水道普及率98%を誇る日本では、蛇口をひねれば24時間いつでもどこでも安全な飲み水を口にすることができる。世界で21億人が安全な飲み水を手に入れられず、世界の約8割の国が「水道水は飲めない国」とみなされているなかで、公的な浄水施設や全国を結ぶ水道管網、その維持管理にかかわる知識の蓄積が、いかに世界で先駆的なものであるかを示している。しかし今秋の臨時国会で安倍政府は水道法改定案を可決・成立させ、いよいよ水道事業の民営化に踏み込もうとしている。
一方、ヨーロッパをはじめ世界各国では水道を再公営化する動きが広がっている。2000年から2015年のあいだに37カ国235件の水道事業が再公営化された。うち94件は民営化の発祥地・フランスだ。これは今や世界的な潮流になっているという。ギリシャのドキュメンタリー映画監督によって制作された本作は、自国ギリシャに迫る民営化の波をはじめEU6カ国・13の都市を4年間かけて取材・制作したもので、2017年12月にギリシャで公開された。フランスやドイツをはじめ先進国の都市で水道を公共の手にとり戻す流れが広がっており、欧州委員会や自国政府によって民営化を強いられようとしている国国では、民主主義や自治をとり戻そうとする運動が勢いよく広がっている。映画はその様子をいきいきと伝えつつ、ヴェオリア社やスエズ社をはじめ水ビジネスを手がける巨大多国籍企業や民営化推進論者、また欧州連合から緊縮策を要求され、民営化を受け入れざるを得ない立場にある各国の政治家や閣僚、そして欧州委員会要人なども登場させ、彼らの発言と行動の矛盾も暴いている。
フランス・パリ 25年間の「民営」から公営に戻す
2010年、フランス・パリ市は、1985年から25年にわたってヴェオリア社とスエズ社が担ってきた水道事業を公共の手にとり戻した。運営するのは100%公営で、株主は存在せず独自の予算を持った半独立の法人オードパリ社だ。前副市長アンヌ・ル・ストラは、「長い民営化の間に水道事業の管理能力も財政上の透明性も失われていた。運営権をとり戻す必要があった」と語る。水道料金は1985年から2008年のあいだに174%上がった。さらに再公営化後の調査で、7%と報告されていた営業利益が、実際には15~20%あることが明らかになり、差額がどのように使われたのかわかっていないという。「水のように必須の資源は利益で動く企業ではなく公的機関に任せるべきだ。多国籍企業に渡せば利益追求に使われるだけだ」。実際にヴェオリア社は水道整備の費用は最少に抑え、契約書の整備に力を注ぎ、ロビイストが選挙に資金を投じていたこともあったという。
自社を告発したヴェオリア社社員のジャン=リュック・トゥリーは、2005年にボリビアで大規模な暴動が起きて初めて、フランスをはじめとする先進国の人人が、「貧しい国国を助けるには民間企業を追い出さなければ」「企業の本拠地があるパリこそが戦場だ」と気づいたのだと話す。
ドイツ・ベルリン 水道企業との契約書閲覧を請求
パリに続きドイツ・ベルリン市も2014年、水道を再公営化した。1990年代に新自由主義が台頭し始めたドイツでは、民営化に疑問を持つ者は「過去の人間」「社会主義者だ」と非難され、多くの自治体で水道民営化がおこなわれた。ベルリン市はRWE社・ヴェオリア社と30年間のPPP契約(官民連携)を締結した。しかし当時350億ユーロだった市の負債は六五〇億ユーロに増え、民営化で負債が減ることはなかった。しかも3年後には水道料金が30%値上げされた。
当時、社会民主党市議だったG・シャーマーは、秘密だった企業との契約書の閲覧を請求、30年にわたって企業に利益を保証し続けること、リスクとコストはすべて市民に転嫁される内容であることを知る。人口減少で水道の使用量が減少した場合も、市は企業に利益を保証しなければならないのだ。契約書を閲覧した市議らは、契約内容を市民に開示するための住民投票を求める運動を始めるが、左派の社民党を含む全政党が「企業からの信頼を失う」という理由で反対した。憲法裁判所が情報開示運動の継続を認め、2011年2月、住民投票がおこなわれた。98%の住民が「契約内容の公表を求める」に投票。同市は水道サービスの再公営化を実現した。しかし経営権を買い戻すために13億ユーロもの多大なコストを必要としたのである。
ポルトガルではスペインの多国籍企業SACYRとコンセッション契約を結んだバルセロス市とパソス・デ・フェレイラの二つの自治体が企業から提訴され、一億ユーロをこえる補償金を要求される事態に直面した。契約時に自治体側は見込まれる最大の消費量を提示するが、人口や消費量が増えず、契約に満たなかった場合、企業は賠償を請求できるのだ。人口5万人ほどのパソス・デ・フェレイラは水道料金が4倍に跳ね上がり、国内で最も水道代の高い町になり、住民運動が盛り上がった。二つの町は敗訴を受け入れたうえで、企業と減額交渉せざるをえなかったという。
ギリシャ 水道民営化問う住民投票を実施
先に民営化を経験したヨーロッパの市民がどのように水道を運営すべきか決断し始めている一方で、ギリシャ、ポルトガル、アイルランド、イタリアなど南の国国は債務危機を口実に欧州委員会、欧州中央銀行、国際通貨基金(IMF)からなるトロイカに、民営化を要求されている。
ギリシャは全地方政府に大規模な民営化が要求されている。大きな標的はアテネとテッサロニキの水道公社だ。危機感を強めた住民たちが2014年、ベルリンやイタリアにならい水道民営化の是非を問う住民投票を計画。政府の圧力で一旦中止になったものの、住民投票は実施され、投票者の98%が水道民営化に反対を投じた。翌年、左派政権が誕生したが、今もトロイカからの水道民営化の圧力は止まっておらず、財政再建プログラムを受け入れる政府と欧州委員会に対する市民の警戒は続いている。
イタリアではベルルスコーニ政府が自治体に民営化を強制する法律を通したことをきっかけに2011年6月、歴史的な国民投票がおこなわれ、国民の95%が政府の水道民営化案を否定した。国民投票後、欧州中央銀行のトップがベルルスコーニに対し、競争を促し債務を減らす構造改革と大規模な民営化による公共サービスの完全な自由化を求める秘密の文書を送ったことが明るみに出て、反発を呼んだ。欧州中央銀行は各国の政策に介入する権限はないからだ。ベルルスコーニは書簡に書かれた政策をいくつも実行しており、国民投票で廃止されたはずの水道民営化もひそかに再導入しようとし憲法裁判所がストップをかけることとなった。
アイルランド メーター設置抗議が20万人デモに
アイルランドでは一人の女性が水道メーターの設置に抵抗したことをきっかけに、「アイルランド・ウォーター・カンパニー」(民営化のため37あった水道事業体を統合し設立)への反対運動が各地に広がった。それは債務危機後の緊縮政策とトロイカが持ち込まれて以降、初めての人人の抵抗だった。「トロイカと直接闘うことはできないが、家の外に出て抗議することはできる」。2014年には水道料金導入に抗議し20万人がデモをおこなった。政府は民営化を断念したわけではない。メーター設置を警戒する住民の運動は今も続いており、「水」をきっかけに、放棄された自治の問題や、豊かさを吸い上げ負債を押しつける富の再配分の問題として人人が動き始めたことを伝えている。
欧州委員会は公式には「各国の主権を尊重する」の立場をとりつつ、実際には民営化を推し進めようとしている。映画では要人らのインタビューを通じてその二面性を鋭く描き出している。
「水という名の民主化運動だ」「ヨーロッパ中が叫んでいる“もうたくさんだ”と。公共性をとり戻さないと」…。映画からは、水道を公共の手にとり戻すうねりが、民主主義や自治を守る闘いとなってヨーロッパ全土に拡大している様子が伝わってくる。
(アジア太平洋資料センター制作DVD、日本語字幕・日本語吹替、59分、3000円+税)