劇団はぐるま座の『動けば雷電の如く―高杉晋作と明治維新革命』長崎公演の第2回実行委員会が22日、長崎市中央公民館でおこなわれた。後援団体である原爆展を成功させる長崎の会(永田良幸会長)の被爆者をはじめ、自営業者、介護従事者、郷土史家、社会福祉協議会役員、武道団体役員、大学生など約20人が参加し、4月12日(日)に長崎市公会堂でおこなわれる同公演の成功に向けて論議を深めた。
はじめに原爆展を成功させる長崎の会の永田良幸会長があいさつし、「日本は300年つづいた徳川幕府を倒した先人たちのおかげで今があるが、戦後60年たって日本は完全にアメリカの植民地になっている。私は12歳で被爆し、両親を含めて6人を亡くして戦災孤児となり、小学校までしか出ていないがこのままでは日本はなくなると感じている。長周新聞号外で高杉晋作と長崎の関わりについても知れわたり、市内では公演ポスターがめだつようになってきた。もう一踏ん張りして公演を大成功させましょう」と呼びかけた。
つづいて、劇団はぐるま座からとりくみの概況が報告された。
現在、長崎公演実行委員会には、長崎の会会員、振遠隊子孫、料亭、老舗商店、さるく見聞館、水産物仲卸業、たばこ組合、自治会長、老人クラブ、農業委員会、くんち塾、寺院、学童保育連絡協議会、大学演劇部、詩吟や剣舞などの文化団体など、幅広い層から65人が名を連ね、市内での反響をものがたるように目標の50人をはるかに上回っている。ポスターは、市内に1470枚、チケットが約200人に合計1500枚が預かられ各地で呼びかけがはじまっていること、約1万3000枚配られている本紙号外「長崎と明治維新の真実浮き彫り」や、民生児童委員協議会や老人クラブ、歴史文化協会、寺、大学、高校演劇部など各地でおこなわれた紙芝居が深い共感を呼んでいることを報告した。
とくに、天領であった長崎から倒幕の戊辰戦争に参加した振遠隊の存在が広く明らかになるなかで、幕末期の長崎で町衆が果たした役割について市民が堰を切ったように語りはじめており、これまでの坂本龍馬や岩崎弥太郎、外国人などがメインにされてきた長崎の幕末史を覆して、明治維新の真の立役者となった長崎町衆の誇るべき歴史を生き生きと蘇らせていることを強調した。
明治期には長崎最大の祭である「くんち」でも「長崎振遠隊凱旋踊」がおこなわれるほど有名だった長崎振遠隊の活躍は、原爆を投下したアメリカの戦後政策のなかで「明治維新は軍国主義につながるもの」として排除され、招魂社もキリスト教から裁判沙汰にされるなど徹底して封じ込められてきた。今回の公演のとりくみを通じて「ねじ曲げられてきた歴史をただし、日本人であることに誇りを持てるように歴史を伝えていきたい」「長崎には特有の歴史の否定があり、戦前はすべて暗黒とされて近現代史が教えられていない。日本人が培ってきた誇りある歴史を子どもたちに伝えたい」「現代の町衆の結束を強めて、現代の世直しの活力にしよう」と上演への期待が高まっていることを伝えた。
長崎から世直しののろしを 熱こもる論議
参加者の論議では、居住区や福祉団体などでの紙芝居を上演した反響や、公演にかける期待が語られ、明治維新や原爆の真実など隠されてきた歴史を広く伝え、「長崎から世直しののろしを上げよう」と意気ごみに満ちた交流となった。
西山在住の被爆婦人は、16歳であった原爆で学徒報国隊として三菱兵器製作所に送られていた700人もの学友を失ったことをのべ、「生き残った2人のうち1人は病床にふせているが、原爆展や公演のとりくみの様子を伝えるととても喜んでいる。原爆を受けて食べ物も着る物もない時代をくぐってきた私たちが口を開いて原爆について語らなければいけない。今回の公演では地域で紙芝居をしてもらい、みんなが感動して見に行きたいといっている。今の子どもにはものや知識も必要だが、それ以上に辛抱する心、思いやりの心を育てないといけないと学校にも観劇を呼びかけている。大成功にむけて走り回りたい」と意気ごみを語った。
地域で紙芝居をおこなった男性被爆者は、「みんな今の世の中が幕末とそっくりだと思っているので、盛んに拍手をしていた。1人でも多くの人に観劇を勧めていきたい」とのべた。
振遠隊をまつる佐古招魂社の世話をしてきた男性は、「数十年にわたって招魂社の祭事をつとめてきたが、振遠隊が幕府軍を倒すために奥州にいったことをはじめて知った。先祖が書き残したものはあったが判然とせず号外を読んで“そういうことだったのか”と心から納得できた」と喜びを語り、招魂社には戦時中までは大勢の人たちがお参りをしていったが、戦後になって場所を移され、縮小されてきた変遷の歴史についてのべた。
郷土史家の男性は、「私と長州との関わりは深い。私の先祖は国学者で、幕末には長崎で眼医者を開業していたが、吉田松陰と親交があり、家をあげて長州に加勢していた。安政の大獄で彦根藩に捕まり、長い間獄につながれていたこともあった」とのべた。振遠隊に参加した先祖が奥州戦争にいったときに土産としてもちかえったという埋木(置物)を披露。底には「奥州名取川埋木」「振遠隊光井深助亮昶、明治元年戊辰秋従奥羽征討之軍」と刻まれており、「先祖代代大切に受け継がれてきたもの」であることを紹介した。
被爆婦人は、「長崎には古い歴史があるが、知らないことがあまりにも多いと地域の中でも大話題になっている。この公演を通じて長崎の本当の歴史を全市内に知らせていかなければいけないと思う。長崎では原爆も語ることができなかったが明治維新も同じではないかと感じる。長州からやってきて明るみに出してもらい、たいへん感謝している」と反響を伝えた。
子供達にも見せようと話題 生き方も重ねて
少林寺拳法指導者の男性は、敗戦後の日本を立て直すという精神で少林寺拳法がはじまったことを紹介し、「今の日本の状況をみていると、自分だけの利益を考えて、他人を犠牲にしてもかまわないという考え方が増えている。他人を騙して金儲けをしたり、人としてのプライドを捨てて目先の利益に走る生き方に憤りを感じている。その意味で、この劇にはとても共鳴するものがある。ぜひ子どもたちに見せていきたい」と語った。
諫早から参加した文化団体の男性は、「諫早でも幕末に大規模な百姓一揆があり、江戸に向かおうとして打ち首になった義人の遺志をついで農民が立ち上がった歴史がある。佐賀藩の領地に接収された諫早では、過度の年貢取りたてに対して農家が米を出さない抵抗をしてきたことが現在の礎になっている。内容は違っても高杉晋作の国を変え、地域を変えていくという精神は同じだ」と共感をあらわした。
参加者からは、「原爆の事実も知らず、日本が植民地にされていることを気づかずに、子どもたちが政治家のマネをするようになったら大変な国になるという危機感をもっている。この日本を立て直すことこそが日本人としての活路だ」(男性被爆者)、「高杉晋作は黒船に立ち向かって、一生を投じた人であるからぜひ観劇して欲しいと地域で呼びかけている」(自営業者)、「最近は高杉晋作や奇兵隊について扱っていない教科書もあるくらい明治維新についての教育は希薄になっている。自分もこの劇をつうじて学んでいきたい」(男子大学生)と公演成功に向けた思いが語られた。
歴史文化協会の年配男性は、「今までもはぐるま座の演劇を見てきたが、今回の台本を読んでこれなら絶対に盛り上がるに違いないと確信している。庶民の立場から歴史を描く貴重な劇団だ。最後まで応援していきたい」と語った。
最後に、はぐるま座から学校から子どもの集団観劇や教育団体などへ働きかけをしていくことや、風頭公演での花見イベント、商業組合、文化団体などで紙芝居が予定されていることも報告され、一〇〇〇人を大きく上回る観客動員にむけて奮斗することが確認された。参加者たちは「あのポスターに負けないように雷電の如くがんばろう」「うちでも紙芝居をしたい」など意気ごみを語り合いながら、チケットやポスター、チラシ、公演ニュースなどを持ち帰った。