いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『災害ユートピア』(レベッカ・ソルニット著)にみる 災害の中で生まれる人々の連帯感

 新型コロナウイルスの感染拡大のなかで、ときどき信じがたいニュースが飛び込んでくる。コロナ感染患者の治療に奮闘する病院で、そこに勤務する看護師の子どもが保育園から登園を拒否された。学生のクラスター感染が発生した大学に、「火をつけるぞ」という脅迫電話があった。困難ななかで営業を続ける飲食店の看板に、「死ね」「つぶれろ」という落書きがされた……自己防衛の不安が高じて、他人を攻撃する排外主義的な意識が生まれているのである。

 

 だが他方で、みんなが困難なときだからこそ、お互いに助けあい、みんなのために積極的に行動しようという連帯意識も強まっており、それは市民生活のさまざまな面にあらわれている。

 

 アメリカ在住のノンフィクション作家レベッカ・ソルニットは、1965年と2003年のアメリカ北東部大停電、1989年のサンフランシスコ湾の大地震、2005年にメキシコ湾を襲ったハリケーン・カトリーナの現場を取材して次のようにのべている。大災害はそれ自体は不幸なものだが、その瓦礫のなかから、高齢者や子どもを助け、自分のためよりもみんなのため、地域社会のために行動する意識が人々のなかに芽生え、政府の棄民政策にもかかわらず、この連帯意識が大きな流れになってどんなに被災地を立て直してきたかに気づいた、と。それをまとめた『災害ユートピア』(亜紀書房発行、高月園子訳)が、今再び注目を浴びている。

 

 そのなかからハリケーン・カトリーナの経験を見てみたい。

 

 2005年8月29日早朝、巨大ハリケーンが、ミシシッピ川河口の港町であり、貧しいアフリカ系アメリカ人が大半を占めるルイジアナ州ニューオーリンズを襲った。前の週の終わりに避難命令は出ていたが、車もガソリン代もなく、行き先もない数万人がとり残されていた。多くが高齢者や病人で、小さな子どもを抱えた母親や、散り散りになるのに耐えられなかった大家族などだった。

 

 それは強烈な嵐という自然災害に始まり、堤防の決壊で街の8割が冠水し、電気やガスや水道などのライフラインのすべてが破壊された。水の流れが落ち着いた数日後から、水と食料と医薬品の不足、そして高温と不潔さの中で次々と死者が出始めた。

 

 このときメディアは、ニューオーリンズの避難所の黒人たちがそこら中で子どもをレイプし、商店を略奪し、大量殺人をおこなっているというニュースを流した。黒人や貧乏人に対する偏見に満ちた、根拠のないデマだった。しかし国土安全保障省の緊急事態管理庁は「ここは安全でない」といって、ボランティアの救出隊員、支援物資を積んだトラック、医療施設や飲料水を積んだ艦船をすべて追い返した。

 

 さらに当時のブッシュ政府はイラクの戦場から帰ったばかりの軍隊や民間警備会社を投入して、ニューオーリンズの何の罪もない黒人たちを銃撃し始めた。地元の警察は、殺人事件の捜査はいっさいしないようにと上層部から命令されていたという。犠牲者の検死報告書が数百枚も隠蔽されていたことが後になって判明している。

 

 ある女性はこう証言している。「メディアが避難所のギャングといったのは、スラム街で一緒に育ち、大人になってもつるんでいる男の子たちのことで、彼らは自分たちの力でレイプを防ごうと決めて行動していた。彼らが商店で盗んだのは、赤ん坊のためのミルクや、お年寄りたちのための水や食料だった。もう営業している店はなく、お金は役に立たなかったから」。

 

 政府はさらにこの大惨事を、私腹を肥やす機会に利用しようとした。ニューオーリンズ中のすべての公立学校の教師を解雇し、私立のチャータースクールに替えたし、公営賃貸住宅を閉鎖した。公共サービスの民営化と貧困者の締め出しというショック・ドクトリンを実行したのだ。

 

 国がニューオーリンズの住民に対して棄民政策を実行している真っ最中に、国中で政府に対する激しい怒りと、力になりたいという強い欲求を持つ人々があらわれ、具体的な支援に立ち上がったと、ソルニットは書いている。

 

食事や医療ボランティアも 被災者とともに

 

 ボートを所有する何千人ものボランティアが、ニューオーリンズ内からも、周辺の街からも、もっと遠くからも人目を忍んでやってきて、住民を避難所に運んだ。

 

 洪水の後には、外には泥と瓦礫が、屋内には毒性のあるカビが残り、高齢者たちを呆然とさせていた。そこにボランティアが全国から波のように押し寄せ、家の解体や瓦礫の撤去、人が住める街をめざす長くてきつい道のりを共に歩み始めた。食事や医療を提供するボランティアもいた。のべ数千人の大学生が休みを利用して交替でやってきた。

 

 地元の人々も立ち上がった。元会計士の住民が立ち上げた下9区住民権利拡大連合は、新しい建築基準法に関連した膨大な役所仕事を引き受け、戻ってきた人々が直面する繁雑な手続きを助けた。住民の行動によって、低所得者住宅を全廃しようとする市の案は阻止された。ホーリークロス町内会は、人と人とのつながりやコミュニティの再建に向けて活動を始めた。その一人は「全国から仕事を抜けたり、学校を休んだりして手伝いに来てくれているのに、私たちが後ろ向きの気持ちになるなんてことは、絶対にあってはならないって、いつも話してるのよ」といっている。

 

 ある医師のグループは災害から数日後に現地にクリニックを立ち上げ、一日に100人から150人の患者を診た。かれらは自転車で地域の一軒一軒を回って住民の安全を確かめ、住民に分け隔てなく治療を施し、人種間の対立をなだめた。彼らのモットーは慈善でなく団結であり、被災者とともに働くことだ。そして「権力者たちが義務を果たさないでいるのを見て、ただ憤慨するだけではなく、具体的で実体のある行動に出ることが大事」とのべている。

 

 こうした動きを見てソルニットは、彼らはこれまでとは違った人間になって国中の故郷に帰っていき、自分たちの経験を語っているが、そうした変化が国の将来にとって重要なのだと書いている。

 

 現在の日本でも、厳しいコロナ禍の経験のなかから、どんな社会をつくるかということが真剣に模索されている。この数十年間、大企業の利潤と株主利益を第一とする新自由主義と自己責任社会のもとで、自分を守るために他人を攻撃する凶暴な個人主義イデオロギーが浸透した。しかし絶望的な状況のなかで、隣人を助け地域を守るために自己犠牲的に、ポジティブに行動する意識が生まれるのは、人々が本来は社会的なつながりや人のために役立つ意義のある生き方を求めていて、そのことに喜びを感じるからではないか。そして、今の経済や社会の仕組みそのものが、その妨げになっているということではないだろうか。

 

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この記事へのコメント

  1. 佐々木洋美 says:

    今買う予定のうちの1冊です
    他はカミュの『ぺスト』
    ブっクオフにもチェックしに行くけどなかなか無いです
    新刊で買おうとしたら売り切れだったりするし・・・(-。-;)
    求職中で時間はあるので活字は沢山読みます

    積ん読状態を解消しなきゃな―

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