日本のメディアが日々流す世界のニュースのなかで、米国に関するニュースは群を抜いて多いが、そこで米国社会の真実が語られることは少ない。本書は米カリフォルニア州在住の映画評論家である著者が、昨年8月から今年7月までに書いた現地報告をまとめたもので、コロナ感染拡大に対するトランプ政府の対応や米大統領選をめぐる動き、ブラック・ライブズ・マター(BLM、「黒人の命も大切だ」)運動の特徴など、日本のメディアが触れない事実を伝えている。
新型コロナの感染者、死者とも世界一多いのが米国で、10月26日現在で感染者は863万6168人、死者は22万5230人だ。その背景には、ここ40年の新自由主義政策で医療や福祉が徹底的に切り捨てられてきたことに加え、トランプ政府にコロナを抑える気がなかったことがある、と著者は見ている。トランプは11月の大統領選で再選されるために、国民の命を危険にさらしてまで経済を回そうとした、と。米政府のコロナ対策の責任者ファウチ博士も議会でそのように発言している。
『ニューヨーク・タイムズ』や『タイム』は「トランプがコロナとの戦争に負けた理由」を分析しているが、共通するのは次の点だ。
第一に、トランプは1月30日に中国との行き来を制限したが、ヨーロッパからの渡航は、3月11日にWHOがパンデミックを宣言するまで規制しなかった。その間にニューヨークにコロナウイルスが入り、医療体制の準備も遅れた。
第二に、大統領としてコロナ対策を指揮せず、各州に丸投げした。3月19日にカリフォルニア州が単独で外出禁止令を出し、他の州も続いたが、各州の対応はバラバラだった。3月4日、カリフォルニア、ニューヨーク、ミシガン、イリノイなどの州で呼吸器や医療従事者の個人防護具が不足したが、連邦政府の支援が遅れ、各州が独自に調達しなければならなかった。
第三に、トランプは一刻も早くビジネスを再開しようとした。感染が広がる3月、トランプは4月12日までにビジネスを通常通り再開せよと指示した。カリフォルニア、ニューヨーク、ミシガンなどの州が時期尚早だと反対すると、「反対するのは民主党の州知事ばかり」と避難し、トランプ支持者の白人至上主義者たちが武装して各州庁舎を襲った。逆にテキサス、フロリダ、アリゾナ、ジョージアなど南部の共和党の州知事たちは5月にはレストランなどを再開し、6~7月に感染爆発となった。
第四に、CDC(米疾病予防管理センター)が米国民にマスク着用を勧告したのに、トランプはマスク着用を拒否した。ビジネスの再開アピールのためだ。おかげで自分自身も感染し、ホワイトハウスに感染を広げた。
著者は、わずか1%の超富裕層が全米の富の半分を支配する社会の異常さを訴えている。この超富裕層はコロナ禍のなかで所得をますます増やした。というのも、彼らの収入の多くは持ち株の配当だが、株式投資を促すために株式収入への課税率は低くおさえられているからだ。
1981年に大統領になったレーガンは、それまで70%だった富裕層の課税率を28%に下げ、法人税を34%に下げた。さらにトランプが富裕層の税率を23%に、法人税を21%に下げた。そして富裕層はあり余ったカネの一部を使い、減税や社会保障の削減、環境規制の緩和などを実現する政治家を献金などで支持してきた。富裕層は共和党だけでなく民主党にも多い。
そのなかで米国社会がいかに痛めつけられてきたかが、著者の報告のなかからもうかがえる。
今、全米でホームレスが50万人以上いるといわれる。しかもその4割がワーキング・ホームレス、つまりファストフード店やスーパーなどで働きながら家がない人だ。都市部では家賃が上がるスピードに労働者の給料が追いつかないからだ。ニューヨークのマンハッタン、サンフランシスコ、ロサンゼルスなどでホームレスが急増している。
給料が減ったり、離婚したり、病気になったりすれば一瞬で家を失う。それでも職があったり子どもがいる場合はホームレス・シェルターに入れるが、今はそれも満員で、路上にテントがあふれている。トイレもなく不潔だから、結核や肝炎が蔓延し、ロサンゼルスだけで年間5000人が路上で死んでいる。そこをコロナが襲った。
しかも国民皆保険がなく、民間保険にも入っていないと、コロナのPCR検査だけで1331㌦(約14万円)、陽性で隔離入院になると4000㌦(約42万円)、という状況が事態をより深刻にしている。
民主党候補バイデンの正体
こうしてトランプ批判は強いが、それが民主党のバイデン支持になるかというと、そうはなっていないと著者はいう。バイデンは大企業よりで、金持ちで、セクハラ疑惑もあり、女性や貧困層やマイノリティからまったく人気がない。「古き良きオバマ時代」をいうだけで、サンダースのように国民皆保険も奨学金無償化もいわない。米国は今、200万人が刑務所に収監され、その多くが黒人で、その囚人労働を搾取する刑務所ビジネスでもうける産獄複合体が形成されているが、バイデンはその元となった1994年暴力犯罪抑止刑事行政法(通称「バイデン犯罪法」)制定の責任者だった。
そのなかで「ブラック・ライブズ・マター」の大運動に著者は注目している。警察に抗議する20代を中心にした人種をこえた人たちと、連邦政府や銀行やグローバル企業の建物を破壊するアナキストと、騒ぎに乗じて商店街を略奪する連中とは、目的も行く場所も違うのに、トランプもメディアも三者を一緒くたにして「テロリスト」と呼ぶ。だが、この運動は瞬く間に全米に広がり、コロンブス像などの引き倒しに進んで、数百年にわたる白人支配層の闇の歴史を表に出す動きに発展している。
さらにシアトル市では、抗議する住民が警察署を包囲し、それに警察が催涙ガスや衝撃手榴弾などで応戦すると、それをテレビで見た市民がかけつけて群衆が膨れ上がり、10日間の攻防の後、警察は重要書類をトラックに詰め込んで逃げ出した。こうしてシアトル市には自治区ができ、住民みずから暴力や犯罪行為をとりしまり、全国から寄せられた食料を配布し、夜になると人々が集まってマイクを回して米国の将来について語り合っているという。そこで語られるのは警察の予算削減や警察の解体だが、それは先の産獄複合体の解体につながる深遠な内容を含んでいる。
共和党vs民主党の外側で、米国民の大きなうねりが起こっていることがわかる。
(株)文藝春秋発行、四六判変形・263ページ、定価1200円+税)