著者は米カリフォルニア州在住のサイエンスライターで、6年間、大学の臨界実験所でイカの繁殖習性を研究したり、カリフォルニア湾でイカ釣りの実習を経験したりした。
イカは、海の中に向けて開く外套膜へ水を吸い込み、漏斗(ろうと)と呼ばれる部分から勢いよく水を噴射して水中を突進し、なかには空を飛ぶものもいる。突進するとき、スルメイカは秒速11㍍で泳ぐことができる。ウサイン・ボルトより速い。
イカは獲物の魚を見つけると、数百分の一秒で2本の触腕を飛び出させ、吸盤でしっかりつかまえて引き寄せる。そして8本の腕で抱え込み、クチバシ(カラストンビ)で獲物の脊髄を切断。ヤスリのような舌を使って身をこすりとり、少しずつ呑み込む。仲間を食べる共食いが、食事の42%にもなるイカもいる。
本書のなかでもっともページが割かれているのは、地球40億年の歴史のなかで、イカやタコの祖先である頭足類が海の王者として約4億年もの繁栄を誇った時期のことである。それを古生物学者たちが、残された化石などをもとに世代をまたいで研究を続けてきた。
恐竜については2億3000万年前の化石が見つかっているが、頭足類はそれよりずっと昔、今から5億年前(カンブリア紀)の化石が見つかっている。その後、4億年前の「魚の時代」と呼ばれるデボン紀には、頭足類は捕食から逃れるために硬い殻を持ったアンモナイト類として多様な種を形成した。2億5000万年前、シベリアの火山噴火が10万年続き、海水温が上昇して、海に棲息する種の96%が死滅したときも、頭足類はしたたかに生きのびた。そして1億年前の白亜紀末、地球規模の環境変化のなかで絶滅した。ごくわずか残った子孫から進化したのが、今われわれの身近にいるイカやタコである。こうした進化の歴史を知ることが、イカやタコの習性をつかむ基礎になる。
まだ未解明なイカの生態
さて、イカはおびただしい数の子孫を残す。それは種によって数百から数十万といわれ、ほとんどが成長する前に食べられてしまう。
卵からかえったばかりのイカは人の指の爪より小さく、魚の幼生や水生蠕虫がそれを食べる。大きくなるとアザラシや海鳥、サメやクジラが食べる。ある調査によれば、マッコウクジラ1頭が1日に700~800匹のイカを食べることがわかっている。つまりイカは、海に住むあらゆるサイズの生き物にとって豊富な食料源となっているのだ。
イカは成長が早く、寿命は約1年であり、卵を産んだら死ぬ。下関市安岡でおこなわれているイカシバ漁は、コウイカが春先に産卵しに来る習性を利用した伝統的漁法で、「自然にやさしい漁業」という研究者もいる。
気になるのは資源量で、日本近海のスルメイカはここ数年、記録的な不漁となった。一方、太平洋の向こう側、米カリフォルニア州のヤリイカ漁は記録的な豊漁で、漁獲高が多かった年を平均して漁獲の上限を設けているが、2010年代に入って史上初めて上限に達した年が2年続いた。ただし米国政府も研究者もヤリイカを何十年も調査しているが、生息数がどれくらいで、どれくらいの数の子どもを産んで世代交代しているかはよくわかっていないという。
先日NHKが、深海を泳ぐダイオウイカの映像を公開した。本書のなかでは、マッコウクジラの胃を調べると巨大イカのクチバシが何百と出てくること、外洋にいるマッコウクジラ1頭が週に1匹の巨大イカを食べるとすると、世界の海全体では毎年1800万匹の巨大イカが食べられている計算になることにもふれている。地球の表面積の71%は海であり、まだ未知の事象も多いので、研究が進めば将来の漁獲や食料生産にさまざまな可能性が出てくることを示唆している。
本書は、すでに世を去った先行研究者たちに敬意を示しつつまとめた、イカ研究の集大成の書といえるかもしれない。そこには著者の、「どんなに最先端の科学も、海洋生物学者が海に乗り出し、魚介類を採取して研究するように、自然界の生き物をじかに観察し、形や特性を理解したり測定したりする“古めかしい”学問抜きでは存在しえない。またそこには、現在および過去の自然界の驚異と壮麗さに目を開かれる感動が必ず伴っている」という信念が貫かれているようだ。こうした地道な研究の蓄積が、世界各国で漁業資源を配分しつつ有効利用することにつながり、日本の津津浦浦の漁業振興にも生かされてほしいと思う。
(株式会社エクスナレッジ発行、B6判・335ページ、定価1800円+税)