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地域発展の芽摘む学校統廃合  下関・中尾市政が新計画

 下関市の市立小中学校の統廃合計画が再び動き始めている。江島市長時代に文科省から天下った嶋倉剛教育長が大規模な統廃合計画をぶち上げ、公立学校の3割カットという前代未聞の構想が父母や地域の反発を受けて頓挫していたが、中尾市政のもとで“再チャレンジ”が始まっている。行財政効率化の手っ取り早い手段として用いられ、学校を減らし、教師を合理化して予算を他に流用することが最大の眼目となっている。全国的にも地方都市の人口減少や少子高齢化は社会問題になっているが、人口30万人から「いずれ20万人になる」と見なされている下関ではどうなっているのか、少子化やその対応について見てみた。
 
 産業振興以外に解決の道なし

 市内には52校の小学校と22校の中学校がある。今回、中尾市政に対して適正規模・適正配置検討委員会が答申したのは12の統合パターンで、その優先順位として、「複式学級を有する小学校」「単学級となる学年を有する中学校」の解消、「旧市中心部に所在し、平成26年度推計で六学級の小・中学校」を適正規模校にするとしている。また、12学級未満もしくは25学級以上の学校についても引き続き検討をおこなっていくとしている。「適正規模」としては1校あたりの学級数を12学級~24学級(小・中)を基準にして、「適正配置」としては通学距離をおおむね1時間以内、小学生は4㌔㍍以内、中学生は6㌔㍍以内を基準としている。


 市街地の荒廃と高齢化が著しい旧市内中心部では、王江小学校と名池小学校と名陵中学校を小中一貫校にする計画になっている。通学範囲は駅周辺の東大和町から唐戸地域にいたる広範囲に及ぶ。遠距離の子どもは毎日が鍛錬遠足になる。また、竹崎や新地、上新地といった駅裏周辺から連なる地域では、関西小学校と桜山小学校、神田小学校の3校を一つにまとめ、さらに進学先だった文洋中学校は向洋中学校に吸収する計画と見られている。


 周辺部では、農業地帯の内日地域は小学校も中学校も勝山との統合でなくなり、海岸部では吉母小学校を吉見小学校に統合すること、東部では吉田小学校と王喜小学校と木屋川中学校を小中一貫校にして、豊田町では殿居小学校、豊田中小学校、三豊小学校、西市小学校、豊田下小学校、豊田中学校を小中一貫校にするとしている。豊北町も町内にあるすべての小学校(二見小学校、粟野小学校、滝部小学校、田耕小学校、神玉小学校、角島小学校、神田小学校、阿川小学校)を豊北中学校と統合して、こちらも小中一貫校にする計画だ。豊浦町では室津小学校と誠意小学校、小串小学校と宇賀小学校を統合するとしている。


 下関市では昭和60年代から急速な人口減少が進んでおり、同時に、子どもの数も減少してきた。平成25年時点の小学校児童は1万3095人、中学校生徒数6537人で、ピーク時(小学校・昭和56年、中学校・昭和61年)と比較するとどちらも六割減少している。そのなかで中心市街地の空洞化とドーナツ化が進み、川中・勝山地域や王司地域のように現役世代が多いところでは子どもが増え、かたや寂れた中心市街地からは小児科が移転してなくなったり、子どもが少なすぎて廃品回収ができない地域も出てくるなど、様様な変化があらわれている。

 豊北町の実情 保育園や学校みな集約

 もっとも大きく変わろうとしているのが旧郡部地域で、なかでも豊北町と豊田町は旧町内の小・中学校すべてを1校にする小中一貫校の案が出されている。これまでの計画では豊田町は小学校を一校に統合し、中学校は対象としていなかった。豊北町は海側・山側に小学校を1校ずつにまとめる計画が出されていた。しかし今回、両町ともが町内に小中一貫校としていっきにまとめる案へと変わり、波紋を呼んでいる。「田舎に学校はいらない」という露骨な集約案だったからだ。


 少子高齢化がとびぬけて進んでいる豊北町では、学校統廃合問題もさることながら、この十数年で深刻な産業衰退に見舞われ、限界集落のような地域があらわれていることへの危惧が高まっている。自治体合併から10年がたとうとしているが、教育環境、雇用、地域コミュニティー、人材、財政、住民サービス、医療・介護、すべてにおいて「よくなったことは一つもない」というのがみなの実感になっている。


 沿岸や農村部など点在していた地域をまとめていたのが役場だったが、自治体合併によって権限を失ったと同時に、住民自治の集約機能としての力も弱まってきた。そのなかで中学校が一つに集約され、公立保育園・幼稚園についても江島市政のもとで一カ所集約され、広い町内から園児たちがはるばる通うようになった。最後に残っていた小学校も中学校に統合するというものである。豊北中学校は開校以来子どもの数は減り続け、約3分の2にまで落ち込んでいる。大きな校舎を建てたものの、僅か8年で3割強が減少しているのだから、如何に急速なスピードで少子化が進んでいるかを物語っている。


 町内からは急患を担ぎ込めるような病院がなくなり、農協も来年2月には町内6カ所の支所を2カ所に集約する。銀行は山口銀行を筆頭に、産業が衰退してカネ回りが悪くなったと見なすや真っ先に店舗を閉鎖し、ATMを置いて去って行った。スーパーもなくなって、年寄りが手押し車を押してコンビニまで延延歩いている姿も見られるようになった。交通機関はサンデンバスが路線を廃止したり便数を減らしたため、1~2時間待ちは当たり前。JR西日本も山陰線の便数を削減し、高校生などは通学が不便になった。こうした諸諸の住環境の悪化にともなって人材流出に拍車がかかった。高校を卒業した子どもたちは、働く場を求めて出て行かざるを得ない。ここ数十年は毎年200人の割合で人口が減少してきた。


 児童・生徒数を見てみると、昭和63年には2000人いた子どもが、平成25年時点で478人に激減している。統合直後は311人いた豊北中の生徒も25年度には約200人と減少が著しい。豊北高校も、70人の定員に対して定員割れが続き今年の入学者数は40人を切っている。小中学校だけでなく、豊北高校についても県教委が進める統廃合計画の基準を満たしていない対象校と見なされており、町内から高校までなくなる危険性が高まっている。そうなると15歳まで滝部の山の上にある小中一貫校に放り込まれた後は、旧市内の高校に通うか、長門市の高校に通うかが迫られ、場合によっては子どもの「単身赴任」というか、旧市内等に下宿させなければならないケースも出てくると見られている。親たちの負担も当然増す。15歳になると町内からの旅立ちを迫られる地域になることを意味している。


 山口県教委の「県立高校再編整備計画」では、1学年3学級以下の県立高校を統廃合の対象にしており、県内66校のうち34校が対象になっている。豊北高校だけでなく、豊浦町の響高校、菊川町の田部高校、豊田町の西市高校も含まれており、下関市と合併した旧郡部四町はどこも「一五の旅立ち」が迫られる可能性を秘めている。


 「よりよい教育環境の創出」というのがいつも口先だけの嘘っぱちで、産業政策も皆無で産業は寂れ、このまま放っておけば学校がなくなるだけでなく、地域そのものが消滅しかねないとみなが心配している。市街地のマンションや宅地販売の宣伝文句には、よく「駅まで徒歩○分、小学校まで○分。通勤・通学に適しています」とあるが、豊北町の場合、徒歩ではとても通いようがない。仕方なく遠隔地から自転車で通っていた豊北中学校の生徒が車にひかれて死亡するという痛ましい事故も起きた。通学バスを出してほしいと頼んでいるのに、角島や神田地区はいまだに「予算がないから」といって出してもらえない。


 「たった2%の経済効果しかないのだから」といって農業部門に力を入れなかったのが江島前市長だったが、一方で豊北町は中学校や保育園など、大規模統廃合のモデル地域のように扱われてきた。行政から見たとき、「田舎の効率化に成功した地域」となっている。しかし各地域から学校がなくなった結果、ますます子育てしにくい地域になり、事実、少子化は市内でも群を抜くスピードで進行している。


 ある教育関係者は、「地域の人の学校に対する思い入れはすごい。これまでも学校に多額の寄付をしてくれている。少子化については問題の根が深いが、人口を維持していくために産業分野へ力を注いでほしいと豊北町の人たちは願っている。自治体合併でくっつけるだけくっつけておいて、あとは放置してきた結果、すっかり衰退してしまった。合併以後10年を総括する必要がある。なんとかしなければ学校どころか町の将来がなくなってしまう」と危惧していた。


 保護者の一人は、「人数が少ないから統合というが、親の働く場所がないからだ。統合して1校になったとしても、いずれそれもなくなってしまう」と懸念し、町の産業振興を活発なものにして、現役世代が定住できる環境にすることを切望していた。少子化というのが親の流出を基本にしており、いかに産業を盛り立てていくかしか解決方向はないことが、中心問題として論議になっている。単純に子どもの人数が多いか少ないか、目先の統合か否かではなく、その原因に切り込まなければ何ら事態は解決しないことを誰もが感じている。

 少子化の根源 親達の生き辛さを反映

 下関の教育行政といえば以前から子どもにカネをかけないことで有名で、市役所はあれほど立派になっているのに、学校や保育園となると耐震化率は異常なまでに低く、壊れたトイレがいつまでも放置されていたり、ささくれだった古い机やイスにガムテープを貼って子どもたちが辛抱させられていたり、トイレットペーパーやテストの用紙代も父母負担であるなど、よその地方自治体が聞いて驚くようなことが当たり前のように横行している。学校給食では、犬猫がエサを食べるときに使用しているようなアルマイト食器が長らく使われていたが、父母や市民が署名運動を起こしてようやく改善した。


 統廃合すればするほど行財政の効率化は進み、下関市政にとって大好物である箱物財政が捻出される。さらに旧市内などで廃校になった学校用地は不動産業者の格好の餌食になることが疑いない。学校はどこもその地域にとっての一等地を与えられているケースが少なくない。これを売り飛ばしても箱物財政が確保できる。跡地利用で利権がうごめいている中央工業高校の例を見るまでもなく、必ず奪いあいが始まると見られている。子どもの教育環境を売り飛ばす大人たちの暗躍についても見ないわけにはいかない。


 今回の統廃合計画では安倍政府の教育再生会議が推進しはじめた小中一貫校の導入が一つの目玉になっている。小中一貫校については萩市三見など農漁村部で一部導入している事例があるが、少人数であったり、地域性による部分も大きく、導入によってどうなるのか影響が心配されている。わかっている事は「小学校も中学校といっしょにすれば行財政効率化が進む」という点だけで、6・3・3制の意味合いなどと合わせて、教育関係者のなかでは「あまりに乱暴だ」という見方が広がっている。小学校1年生と中学校3年生では体力差も雲泥の開きがあり、例えば昼休みに中学生がグラウンドを占拠すれば、下級生は端に追いやられて遊べなくなること、精神年齢の違いも大きく、例えば中高一貫校の下関中等教育学校では、高校生の精神年齢が幼稚化する傾向があらわれていることや、逆に中学生がませていく特徴なども出されている。


 近年文科省の教育政策はろくでもないものであった。「個性重視」とか「子どもの人権」などといって、教師には指導してはいけないなどと強制し、子どもを好き勝手にさせ、極端な自己中心人間をつくってきた。「ゆとり教育」などといって低学力になるのはわかり切ったことをやらせた。そして高等教育は高い学費にして貧乏人が行けないようにし、大学は低学力が問題になるようになった。そして学校統廃合を促進して、ますます子どもが少子化するようなことを真顔で実行している。「学校なんていらない」は「子どもなんていらない」であり、労働力がなくなったら「外国人労働者を移民として連れてこよう」といってはばからない世の中になった。多国籍金融資本の草刈り場にされるために、学校では英語教育である。


 国と地方の借金は1200兆円といいながら、この間アメリカに500兆円も日本の資金が巻き上げられ、国家財政も国民経済も食い物にされてきた。農漁業はつぶされ、食料自給が出来ない飢餓民族になろうとしている。TPPでさらに農漁村地域を壊滅に追いやる政治が実行されている。さらに政治もメディアも学者も国産色は消えてアメリカ外来種ばかりが幅を利かせ、売国奴が集団的自衛権の行使を勝手に閣議決定して、日本の若者を米国の国益を守るための戦争に引きずり出して鉄砲玉にしようとする。少子化なのでかつての大戦より徴兵制が早まることも疑いない。


 日本の将来を担う子どもたちの教育をつぶす政治は、その親たちの生きづらさとも連なっている。異常なまでの少子高齢化は、社会発展の芽が摘まれ、立ち腐れ状態に置かれていることを直接に反映している。搾取しすぎて現役世代が貧乏になり、子どもを産み育てられない社会になったから少子化になっただけであり日本社会全体をつぶす問題と結びついたものである。


 関係父母だけでなく、全地域住民、教師など、みんなの声を上げ運動にしなければならないところへきている。

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