を差し出された。目先の利益よりもお客のため、地域のため、子どもたちの未来のため…。大量生産・大量消費の量販店やコンビニではこうはいかない。
こうした心意気の店を求めて東京やその近郊で訪ね歩き、佃煮屋、豆腐屋、青果店、魚屋、自転車屋、時計眼鏡店、生花店、銭湯など18店舗のドキュメンタリーを一冊にまとめたのが本書だ。著者は、あるときは午前6時に豆腐屋の作業場におじゃまし、店主の話を聞きながら「一番搾り」の豆乳を堪能したり、またあるときは魚屋の女将(80代)と一緒に早朝の豊洲市場の仕入れに、地下鉄やバスを乗り継いで息せき切って行ったりする。しかも創業数十年から100年以上という店舗が多く、そこで語られる話は関東大震災、東京大空襲、焦土からの復興やバブル期の地上げの影響など歴史的重層的で、そこから店主一家と地域の人々の喜怒哀楽も垣間見える。
精肉店
その中の一つ、京浜東北線鶴見駅を降りて徒歩15分のシャッター商店街のなかにあるのは「かなざき精肉店」。店頭には「当店の牛肉、豚肉、とり肉すべて国産です」との貼り紙。牛肉については「黒毛和種 和牛 肩ロース 長崎県産」「黒毛和種 和牛 シャクシ 山形県産」など売っている物の素性をステッカー表示している。
「いい肉は、手で触ったら感覚でわかるんですよ」「牛の良い悪いは遺伝子。持って生まれてきた質だろうね」「牛を見るの、これで一人前ってないのよ。一生、勉強」とは店主兄弟の意見。
カレー用の肉を買いに来る客が来たら、「どれくらいの時間、煮込むの?」と聞き、「一時間ぐらい」と答えると、「わかった。じゃあそれ用のにするね」という。年配女性が若鶏のモモ肉を買いに来たら、「焼くの?」と聞き、「味、つけとくね」といって一口大に切ったうえ塩胡椒し、白ワインを一振りしてなじませる。陳列ケースに並ぶコロッケやハンバーグ、カツ、肉団子などは一から手作りで、創業以来焼くときに出る旨味を継ぎ足し、継ぎ足ししたタレが決め手だ。
夜7時の閉店時間が過ぎると外の電気を消し、それから近隣の14の保育園から納品を頼まれた、給食用の肉の準備にかかる。「食べるのが子どもだから、小さくカットしてあげなきゃいけなくてさ」。すべての作業が終わると、日付けが変わっていることもしばしばだ。
靴屋
神田神保町には「足にやさしい靴を見つけるお店」、「ミマツ靴店」がある。前身は能楽師のための老舗の足袋屋で、1930年から靴屋になった。
著者が試しにパンプスを履いてみると、店主は著者の足の小指近くの靴の表面に軽く触れ、「ここが少しきつくないですか?」と聞く。いつもの靴擦れの箇所だった。1、2分後、調整されたパンプスが運ばれてきた。店主は「計測して数値を出しても、その数値がそのお客さんの履き心地に合うかどうかは別なんですね。ゆったり目がお好きな方も、きっちりの方が履きやすいという方もいらっしゃいますから。直感というか何というか、長年やっているとお客さんの足がわかるんですね」と話した。
「足にやさしい靴」を打ち出したのはいつから? と聞くと、店主の妻が「3・11後です」と即答。公共交通機関がすべて止まり、多くの人が徒歩での帰宅を強いられたあの日、店に次々と女性が駆け込んできた。高いヒールの靴では遠方まで歩いて帰れないので、低い靴やウォーキングシューズに履き替えるためだ。在庫が尽きるまで家族総出で店頭に立ったあの日を境に、売り場を変えたという。
玩具店
麻布十番商店街にある「コバヤシ玩具店」は、創業が明治元年なので、150年をこえる歴史がある。戦争で麻布は丸焼けになったが、敗戦直後に地域振興会商業協同組合が組織され、バラック建て40戸の長屋マーケットとして再建された店の一つだ。
現在は45歳の女性店長が後を継ぐが、店に電子ゲームの類いを置かないのが矜持だ。「一人で完結する遊びを推奨するのは如何なものかと。人とコミュニケーションをとりながら遊ぶのが、おもちゃの基本だと思えるんですね」と店長はいう。
レジで1万円札を出す子どもには、「こんな大きなお金は、おうちの人と一緒に買い物に来るときに使ってね」とやめさせたり、夜一人でやってくる子がいると、親が夜の仕事で、一人で留守番するのが寂しくなって来たことを察して対応したりする。万引きする子を捕まえても警察には通報せず、親が店で謝る姿を見て子どもが反省するよう促す。量販店やネットショップではこうはいかない。
店長は「私は子どもがいませんが、おかげで多くの子どもたちの成長につきあっていけるのが嬉しい。微力ながら、少しはお役に立っているかなあって…」と語っている。
こうして個人商店は、各商品の専門家である店主が料理のレシピや食生活をアドバイスする対面販売の場であり、地域の人々の交流の場であり、子どもたちが育つ場である。「絶滅危惧」という表現はコロナ禍で一気に現実味を増しているものの、地域の歴史や文化が詰め込まれた財産であり、このような時代だからこそその社会的価値をもう一度問い直したい。
(筑摩書房、223ページ、1500円+税)