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ベートーヴェン生誕250周年 時代先取りした音楽とその源泉 フランス革命下を生きたヘーゲルとの対比

ベートーヴェン

 ベートーヴェン生誕250周年にあたる今年、コロナ禍の逆境に抗してこの偉大な音楽家の作品と業績を顕彰するさまざまなとりくみがおこなわれている。ベートーヴェン(1770年~1827年)は作曲家の命ともいえる聴力を失いながら、時代を先取りする数多くの名曲を「交響曲」「弦楽四重奏曲」「ピアノ・ソナタ」などの様式で創造し、近代音楽に革命をもたらした。今なお世代をこえて人々を魅了しすべての音楽家の目標でありつづけているベートーヴェンの音楽の源泉について、音楽評論家の多くがベートーヴェンが格闘した時代、とりわけフランス革命とその後の社会的変遷との関わりで論じている。

 

 音楽ジャーナリストの寺西肇氏は「ベートーヴェン生誕250周年記念サイト」でベートーヴェンが、「“自由、平等、博愛”のフランス革命の精神を熱く支持」し、生涯この革命精神を理想としていたことを強調している。また、そのことは「革命の立役者であったナポレオンが皇帝に即位した」とき、ベートーヴェンが「憤怒と共に、彼への献辞が書かれた『英雄』交響曲の表紙を破り捨てた」という逸話にも裏付けられていると紹介している。

 

音による思考

 

ヘーゲル

 顕彰運動のなかでは、ベートーヴェンと同じ時期に、同じドイツでフランス革命の影響を受けたヘーゲル(哲学)やゲーテ(文学)と並べた考察もみられる。ピアニストの仲道郁代氏は、ベートーヴェンが同じドイツの観念論哲学者の最高峰とされるヘーゲルと同じ年に生まれたことに注目。ベートーヴェンが「同時期の西洋音楽を“音による思考”として展開することで、思考の形態に対しても音楽表現の可能性に対しても全く新たな次元を切り拓くことになった」と論じている。

 

 水戸芸術館(小澤征爾館長)はホームページでベートーヴェンを特集。学芸員の中村晃氏が「ベートーヴェンによって集大成された二つの対比的な主題により展開されるソナタ形式の音楽は、まさにヘーゲルの弁証法のモデルとの並行関係が見出され」るとのべている。中村氏はそこで、20世紀ドイツの哲学者アドルノ(社会学者・音楽家でもある)が「ベートーヴェンの音楽はヘーゲルの哲学そのものである」とのべていたことを紹介している。また、ヘーゲルがベートーヴェンと同年生まれで同郷であったにもかかわらず、ベートーヴェンについては生涯沈黙し続けたことにふれて、その理由をヘーゲルが「芸術の本質は絶対者(=神)の表現」としてとらえていたことに求めている。

 

 これに関連して、石井伸男・高崎経済大学名誉教授は、ヘーゲルが「事物とりわけ社会の、否定を媒介とした発展(弁証法)を主張したが、しかし政治的国家(プロイセン)と思弁的哲学体系において、真理は完結するとみなした」とする一方で、対するベートーヴェンについては次のようにのべていた。

 

 「中期ベートーヴェンはヘーゲルと同様に音楽の世界のロマン派的要素をふくむ古典主義を完成させたが、同時に後期管弦楽四重奏曲やピアノソナタなどの晩年の作品群ではこれを破壊しはじめる。論理的同一性(美)の建設と同時にその否定に乗り出すのがベートーヴェンなのである」

 

 先述のように、アドルノは『ベートーヴェン--音楽の哲学』(大久保健治訳、1997年・作品社)で、ベートーヴェンの音楽がヘーゲルの弁証法哲学そのものだと指摘したあと、「しかし同時にこの音楽は、ヘーゲル哲学以上に真実でもある」と続けている。そこには観念的な論理から出発し、その理想を現実に当てはめるのか、複雑に激動発展する現実のなかに分け入り、理想をめざす観点からありのままに発展的に描くのかという、哲学上の根本的な違いがあったといえるだろう。

 

 ベートーヴェンは、ルネサンス以来の宗教的で形式的な宮廷芸術を乗りこえヒューマニズムにもとづく文化が咲き出る底流が爆発した時代を生きた。フランス革命は全ヨーロッパに嵐と怒濤、人間の尊重と解放の理念を轟かせた。ベートーヴェンの作品群はこの理想をひたすら追究する立場から現実の進歩と反動を同一的な矛盾としてとらえ、その対立を発展的に力動的に表現していった軌跡でもある。

 

 オーケストラ、交響楽として発展させたベートーヴェンのソナタ形式(交互にあらわれる二つの対照する旋律を展開させる)は、その意味でそれまでの形式的な技法とは根本的に異なっている。物理学者の武谷三男は、ベートーヴェンにおいて、「今まで単に便宜上の、単に美しい形式に過ぎなかったソナタ形式は衝突する二つの力の闘争の弁証法の論理として意味を得る」(『弁証法の諸問題』)と論じている。そして、ベートーヴェンが社会の虚偽を見破り、偶像を壊すなかで貫いた理想を、『交響曲第九』「喜びへの賛歌」に結晶させていったとのべている。

 

 ベートーヴェン生誕250年をめぐる論議は、芸術家が今日の激動する現実をどのようにとらえ、新しい時代を開く側から作品に結晶させるのか、芸術科学に立脚して創造する道筋を探る一つの契機となっている。    

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