自然界は弱肉強食である。強いものだけが生き残り、弱いものは滅びていく。しかし実際には、強いものばかりが生き残っているかというと、そうでもない。静岡大学大学院農学研究科教授で農学博士の著者によれば、弱いように見える生き物たちが厳しい自然界を生き抜いているのには、それなりの理由がある。そこにはまるで弱者であることが戦略的な強みであるかのような、目を見張る営みがあるという。それを紹介したのが本書である。
自然界には食物連鎖がある。植物を食べるバッタを肉食のカマキリが食べ、カマキリを肉食のスズメが食べ、スズメを食べるタカがいる、というように。シマウマとライオンとの関係では、ライオンがシマウマを食べる。
ところが、ライオンに食べ尽くされてシマウマが滅びたという話は聞かない。むしろ絶滅が危惧されているのはライオンの方だ。なぜか?
シマウマは「群れる」。サバンナでは、シマウマが群れているだけでなく、ガゼルやキリンなど、異なる種類の動物が集まって群れをなしている。首の長いキリンは遠くを見渡すことができ、シマウマは近くを見ることができるし、ガゼルは音に敏感で、いち早く物音に気づく。そして群れの中の一頭でも危険を察知して逃げ始めれば、群れ全体が逃げる。つまりは異能集団のチームワークで天敵に対抗しているのだ。
また、ガゼルはチーターから「逃げる」。チーターは時速100㌔以上で走るので、まともに逃げればすぐにつかまってしまう。ところがチーターの狩りの成功率は七割だという。チーターに追われると、ガゼルは巧みなステップで飛び跳ね、ジグザグに走って逃げ、ときにはクイックターンで方向転換する。単純な強者に対して、弱者ガゼルは複雑な走行で対抗し、勝つ可能性を探っている。
さらに、ナマケモノは「隠れる」。南米に住むナマケモノは、1日20時間以上眠り、わずか100㍍移動するのに1時間もかかるほどのろまで、あまりに動かないので体にコケが生える。
天敵は肉食獣ジャガーである。ジャガーはネコ科なのに水の中も泳いで追いかけてくるし、木登りも得意だ。そこでナマケモノは徹底的に動かない戦略に出た。ジャガーは動体視力は優れているが、茂みのなかにいる動かない獲物を見つけるのは不得意だ。ナマケモノの体のコケも身を隠すのに好都合だし、ほとんど動かないのでエサの量もわずかでよく、しかも基礎代謝によるエネルギーの消耗を防ぐために、外気温にあわせて体温を変化させている。やみくもに動き回るだけが能じゃない、ということか。
本書ではさまざまな動植物の生態が登場するが、もう一つ挙げるとすれば、ニッチ(ある生物種が生息する範囲の環境)をめぐる論考だ。一つのニッチには一つの生物種しか住むことができず、ジグソーパズルのたくさんのピースのように、たくさんの生物によって自然界のニッチが埋められている。
強い生物はどんどんそのニッチを拡大し、弱者のニッチにどんどん入り込んでくる。まるで大企業が次次と中小零細企業のシェアを奪っていくようだ。しかし弱い生物は大きなものに対して「小ささ」で対抗している。たとえば昆虫は体が小さいのでニッチの条件も自然と細分化され、強いものの立ち入ることのできないあらゆる場所を棲みかにすることができる。アメンボが水中でも陸上でもない水の上に浮かび、地上から水面に落ちてきた虫を食べているように。
弱いものに依存する強いもの
現在知られている生物種は175万種だが、そのうちわれわれ人類を含む哺乳類はわずか約6000種で、一方昆虫は約95万種もいるという。一つ一つのニッチはわずかだが、長い目で見ると多様で広大な空間を我が物にしているかのようだ。
本書を通じて考えさせられるのは、弱いものは強いものに食べられてしまうが、しかし見方を変えれば、食われるものがいなくなれば食うものも滅んでしまうから、結局、強いものは弱いものに依存している“弱い存在”であるともいえる、ということだ。弱肉強食の市場原理主義は、すでに国内外で破綻している。
著者は、自然界の法則を通じて、自然界だけにとどまらない問題を提起している。
(新潮選書、B6判・172ページ、定価1100円+税)