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『82年生まれ、キム・ジヨン』 監督・キム・ドヨン

映画の一場面から

 2015年に韓国でベストセラーになった小説が映画化された。それは子どもを産み育て家族を支えて毎日を懸命に生きる一人の女性の物語であるが、就職、結婚、出産など人生のステージのなかで現代社会に生きる多くの女性が直面するであろう普遍的な真実を中心において描くことで、強いメッセージを放っている。

 

 映画はジヨンの慌ただしい日常から始まる。キム・ジヨンは33歳、結婚3年目。忙しなく育児と家事に追われる彼女の目は、どこか虚ろだ。IT企業に勤める夫と、娘アヨンとの3人暮らしは幸せだけど、育児を選ぶことで仕事を諦めなければならず、社会との断絶を否応なしに痛感する日々。公園で娘を遊ばせていると「ママ虫。いいご身分だ……」と心ない言葉をかけられる。

 

 そんな彼女は、ある日パン屋で仕事をしようと決意するものの、夫からは「お金がないわけじゃないから働かなくていい。家にいて子育てすればいい」といわれる。社会との接点を持ち一人の人間として生きたいという、根底にある願いは理解されない。さらに夫の実家を訪れた時、ジヨンは一瞬たりとも休むこともできず、家にやって来る親戚のためにひっきりなしに世話をしなければならない家政婦のような待遇に、彼女のなかで積もり積もった感情がはじけ、心が壊れていく。

 

 彼女はふとした瞬間に、別人のような言動をするようになる。ある時は母のような口調で話したり、ある時は祖母のような口調で話したりする不思議な言動は、まるで、これまで女性たちが心の中に閉ざしてきた思いを、ジヨンの身体を通して吐露しているようにも見える。

 

 ジヨンの母は兄弟のなかで成績が最も良かったものの、弟の進学のために工場で働き、教師の夢を諦め、3人の子どもの母親として人生を歩んできた。

 

 ジヨンは、女性は子どもを産み家庭に入るという「常識」や、男児を出産すれば喜ばれる風潮、女性が男性の享楽の対象にされることに違和感を抱きながら成長してきた。ところが自分の意志とは裏腹に、ジヨン自身も就職、結婚、出産の過程で、子どもを預かってもらうシッターが見つからず、働いても保育料を稼ぐので精一杯という厳しい現実に直面する。ジヨンは人生を振り返りながら、自分自身の心と向き合っていく。

 

 心が壊れかけたジヨンの理解者となるのは周囲の女性たちだった。ジヨンの実力を評価し、一緒に働きたいと声をかけた元上司。就職が決まらず、ジヨンに「家でおとなしくして嫁にいけ」という父に、怒鳴り返して「思う存分出歩きなさい」といった母親。人生の先輩である女性たちが、かつて同じように苦い経験をしたからこそ、これから生きる若者たちには一人の女性として、社会人として堂々と生きてほしいと願いジヨンを温かく包み込み、そっと背中を押す眼差しは心をうつ。

 

 この映画は一方的に女性の権利を主張するような内容ではない。夫のデヒョンは妻の豹変に驚き戸惑うが、何に悩み苦しんでいるのかを当初は理解できなかった。妻を大事に思う気持ちは強いのだが、「子どもが産まれれば女性が仕事をやめて育児を」という価値観そのものが妻を苦しめていたことに気づく。韓国では日本以上に家父長制が強く、男性のなかに潜在意識として形成された女性観そのものが、女性蔑視や差別の温床になっていることを思わせる。映画は派手な演出もなく、誰もが直面する日常をリアルに描くと同時に、ジヨンたち夫婦が苦しみながら互いに理解を深め男女が肩を並べて生きていく方向を見出そうとする心理的な動きを丁寧に描写し観る者に考えさせる。

 

 この小説が書かれた2015年、韓国では女性をバカにする暴力的な言葉を使ったお笑い芸人が番組を降板したり、韓国最大のポルノサイトで盗撮やレイプの共謀などの話題などが公然とやりとりされていたことが明るみに出た。そのような社会的風潮のなかで小説は生まれ、ベストセラーとなり、その女性たちがその後さらに政治意識を高め朴槿恵前大統領の弾劾訴追運動にも合流していったという。

 

 原作では、キム・ジヨンが高校生のときにIMF危機の影響でリストラの嵐が押し寄せ、公務員としてまじめにコツコツと生きてきた父が退職勧告を受けたこと、不況が続くなかで大学では学費が物価上昇率の倍以上に達し、友人たちが次々に休学していった経験など、韓国社会で生きる30代世代が経験してきた社会的問題がちりばめられている。

 

 小説に続きこの映画も370万人をこえる人々が観劇し、韓国では一つの社会現象になっているという。映画とともに原作となった小説もぜひおすすめしたい。

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