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【寄稿】教育は国家百年の大計――数字・数学を用いた考え方を大切にしよう 桜美林大学名誉教授・芳沢光雄

(8月28日付掲載)

 11月のアメリカ大統領選挙に無所属で立候補を表明していたケネディ氏が8月23日、選挙活動を中止し、共和党のトランプ前大統領を支持すると表明した。ケネディ氏は民主・共和両党から一部の支持層を取り込むと見られていただけに、選挙戦への影響が注目されている。

 

 それに関しては、ネット上でも多くの方々によるコメントが出ている。それらをいろいろ読んでみると、各執筆者がどちらを応援したいか、という立場で述べられているものが相当多いように感じる。筆者は、民主党のハリス候補、共和党のトランプ候補のどちらを支持するという考えはなく、また暗号資産(仮想通貨)にも興味がない。

 

 しかし暗号資産という数字で表されたものが、ケネディ氏の声明を受けて24時間で約5%も上昇したことを見ると、その声明はトランプ氏に有利に作用するものではないかと考えるのが自然だろう。なぜならば、ケネディ氏もトランプ氏も暗号資産には友好的な姿勢を示してきたからである。

 

 政府の教育未来創造会議(議長=岸田首相)は2022年5月に、理系分野を専攻する大学生の割合を2032年ごろまでに現在の35%から50%程度に増やす目標を掲げた。技術立国日本としての戦後の復興期に生きてきた筆者としては、主な資源が人材である日本の将来を考えると、この方針に賛成するものであり、それだけに基礎として必須の算数力や数学力の充実にも目を向けてもらいたいのである。

 

 実は、政府のその目標が打ち出された頃にも、ネット上では多くの方々によるコメントが現れた。それらをいろいろ読んだところ、各執筆者が文系・理系のどちらが自分にとって身近か、という立場で述べられているものが多いように思われた。しかし、この問題に関する文科省などの調査によると、2021年度の日本の大学の入学者のうち、理学、工学部の入学者の割合は約17%だった一方で、OECD平均は約27%であった。また、大学学部の卒業段階で見ても、理系分野全体での学位取得者の割合は、日本は推計で35%(2020年度)であるものの、40%を超えているイギリス、ドイツ、韓国と比べると見劣りする。

 

 この問題の背景を考えると、1990年頃には、日本のGDP(国内総生産)は2位で、IMD(世界競争力年鑑)では1位であったが、2023年にはそれぞれ4位、35位となった。このような現状を鑑みて、経済産業省は2019年に「数理資本主義の時代~数学パワーが世界を変える」というレポートを発表し、政府の教育未来創造会議の目標に繋がったと考える。

 

*     *

 

 およそ客観的な数字や数学的な論議による結論は、用いた数字や推論に本質的な誤りが無ければ、いつかは信頼されるものである。もちろん考えを表明した段階では、一部から誹謗中傷もあるだろう。しかし、時間とともに広く納得されるものだと訴えたい。以下、いくつかの題材を紹介しよう。

 

 30年ほど前の1990年代の半ばに、後に「ゆとり教育」と呼ばれるようになった2002年(高校は2003年)から始まる学習指導要領の原案を知ることになった。学校教育における理科や数学の授業内容や授業時間が大幅に減る。小中学校に目を向けると、高度経済成長期の終りを告げる頃まで小学算数の全学年合計時間数は1047時間あり、中学数学の全学年合計時間数は420時間あった。それが「ゆとり教育」では算数が869時間、中学数学が315時間になる。とくに中学数学の授業時間は週3時間で、世界最低レベルである。

 

 20世紀の終わりから21世紀の初めにかけて、「経済成長を遂げた日本は、これからは『文化』だ」、と散々言われた。戦後の焼野原から目覚ましい発展を遂げた日本の歴史を顧みると、このまま「ゆとり教育」に突入してよいだろうか、という疑念が心の底から湧いてきて、数学教育分野でも活動し始めた。「ゆとり教育」を巡る議論の中心課題として、「円周率は約3でいいか、3・14にすべきか」という問題があった。これに関しては実際、「ゆとり教育」を支持される方々の御指摘の通り、当時の算数の教科書にも「円周率は約3・14」という記述はあった。ところが、たとえば半径が11㎝の円の面積は

 

11×11×3・14=121×3・14=379・94(㎠)

 

 となる。上式の計算では三桁×三桁の掛け算があり、それが「ゆとり教育」では「学習指導要領範囲外」という背景があって、「円周率は約3として計算してもよい」となったのである。要するに、円周率の議論の背景には掛け算の桁数の問題が本質的にあったことに注目していただきたい。

 

 2002年の学習指導要領の改訂では、「二桁同士の掛け算ができれば、三桁同士の掛け算などもできる」という無責任な考え方によって小学校の算数では、諸外国や過去の日本の教育に例を見ない二桁同士の掛け算の教育だけで掛け算の教育を終らせてしまった。私は逸早くその誤りを2000年前後の新聞・雑誌などで以下の理由をもって訴えたが、しばらくは相手にされなかった。

 

 ドミノ倒し現象を理解しようとすると、2個の牌だけでは倒すものと倒されるものだけの関係であるが、3個になると真ん中の牌は倒されると同時に倒す働きをもつ。それを理解することによって、ドミノ倒しは次々と続くことが分かる。

 

 二桁同士の掛け算と三桁同士の掛け算を比べると、繰り上がりの部分に注目するとドミノ倒し現象と同じように捉えることができる。だからこそ、根本には「帰納法」的な考え方を育ませる目的をもって、三桁同士の掛け算の意義を訴えたのであるが、当時は相当御批判を浴びた。

 

 ところが、2006年7月に国立教育政策研究所が発表した「特定の課題に関する調査(算数・数学)」(小4~中3、約1万9000人対象)によって流れは変わった。小学4年生を対象とした「21×32」の正答率が82・0%であったものの、「12×231」のそれは51・1%に急落。小学五年生を対象とした「3・8×2・4」の正答率が84・0%であったものの、「2・43×5・6」のそれが55・9%に急落。

 

 間もなくして筆者は、文部科学省委嘱事業の「(算数)教科書の改善・充実に関する研究」専門家会議委員に任命され(2006年11月~2008年3月)、縦書き掛け算や分数・小数の混合計算などに関する持論を最終答申に盛り込んでいただき、「ゆとり教育」は見直される運びとなった。

 

*     *

 

 筆者は2007年に、桜美林大学にリベラルアーツ学群の設置人事で移り、昨年に定年退職して現在に至る。その前後は小中高校への出前授業ばかりでなく、全国各地の教員研修会での講演も積極的にお引き受けしていた。たとえば2006年から2008年にかけては、のべ20カ所の教員研修会で講演をした記録がある。全国各地の現場の先生方との交流も、とても意義のあるものであった。

 

 ところが2009年に、事態が急変する新たな制度が導入されたのである。10年に1度の教員免許更新制である。しばらくの間はこの制度の実態を知ろうと思い、何カ所かの免許更新講習の講師を積極的にお引き受けした。それを通して得た結論は、「これは矛盾に満ちたものである」ということである。実際、2013年に出版した拙著『論理的に考え、書く力』には次のことを述べた。背景には、数学にとって本質的に重要な「自由に考える時間」を無意味な制度が奪っている、という悔しい気持ちがあった。

 

 「毎年、あちこちの会場で免許更新講習が行われているが、教育現場に全く興味をもたない大学教員が自分の専門のトピックスをばらばらに話しているだけのところが圧倒的に多く、昔からあった各自治体での定期的な教員研修制度の方が、現場を考えての研修だけにずっと機能していたと断言できる。そもそも、この制度のきっかけとなった「不適格教員」の問題は、制度ができる前に対処の方法が確立していたのであり、何のための制度かさっぱり理解できない。せいぜい、教員の身分が不安定になったように印象づける制度かも知れない。それによって失ったものの方がはるかに大きいと考える。」

 

 その頃は、「お上に逆らうと、危ないでしょう」とあちらこちらから言われ、教員免許更新制を高く評価していた某マスコミからは批判され、無視されるようにもなった。

 

 ところが2022年になって教員免許更新制はようやく廃止された。振り返って、現場とはほとんど無関係な話をのべ30時間も聞かされ、この講習を受けなければ教員免許は失効にもなった。当然、この制度を理由に教員になる夢を諦めた若者も多くいたばかりでなく、他の職に転職した現職教員もいた。

 

 現在、教員不足が深刻な問題となって、しばしば全国各地のニュースでも取り上げられている。もしその制度が続いていたら、事態はより深刻であったに違いないだろう。

 

*     *

 

 もちろん筆者は、教育行政に何でも反対しているものではない。2007年から始まった全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)に関しては、都道府県別の成績を競わせるかのような報道には反対であるが、日本の子ども達の(算数・数学に関する)弱点を改善するために用いることは賛成である。

 

『昔は解けたのに……大人のための算数力講義』(講談社+α新書)

 実際、筆者は近著『昔は解けたのに……大人のための算数力講義』などで、「『割合%』に関する算数教育を充実させることが非常に重要な課題である」という気持ちから、「割合%」に関してはとくに丁寧に説明している。その根拠はいろいろあるが、たとえば全国学力テストの以下のような結果も拠り所にしている。

 

 ・2012年の算数A3(1)(小学6年)では次の問題が出題された赤いテープと白いテープの長さについて、
 「赤いテープの長さは120㎝です」
 「赤いテープの長さは、白いテープの長さの0・6倍です」
が分かっているという前提で、4つの図から適当なものを選ばせる選択問題。

 

 誤答の「3」(白いテープの長さは赤いテープの長さの0・6倍になっている図)を回答した児童が50・9%もいる半面、正解の「4」を回答した児童が34・3%しかいなかったのである。

 

 ・2012年度の全国学力テストから加わった理科の中学分野(中学3年対象)で、10%の食塩水を1000グラムつくるのに必要な食塩と水の質量をそれぞれ求めさせる問題が出題された。「食塩100グラム」「水900グラム」と正しく答えられたのは52・0%に過ぎなかった。実は昭和58年に、同じ中学3年を対象にした全国規模の学力テストで、食塩水を1000グラムではなく100グラムにしたほぼ同一の問題が出題された。この時の正解率は69・8%だったのである。

 

 同書に関しては先日、韓国の出版社から訳本出版のオファーが版元に届きサインした。いくつもの国際学力調査で日本の上を行く韓国だけに、現地の読者が「割合%」の教育で歯痒い思いをしている日本の現状について、どのような感想をもつかということに強い関心をもつ。

 

 では、なぜ「割合%」の問題が深刻になってきたのであろうか。それは算数の学びと指導において、「は(速さ)・じ(時間)・き(距離)」と同じように、円の中に「く」「も」「わ」の文字を書く「く(比べられる量)・も(もとにする量)・わ(割合)」式の公式暗記だけの教育が蔓延ってきたからであろう。意味を説明せずに暗記で済ませる教育は困ったものである。

 

 「割合%」の問題は、以下の表現がどれも同じ意味であることからも、じっくり理解させる必要があると考える。

 

・~の…に対する割合は○%
・…に対する~の割合は○%
・…の○%は~
・~は…の○%

 

 本稿でもしばしば登場した「割合%」は、現代社会では特段に重要な概念であり、その指導がいい加減であってはならないのだ。

 

 最後にまとめとして、「教育は国家百年の大計」であって、数字・数学を用いた考え方を大切にしよう。

 

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よしざわ・みつお 1953年東京都生まれ。東京理科大学理学部教授(理学研究科教授)、桜美林大学リベラルアーツ学群教授を経て現在、桜美林大学名誉教授。理学博士。専門は数学・数学教育。著書として『昔は解けたのに……大人のための算数力講義』(講談社+α新書)ほか多数。五・一五事件で倒れた犬養毅元首相は曽祖父。元国連高等難民弁務官の緒方貞子は従姉妹。

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