(2025年4月11日付掲載)

合同チームで野球の練習する中学生たち(山口県内)
中学校部活動の今後をめぐって全国が揺れている。今般の動きは2018(平成30)年ごろから始まっており、「地域移行」がうち出された背景には、「教員の働き方改革」「勝利至上主義の是正」「少子化問題」などがあげられる。たしかに、地域によっては少子化が深刻で子どもたちがスポーツ・文化活動の継続が困難になっている実態があり、これへの対応は急がれる。ただ、そうした問題をどのように解決し、子どもたちみなが平等にスポーツ・文化に触れられる機会を確保するのか――ではなく、国が地方の実態を無視して突然「部活動の地域への移行」といいだし、これにスポーツ産業が色めき立って「サービス業としての地域スポーツクラブの可能性」などといいはじめた。子どもたちのためという格好はしつつ、別の意図で「地域移行」をねじ込んだがために全国が大混乱になっている。国の方針をうかがいながら地方自治体が右往左往しているが、そこでの議論は「どのように受け皿をつくるか」「誰が指導するのか」「部活をなくすか残すか」といったもので、肝心の「子どもたちにとってどうなのか」の視点が抜け落ちたまま進んでいる。そして数年たってみると「何が目的なのかわからなくなっている」といわれるほどの混乱状況だ。今一度、部活動をめぐる動きについて、山口県の実態をもとにしながら記者座談会で議論をしてみた。
A 現在の部活動の地域移行の動きは2018(平成30)年ごろから始まっている。主には教員の働き方改革だったり、「行き過ぎた指導」が問題になったことなどもあって、「部活動改革」として始まったものだ。それが2020年ごろに文科省が「2023年から土日を地域移行する」といい始め、経産省なども乗っかって「地域移行」が進み始めた。ところが反発は大きく、実際に都会ほどスポーツクラブもない地方からすれば「地域って何?」「誰が部活を指導するのか?」という声も上がってきた。
そのため2022(令和4)年12月にスポーツ庁、文化庁が公表した「学校部活動及び新たな地域クラブ活動の在り方に関する総合的なガイドライン」では、地域連携や地域クラブ活動への移行に向けた環境整備を「地域の実情に応じて可能な限り早期の実現を目指す」という大幅な緩和をしている。そして2023(令和5)年~2025(令和7)年度までを「改革推進期間」として予算(補助金)を用意し、各自治体が実証事業をとりくみながら方向を探っている状況だ。自治体によっては移行ありきで部活動の廃止を決めたりしているが、どこも大混乱になっている。
先行する地域の実態 宇部市や萩市
B 山口県宇部市では教師の働き方改革を理由に、2023(令和5)年から部活の終了時間を16時45分までと大幅な時間短縮を決めて実施してきた。部活時間は実質1時間だ。それ以降に練習を続けたければ地域クラブやクラブチームで練習をしなければならず、場所によっては17時ごろに保護者が送迎しなければならなくなった。ある職場ではほぼ毎日保護者が「子どもをクラブに送ってきます」といって仕事を抜け、しばらくしてまた戻ってきて仕事をする姿に「部活をするだけでこんなに苦労する時代なんだね…」「今までどおりの部活だったらこんな苦労はないのにね…」と話題になったという。
逆に、送迎のない子どもたちは17時には下校だ。放課後に時間をもてあます子どもたちのことが心配されてきたし、当時は保護者が体育館を借りて子どもたちに運動させるなどもあったが、2年たってみて、生徒指導上の問題も増えてきている実感を語る教員もいる。子どもたちの成長にとってどうであったか、教育的な視点からの検証が必要なのではないか。
一方で、部活から「地域クラブ」への転換が早かったのも宇部市で、野球部で「地域クラブ」化が進んできた。「地域クラブ」とは地域の学校でほぼ部活と同じように活動するもので、「部活」ではないため16時45分以降も活動できる。学校教員も希望すれば「地域クラブのコーチ」としてかかわれるほか、生徒の保護者など地域の人材が指導者としてかかわっているという。ややこしい。
A バスケットボールの話だが、「部活の受け皿」としてできてきた地域クラブで、指導者が熱すぎて子どもたちが引いてやめてしまったという。熱い指導が悪いわけではない。ただ、学校で学習面でも生活面でもかかわっている教員だからこそ、子どもたち一人一人の良さも弱点も把握しながら、本気でぶつかりながら、成長させていけるのだと思う。部活は「教育の一環」というのはそういうことだろう。子どもたちに必要なのは技術指導による上達だけではないのだと話になっていた。
C それは他の種目でも同じことがいわれていた。外部指導者が細かい技術的な部分に力点を置くのに対して、教師の側は練習のなかで子どもたちを成長させることに力点を置く。同じ空間にいて、そこが一致しなければうまくいかない。約30年前にも文科省が部活を地域スポーツクラブに移行するといって失敗したことはベテラン教師は経験している。結局、教育的視点を失ってしまえば、それはただの「習い事」の域を出ないということだ。
B 萩市では、2023(令和5)年度に、部活の地域以降に向けて「令和8年9月からの部活は廃止」という方向をうち出した。そして年次的に部活の日数を減らし、2024(令和6)年度は土日はどちらか1回、平日は3回まで減っている。これほど部活の日数が減れば子どもたちのモチベーションが下がるのも当然で、部活に入ろうという気にもならなくなっていると話題になっている。
2025(令和7)年の部活動は平日週2回まで減る予定だったが、昨年10月に教育委員会がおこなったアンケートで、学校部活動を存続してほしい、部活の日数を減らさないでほしい、地域移行はやめてほしい、などの意見が多数寄せられたほか、市議会でも「受け皿がないまま日数を減らすのは保留すべき」といった意見も出て、今年度は日数を減らさないことが決まった。
A そのほか萩市の陸上競技のなかで問題になっているのは、市教委が2024(令和6)年8月以降から大会への参加について学校単位ではなく地域クラブのみと決めたため、10月の中体連の大会に出場できない生徒が出たという。移行期間であるため部活と地域クラブが両方出てもなんらおかしくないのに、なぜ地域クラブのみとしたのかは不明だが、こうしたさまざまな問題が起きており、市民のなかでも困惑と不満が渦巻いている。「部活廃止」の廃止を求める声が強まっているが、今のところ方針の転換はないままだ。
B 萩市の地域移行をめぐる動きのなかで、2023年3月に青山学院大学陸上部、アスリートキャリアセンター(代表理事・原晋青山学院大学駅伝部監督)、絆スポーツクラブ萩と萩市が連携協定を結んでいる。絆スポーツクラブ萩の特別顧問に原監督がついており、アスリートキャリアセンターから選手育成のメソッドの提供をうけたり、指導者ライセンスを取得できるというものであるようだ。田中市長も締結にあたり「素晴らしい指導者がいればアスリートがどんどん出てくると思う。原監督を中心に指導を受けて萩市が陸上王国といわれるようになり、さまざまなスポーツが盛んになることを望む」などと語ったそうだ。
A 自治体のスポーツの指導にスポーツ産業がかかわったビジネスモデルにも見える。今は国の補助金が出ていることもあってか、参加費は3000円と比較的低廉ではあるが、国の補助金がなくなったときにそれがどうなるのか…という不安も語られている。陸上でいえばほかにもクラブチームもあるうえ、陸上以外の種目についても受け皿づくりにスポ少チームがかかわっている。しかし、地域移行の中心が青学との連携になっているようで、その他の多くの子どもたちが置いてけぼりになっている印象だ。
クラブチームの扱いの格差には不満も出ている。とにかく混乱しすぎて「もうなにが目的なのかがわからなくなっている」と語られている。
「部活はなくさない」 下関市

中学校の部活動
C 下関市では新年度を前にして教育委員会側からの動きで「部活を継続する(部活はなくさない)」ということが改めて公表された。これまでは「休日の部活については2026(令和8)年度末までに地域へ移行することを目指す」「平日については地域と連携しつつ部活を残す」としてきたが、ようやく「部活はなくならない」ということが関係者に伝わった格好だ。ただ、なにも決まっていない。
B 下関市の場合、方針の決定が全体に伝わるのが遅すぎた。実際、県内他市では「部活終了」などの動きになってきたし、全国的にも「移行」「移行」といわれマスコミでも報道されてきた。そして、下関市の観光スポーツ文化部が主導で、「地域移行に向けた実証事業」といって運営主体を総合型地域スポーツクラブや公営施設管理公社などの団体に委託して、2023~2024年度に「Dスポーツ」「Dカルチャー」をおこなってきた。それぞれ関係者は市の方針を受けて子どもたちのために一生懸命にとりくんでいたと思うが、学校現場からは「なぜ学校に相談もなく方向性を決めたのか」といわれてきたし、スポーツクラブの関係者からも「今求められていることはなんなのかをもっと考えてほしい」と厳しい声が上がってきた。無意味だったとはいわないが、結果的に「部活はなくなるのだ」という認識を先行させてしまったことは否めない。
教育委員会としては初めから部活を継続するつもりだったのかもしれないが、「移行を目指す」とか「移行ではなく連携だ」とか「いや地域展開だ」などといっていても当事者にはなにも伝わっていないのが実態だった。教育委員会と市長部局がばらばらな動きをしたために、「部活はなくなる」という認識が広がってしまい、それならば子どもたちの練習場所を確保してやらねば、と慌ててクラブチームをつくる動きや、部活に入らない選択に繋がってしまった。要するに混乱している。
C 今回、教育委員会が部活の継続を決断した背景には、子どもたちが家庭の経済格差によってとり残されることなく、地域(学校)で平等にスポーツができる機会の確保が必要だという判断からだ。逆にいえば、そういった子どもたちが少なからずいるからであり、その子どもたちを健全に、守り、育てていかなければならないということが語られている。
D 今後、「学校部活動をなくさない」と判断した下関市が整理しなければならない課題はたくさんあるだろうが、「子どもたちにとってどうなのか」を中心に据えた議論を、教員はもちろん民間のスポーツ関係者も含めてしていけば、解決の糸口は見えてくるのではないか。
もっと部活したいの声 時間短縮をめぐって
A 方向性に関してはそのようにやっていくことで、今ある課題の解決の方向性も見えてくるのではないか。一つは少子化がすさまじいペースで進行していて、そのもとで生徒数が激減している。下関市内中心部でかつては生徒が多かった名陵や文洋でも1学年1クラスの学年もあって、同級生でチームで競い合うスポーツなどができなくなっている。サッカーではひとチーム11人、野球では9人必要だが、それすらいないので部活はあっても成り立たない。仮に野球部で9人いたとしても、実戦を想定した練習をしようと思えばランナー役も必要なので、満足に練習ができないということだ。バスケもバレーも同じで、ひとつの学校だけでは練習にならない実態がある。
もちろん、周辺部の内日、木屋川、豊田、豊北などはもっと早くからそのような状態で、これらの地域についても今がベストな形ではないと思うので実際の声に耳を傾けながら改善していくべきだと思う。一方で、さらに広い範囲の学校で満足にスポーツができない環境になってきている。
部活が成り立たないほどの少子化に対してのとりくみは、「地域移行」とは別で進めるべきだし、そのための実証的なとりくみは、大規模校ではなく困っている学校から急ぐべきだろう。今の状態でいいというのではなく、なにを解決しなければならないのかというところから部活のありかたを考え、「改革」をしていけばいい。
B そして、もう一点としては、「部活動改革」や「教師の働き方改革」によって、部活動の時間が短くなっている。平日1回、土日の1回は休みにしなければならないほか、平日の練習時間は2時間まで。子どもたちにとっては練習時間が少なすぎて物足りず、「もっと部活をしたい」という声が聞こえてくる。ある保護者は、「子どもたちがもっとみんなで練習したいのに部活ではできない、というので休みの日に体育館を借りて練習した。かたやクラブチームに行けば制限はないので長い時間練習できる。部活が今すごくもの足りないものになっていて、その結果クラブチームに流れている」と話していた。
C 山口市のある中学校では、有力といわれている教員(指導者)が複数いるのに、入部者がいないという事態になった。サッカーをしたい生徒は目一杯土日もサッカーをしたい。しかし部活ではそれができないということで、クラブチームに入ってしまったからだそうだ。教員の働き方改革も大事だが、こうした事態になることを教員自身が望んでいるのだろうか。
A 下関の若手教員がいっていたが「部活を残す、というよりも自分としては元に戻してほしい。今のように中途半端な時間ではなく、しっかり生徒と向きあい指導したい。試合に勝つことも大事だが、負けた悔しさを乗りこえていく経験、そんな子どもの成長に立ち会いたいと思って教員になった。今の状態ではそれがやりにくい」といっていた。部活をやりたい先生は2割しかいないというけれど、そういう思いを聞くと、部活をやりたいかやりたくないか、という表面的なアンケート調査結果だけでは判断できないのではないか。
B 今の中学生はコロナ禍の下で育ってきた子どもたちで、人とかかわる経験も少なかった影響もあって、コミュニケーションに苦労する子どもたちが増えているという。
人から自分がどう見られているかが分からない不安から学校に行けなくなったり、大人からすれば些細なことで挫折してしまう。だからこそ、人とぶつかったり、一緒に乗りこえたりする経験が必要だし、行事も減ってしまっている今、部活こそ大事なのではないかといわれている。
しわ寄せは子どもたちに 働き方改革の罠
A ところで部活の地域移行は教員の働き方改革が理由となっている。教師の「働き方改革」は、2013年のOECD調査で参加国34カ国のうち、日本の教師の勤務時間が最長で、かつ授業時間が短く、学業以外の事務・会議・部活動などの時間が長かったという調査結果を契機にして2016年ごろから少しずつ始まった。タイムカードやノー残業デーの導入、部活動のガイドラインで練習時間の短縮もおこなわれてきた。そのなかでも中学校の「ブラック」の元凶が部活動なのだから、学校から切り離して地域が担えばいいではないかという、もっともらしいかけ声のもとで「部活の地域移行」が進められてきた。
現状の部活動をめぐって、少子化や教師の負担が大きいという問題はある。だが一番に問われなければならない「子どもたちがスポーツや文化活動に触れる機会は、保護者がお金で買うべきサービスなのか、それともすべての子どもたちに分け隔てなく保障されるべき権利なのか」という論議がすっぽり抜け落ちていることだ。これまで部活動そのものが教員の責任感や熱意、努力で成り立ってきた面もおおいにある。それは行政が、部活動を無理なく運営するだけの環境づくりや人も予算も使ってこなかった結果だ。これを機会に国が子どもたちの活動を保障するためにきちんと人や予算を用意するというのならわかるが、「学校の部活動はブラックだ、教師の負担だ」といって、今度は金銭的負担など子どもたちや親にしわ寄せを持っていこうとしている。
B 子どもにとって中学校3年間という時間は、体も心も伸び盛りであり、かけがえのない時間だ。その時期に、しっかり子どもがやりたいスポーツや文化活動をさせておきたいという親の思いは当然だ。だから学校の部活動がないのならば、少々の金銭的負担が大きくなっても子どもにはスポーツができる環境をつくろうとするだろう。だが一方で、金銭的負担や送迎負担などで、クラブチームに所属することを諦める子どもが出てきて、できる子、できない子の二極化が進むことは間違いない。2023年度の下関市のスポーツ推進計画の調査によると、中学2年生でスポーツをする機会があると答えた生徒の七割が、「部活動でスポーツをしている」と答えている。下関だけを考えても、7割の子が所属していた部活動のあり方が変わることで、スポーツ活動の機会を奪われる子どもがどれほどいるだろうか。
ある教育関係者は、「華々しいプロ野球や甲子園の背後には、河川敷でボールを追いかける膨大な数の選手がいる。スポーツも学術も、広大な裾野に支えられているからこそ、その中の誰かが“より高いところ”にたどりつける。未経験者で吹奏楽部に入部して、大人になっても楽器に親しんでいる人が多いように、中学時代にお金があるなしにかかわらず幅広い競技環境があることは、めぐりめぐって日本全体の裾野の広さにつながる。こうした生態系への想像力を欠く人たちが教育・文化行政の舵取りをしていれば、国が衰退するに決まっている。上だけ育てるのはうまくいかない考え方。韓国がオリンピックでメダルをとれなくなったのも、そういう背景がある。教育に対する理解が浅い人がつくったとしか思えない」といっていた。
A くり返しになるが、国は、教育界には部活動の地域移行は教員の働き方改革のためだといい、スポーツ界には学校の運動場やプール、体育館などの民間活用によるスポーツ産業の活性化だ、と公言していることだ。国の目的は、公教育が担ってきたものを民営化していく、つまり部活動を「教育」から「サービス」に変えていくことだ。スポーツ産業界からすれば、全国の中学生が学校という公共の場でスポーツをしていた部活動は障壁でしかない。ここに「部活の地域移行」の本音が見えている。新自由主義のもとで公共で担ってきた水道事業や図書館といったものを民営化していく流れと同じだ。
C ある教員は「部活動は9割が生徒指導」といっていた。中学の場合は、初心者の子も小学校からバリバリ練習してきた経験者も一緒のチームだった。家庭環境もそれぞれ違うし、そうした仲間同士で教えあったり補いあったりしながら、同じ目標に向かって努力するなかで人間関係が育まれる。日ごろの学習態度、家庭環境も知ったうえで集団性や人間性を高め、そういう部分を大切にしてきたことを「生徒指導が9割」と表現しているのだろう。部活動を通じて子どもたちを体力面も精神面も育てて、それが学習意欲に結びつく総合的な教育の場ということだったのだ。学校現場の感覚と、スポーツ産業界の「部活」の捉え方はあまりにも対照的だ。
切り裂かれる信頼関係 新自由主義の犯罪性
C この間の流れを見ると、焦点となっているのは中学校の部活動のあり方なのだが、背後には公教育の民営化という大きな流れがあるように思う。日本では、授業や掃除、給食や部活動、運動会や文化祭など学校生活全体を通して子どもたちの人間形成に携わる日本独自の教育文化があった。そのなかで「一つのことを成し遂げる行事や部活指導などは苦労もあるけど、子どもの成長の瞬間に立ちあえる喜びがあった」という。そうして数値には換算できない教師たちの仕事は見ずに、労働時間だけみて「ブラックな職場」というイメージをふりまき、その結果、教員のなり手がいないことも深刻な問題になっている。
その教員不足に対して政府は、民間からの「副業先生」で応えようとしている。専門職としての教員の位置を否定し、「教員の単純労働者化」「誰でも成り代われるコマ」扱いへと進んでいる。GIGAスクール構想で「1人1台タブレット」が導入され、操作さえ覚えれば、誰でも簡単に授業ができるようなオンラインコンテンツがものすごい勢いで教室に入ってきた。アメリカでは教育という営みをコンピューターに委ね、教員免許を持たない人間を監督官として1人1時間15㌦で雇うことによって経費削減をする公設民営学校がある。某教育者は「アメリカが日本の教育を模範としようとしているのに、なぜ日本がアメリカの破綻した教育を後追いしているのだろうか」と憤っていた。そのとおりで、目の前だけ見ていたら、いつのまにか「ティーチングマシーン」にされていたということになりかねない。
A 中学校の教員たちに聞くと「たしかに、大変なんだけど、部活が“ブラック”の原因ではないんだよね」という。あるベテラン教師は、十数年前に荒れた学校に勤めていたときに、部活にやんちゃな子どもたちを入れて、夏休みは盆以外はほぼ毎日、朝から練習をし、昼食を食べて、午後は宿題をさせて、午後3時ごろから再び練習をさせていた。平日も放課後の部活が終わったあと、不登校の子どもの家庭訪問をしながら下校指導し、職員室で仕事を始めるのは夜7時半ごろからだったという。「その当時は、その働き方がブラックだとは思わなかった。楽しかった」とふり返っていた。子どもたちを教え導いていく喜び、子どもが成長する瞬間に立ち会える喜びが教師としてのやりがいなのだと思う。単純に労働時間の長さや業務量のみの話ではない。
なぜ先生が疲弊しているのかを聞いてみると、“やりがい”が失われているのが“ブラック”と感じる原因のように感じる。例えばだが、ある中学校では、生徒同士のケンカやいざこざがあったとき、教師が子どもたちに事情を聞く前にまず親に許可を得るという。それは後で苦情がくることを避けるためだ。ケンカの当事者だけでなく周りの子どもたちに事情を聞く場合ですら、親に連絡して許可をとって指導する学校もあるそうだ。子ども同士のケンカや衝突が起きたら、その瞬間にその現場でおこなうのが大事なのに、親に気を遣わなければならず、教育ができない。そのために時間や労力が割かれ、そのジレンマやストレスで先生たちが病んでいく。
D 親と教師の信頼関係、子どもと教師との信頼関係が切り裂かれているという問題もあるように思う。両者は本来対立する相手ではないのに、学校、教師と子ども、親の距離感が、子守係とお客様みたいな関係になっているのも現代的特徴ではないか。この30年来、教師の指導性が否定され続けてきた結果だ。メディアによる「いじめ」や「体罰」キャンペーンを通じて腫れ物に触るような体制が強まり、教師が子どもに怯え、親に怯え、教育委員会に怯え、文科省に怯え、メディアに怯え、手足をもがれたロボットのように萎縮させられてしまっている。
C そうしたやりがいを失った学校現場からベネッセなどの教育産業に、公立小・中学校で勤務経験を持つ教員が流出する現象も顕著だという。公立学校では、あれはいけない、これはいけないという制限ばかりで、教師として自分がやりたいことがのびのびとできない。「部活を通じて子どもを育てたい」とか「こんなクラスをつくりたい」と、一人の教師として子どもたちと向き合っていくのが「やりがい」なのだろうが、手足を縛られて、今の学校現場ではそれが得られなくなっている。教員不足にもなるはずだ。
A だいたい、教師のためみたいな顔をして「部活の地域移行」といっているが、事情を知る教育関係者は、スポーツ産業やそれに連なる政治家の金もうけのための「民間開放」ではないかといっている。地域移行の音頭を教育とは無縁の経産省がとっていることを見ても、その指摘はそのとおりだと思う。2020(令和2)年9月に文科省が「2023(令和5)年度から休日の部活動を段階的に地域移行する」としたことを受け、経産省は、日本における「サービス業としての地域スポーツクラブ」の可能性、ジュニア世代のスポーツ基盤である「学校部活動」の持続可能性問題の二つの問題意識を出発点に、「地域×スポーツクラブ産業研究会」を発足させ、翌2021(令和3)年に第一次提言を出している。そのなかには、大会参加資格を「学校部活動」に限らず「民間クラブ」に門戸開放することや、スポーツは「有資格者が有償で指導する」という新しい常識を確立すること、「学校施設の複合施設への転換と開放」の促進、スポーツ機会保障を支える資金循環の創出などが入っていて、これに沿って進んでいる側面もある。だからこれほど学校現場の意識とあわないものが出てくるのだろう。
B この狙いとして、中体連、高体連主催の公的な試合が邪魔で、例えば春高バレーや甲子園のようにスポンサーがついたり、放映されたり、カネが動く産業にしたいということだとスポーツ関係者たちはいっていた。しかし、産業化すれば、参加する選手の負担は膨れ上がるということも指摘されている。県内のある校長が「今やっていることは子どもたちも、教員も、地域も、保護者も、誰も喜んでいない。この騒動はなんなのだろうか」といっていたが、本当にその通りで、地方から教師と保護者が一緒になって、何なら地方行政も含めて国に対して声をあげなければならないのではないか。
D 「部活の地域移行」をめぐっては、教員組合関係者が、「教員の権利を守るために、部活の地域移行は必然だ」と感情的に主張する動きもある。子どもの部活のせいで、「私たちは多忙なのだ」と主張して誰が支持するだろうか。「教員の権利」だけを主張しても解決はせず、子どもたちのまっとうな教育のために教師と親が信頼しあっていくことでしか、教育は守れない。アメリカでは教員が先頭に立って、新自由主義に抗う運動を起こした。学力テストの点数を上げるために奔走させられることについて、教員たちが子どもたちのために声を上げた。だからこそ教員たちの運動を親たちが支えた。そんな運動が他の業界にも飛び火したという。アメリカの教員らの動きが教える重要な教訓だろう。