アメリカ・トランプ政府によるイラン司令官殺害の暴挙と自衛隊の中東派遣という年初からの動きのなかで、イランやイスラム文化圏についての関心が高まっている。今、世界には18億人以上のイスラム教徒(ムスリム)がおり、その数はキリスト教徒に次いで2番目に多い。そしてムスリムの半数以上がアジアで暮らしている。日本で生活する外国人ムスリムは12万~13万人で、その他に日本人ムスリム(ほとんどが結婚してムスリムに改宗した日本人女性)やその子ども(ムスリム第2世代)が約1万人いる。最近ではムスリムの技能実習生や留学生、観光客も増え続けている。
本書は、日本でいかにムスリム社会が広がっているか、そのなかで日本人と彼らとが共存していくうえでなにが課題になっているかを明らかにする目的で書かれた。著者は立教大学社会学部兼任講師、上智大学アジア文化研究所客員所員で、本書を書くに当たって外国人ムスリムや日本人ムスリムに対して長期にわたるインタビューをおこなっている。
イスラム教は約1400年前にアラビア半島で始まった宗教で、多数派であるスンナ派の信仰の基軸は六信五行といわれる。六信には、唯一神であるアッラーに従うこと、神の啓示を受けた預言者ムハンマドを尊敬すべき対象とみなすことなどが含まれる。五行とはムスリムに義務づけられている宗教行為で、信仰告白、1日5回の礼拝、喜捨(自分の財産から決められた額を貧しい人々に施す)、ラマダーン月におこなう断食、サウジアラビア・メッカへの巡礼、のことだ。信仰心の厚いムスリムであればあるほど、非イスラムの国に居住しても教義を厳格に守る生活を続けようと努力するという。
こうしたムスリムが急増したのは1980年代後半のバブルの時期で、東南アジアやイラン、パキスタン、バングラデシュから20~30代の青年が出稼ぎ労働者としてやってきて、建設現場や工場労働に従事したが、バブル崩壊で街頭に放り出された。その他、給料が未払いであったり、健康保険証を持たないために入院費300万円を周囲のムスリムや日本人の助けで払ったという事例を、著者は報告している。それでもビザの期限が切れても日本で働きたいという人が多く、そういう人たちは超過滞在を隠すか、日本人の配偶者を見つけて配偶者ビザを取得した。そのなかで日本人イスラムや第2世代が増え、各地にモスクや簡易礼拝室ができた。
1993年には技能実習制度ができ、2008年からはEPAによるインドネシアやフィリピンからの看護士や介護福祉士の受け入れが始まった。インドネシアは世界一ムスリムが多い国で、人口の87・2%、2億2000万人がムスリムである。
そして昨年4月に入管法が改定され、外国人労働力を単純労働に大規模に導入することが可能になった。今現場で起こっているのは、地方で働く外国人が最低賃金最高額の東京に集中してしまい、地方の人手不足に拍車をかけていること、日本語教育や社会保障、子どもの教育などを政府が地域住民のボランティアに丸投げしていることだ、という指摘は見逃せない。
ムスリムなどの外国人を、低賃金で劣悪な労働条件を課すことのできる使い捨て労働力とみなす政治に根本問題がある。これは食文化でも同じで、ムスリムにとっての安全安心に飲食できるものを「ハラール」といい、とくに豚由来の食材や調味料が使われていないか、アルコールが使用されていないかどうかが問題になる。しかし日本の企業はイスラム教についての理解がないまま、ただもうかればそれでよいとハラール・ビジネスに乗り出し、さらにはハラール認証をとってイスラム諸国に日本製品の売り込みをかけている。そのことがひんしゅくを買っているようだ。自然派志向の強いムスリムは、日本の食品添加物に対する法規制がヨーロッパと比べて弱いことにも不安を感じているという。
歴史的に見ると、日本とイスラム圏を最初に結びつけたのは、1890(明治23)年のオスマン帝国の軍艦エルトゥール号座礁事件だった。和歌山県沖で嵐にあって沈没した事件だが、このとき大島村(現在の串本町)の村民たちが必死の救護活動で乗組員600人のうち69人を救助し、日本の軍艦でトルコに送還して友好の絆が生まれた。その後、第二次大戦中には天皇制政府が、反ソ連のためにムスリムを招聘して利用するという不幸な歴史もあった。現在、日本政府はアメリカにいわれるままに中東に自衛隊を派遣しているが、こうした対米隷属の政治が友好・平和の障害になっていることは明らかだ。
ムスリムというと厳格な戒律ばかりに目がいきがちだが、日本で暮らす彼らは、日本がいかに欧米文化に侵食され、日本の伝統的な文化を忘れ、享楽主義の蔓延の下にあるかを指摘しており、はっとさせられる。
(朝日新聞出版発行、B6判・267ページ、定価1500円+税)