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『魚食の人類史』 著・島泰三

 本書は1960年代の下関、ある鮮魚商の店先から始まる。著者の母は下関市彦島で鮮魚商を営んでおり、マイワシ、ウルメ(イワシ)、カタクチイワシ、またケンサキイカ、ヤリイカ、スルメイカを区別して売り、「これは今が旬」というのが口癖だった。著者の祖父は天草の漁師であり、父も長兄も船乗り、母方の祖母は日本の港で唯一の女性労働者「ごんぞう」の一人だった。

 

 「早朝の下関漁港には活気にあふれる日常があった。漁船は岸壁に列をつくり、魚を満載した網籠をクレーンで吊りおろしていた。働き者揃いのおばさんたちが選別台で選り分けた魚が魚箱(トロ箱)に流し込まれ、それを若い衆が引き込み線に並んだ貨車に次々と積み込んで、周りでは仲買の男たちが大声を上げて売り買いをしていた」。当時、下関漁港は西日本でも最大級の漁港だった。

 

 ところが2004年には下関漁港の取扱漁獲量は1万6967㌧と、最盛期(1966年)の7%にまで落ち込んだ。これは日本の漁業が自給率113%を誇っていた20世紀半ば(1964年)から、57%に急落した21世紀(2015年)への時代の転換とほぼ一致している。

 

 本書はサルの野外研究を生涯続けてきた著者が、日本の漁業の現状を憂えて、人類がサルであった時代までさかのぼって人類と食の問題を検証し、魚食文化の復活を訴えたものである。

 

メソポタミア文明と漁獲

 

 著者によれば、樹上生活者である霊長類が、食物として魚をとり入れる例はごく少ないという。

 

 一方、最新の研究によると、人類の祖先であるホモ・サピエンスは35万年前かそれ以前にアフリカで誕生し、アフリカで旧石器文明を築いた後、4万~5万年前にヨーロッパに進出し、ユーラシア大陸に広がった。アフリカの10万~20万年前の遺跡から、彼らはオモ川やナイル川などの水辺で魚介類を食べていたことがわかっている。そして、すでに4万年前にニューギニアでヤムイモが栽培されていたように、東南アジアではイモ類を栽培する農耕が中近東の農耕よりもはるかに古くからおこなわれていた。そのタロイモ(サトイモ)がある河川周辺や湖沼まわりの低湿地は、古い漁労の適地だった。

 

 時代は下り、メソポタミアの肥沃な三日月地帯では約1万年前から小麦、エンドウ、オリーブの栽培とヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタの飼育が始まった。近年、シュメール中心地のエリドゥ遺跡(イラク)で18㌢も積もった魚骨の中に祭壇が見つかり、メソポタミア文明が河口の豊かな漁獲に支えられていたことがわかってきた。農耕とともに漁労が、人類が文明を築いていく原動力だったわけだ。著者は、ホモ・サピエンスの裸の皮膚や華奢な骨格は生存競争に向いているとはいえないが、逆に水辺での生活や漁労には適していると指摘している。

 

日本人と海藻と腸内環境

 

 本書後半の舞台は日本で、日本列島は約1万年前の後氷期から温暖な気候に変わった。この時期の縄文遺跡・貝塚(東北から九州まで836)をある研究者が調べたところ、貝類353種(ハマグリ、カキ、アサリ、オキシジミ等)、魚類71種(マダイ、スズキ、クロダイ、マフグ、ヒラメ等)、その他エビ類、カニ類、バフンウニ、ムラサキウニなど豊富な魚介類が出土している。青森県山内丸山遺跡からは、体長1㍍と推測されるマダイの骨と、釣り針が出土している。

 

 これらは山とともに海の恵みの豊かさを示している。それは、南北3000㌔におよぶ日本列島を取り囲む4つの海と4つの海流のたまものであり、そして3000㍍をこえる高山と260以上の活火山を有する険しい地形が、大小6800の島々と半島、岬と浦々、内海と水道と無数の河川と湖沼という、世界に類を見ない多様な水世界をつくり出しているからだ。

 

 続いて著者は、大伴家持が、夏の産卵期にマグロが沿岸近くにあらわれたのをヤスで突いてとる様子をうたったように、『万葉集』には魚をうたった歌が数多いこと、12~14世紀の絵巻物で、漁労の現場や魚を売る市場を描いたものが多くあること、江戸時代には日本橋にあった魚市場(築地市場の前身)が江戸の台所として繁盛したこと、などの歴史をたどっている。

 

 また、日本列島周辺では約1200種もの種類の海藻が知られており、それは世界有数の多さだという。そして、いにしえから海藻を食してきた日本人には、海藻の細胞壁を分解する酵素を持つ細菌が腸内に共生しており、これは人類の中では日本人の腸の中だけ--という話には驚かされる。人の腸内細菌は3万種、100兆~1000兆個といわれるが、腸内細菌の突然変異によって新しい食物をとり入れられるようになる進化は、生物史的には大進化に属するそうだ。

 

 ところがその海藻の森が日本列島沿岸から消えている。それはイカ漁が衰退し、また日本沿岸から沸き立つような魚の産卵風景が見られなくなった時代と対応している。著者はその原因として、沿岸の埋め立てによる環境破壊を指摘するが、水産物の自給率低下については、200カイリ問題や農水産物の輸入増大という政府の対米隷属外交がおおいに関係している。その結果としての食生活の欧米化は、日本人の健康にも影響を与えないわけにはいかない。

 

 著者によれば、北大西洋のタラが乱獲によって、2006年には1970年の資源量の16%にまで減ってしまったが、北大西洋沿岸諸国が国の垣根をこえて協力し、今では資源量を半分にまで戻すことができたという。それが日本でできないはずはない。日本の水産関係者と研究者との協力、周辺諸国の協力によって打開策は見出せるのではないかと思わせる。と同時に、漁業法を改定して漁業権を民間開放し、日本の沿岸を大企業のためのリゾート開発や洋上風力発電建設の草刈り場にするなど論外であることを教えている。

 

(NHKブックス発行・238ページ・1400円+税)

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