長崎市公会堂で12日、劇団はぐるま座による『動けば雷電の如く―高杉晋作と明治維新革命』公演(主催/同公演実行委員会)がおこなわれ、昼夜2回で800人の観客が詰めかけ熱気あふれる公演となった。
後援団体には、取り組みの中心を担った「原爆展を成功させる長崎の会」をはじめ、下関・東行庵、史跡料亭花月、長崎市子ども会育成連合会、長崎市青少年育成連絡協議会、長崎市PTA連合会、長崎県、長崎市、長崎市教育委員会が名を連ねた。実行委員会には、振遠隊子孫、老舗商店、さるく見聞館、たばこ販売協同組合、水産関連業界、寺院、くんち塾、歴史文化協会、武道団体、文化団体、大学演劇部など各界から76人が参画し、長崎における明治維新の真実を浮き彫りにしながら、「長崎から現代の世直しののろしを」という意気ごみで全市的に取り組まれた。
会場には、連日宣伝活動を取り組んできた実行委員をはじめ、長崎市内、諫早、大村、佐世保、島原からも観客が詰めかけ、袈裟姿の僧侶たちの集団や、高杉晋作が通った老舗料亭から和服姿の仲居さんたちが駆けつけるなど多彩な顔ぶれで賑わった。
開演に先だち、実行委員長の永田良幸氏(原爆展を成功させる長崎の会会長)は、12歳の時に中心地から500㍍の場所で被爆し両親を含めて6人の家族を原爆で失った経験を語り、「あの恐ろしさは今も忘れていない。だが、平和といわれる今の世の中は、自殺や親殺し子殺しなど悪いニュースばかりだ。子どもたちには親や兄弟を大切にして、立派な国をつくってほしい。日本は戦争犠牲者をはじめ、さまざまな犠牲の上にあるはずだが、今は1部の政治家が私物化しており、このままでは完全な外国の植民地となってしまう。100年後には日本人村がポツンとできているのではないかという危機感を持っている。この劇は、いかにしていい世の中をつくっていくかという私たちの思いに応えてくれるものと思う」と力強くあいさつした。
夜の部であいさつに立った吉山昭子氏(同)は、「長崎での公演は初めてになるが、この芝居を見た感動は抑えきれないものがある。今の世代の子どもたちに伝えていきたいこともたくさん詰まっており、ぜひとも感動を胸にして帰っていただきたい。また、宣伝にあたって長崎市内を津津浦浦まわり長崎のためにたいへんお世話になったこともお礼をいいたい」と謝辞をのべた。
幕が上がると、舞台上でくりひろげられる明治維新の世界に観客は引き込まれ、身を乗り出して見入る姿が見られた。
関門海峡を背景にして、外国船の砲撃で破壊された砲台修復に働く農民、町人たちが、年貢を取り立てながら外国列強の日本の食いつぶしを許している徳川幕府の脆弱さや、独立と世直しにかける気概を活発に語り合う場面、高杉晋作が白石正一郎と奇兵隊を結成する場面などをへて「倒幕」の藩論統一をかけて功山寺で決起するまでの舞台の躍動感は、客席と一体となって盛り上がっていった。
俗論政府に命を狙われながら、下関で挙兵するために萩を脱出する高杉晋作が「内憂外患我が洲に迫る、正に是れ邦家存亡の秋、将に回天回運の策を立てんとす、親を捨て子を捨つる亦何ぞ悲しまん…」と朗朗と吟ずる場面では、客席は水を打ったように静まり、目頭を拭ったり鼻をすする声も聞かれた。また、功山寺挙兵にあたって奇兵隊士たちが張りつめた心境を合吟する場面や、激戦の地に農家の母親たちが荷車に乗せた米俵をとどける場面では熱い拍手が送られた。
また、長崎公演で加えられた「長崎は薩長同盟を結んだ主な舞台となりました。それは中国貿易を主として発達した商業都市であり、封建制と対立しており、薩摩長州との交易関係を持っていることが土台となっていました。そして明治維新の決定的な時に、町衆の二男、三男300人あまりが長州奇兵隊をモデルにした振遠隊を編成し、新式の連発銃を持って、奥羽戦争で苦戦していた長州軍の援軍となり、盛岡城の開城に貢献したことは後世に語り継ぐべき長崎の誇りでなくしてなんでありましょう」という解説では拍手も最高潮となり、カーテンコールでは「高杉さん!」「また来るのを待ってますよ!」というかけ声が飛びかった。
冷めやらぬ感動を語りあう 感想座談会
終演後は、見送りに出た役者たちと観客の熱い交流が続き、会場ロビーで開かれた感想座談会には昼夜あわせて約50人が参加して口口に冷めやらぬ感動を語り合った。
原爆孤児の男性は、「戦後の経験と重なって当時の百姓たちの気持ちはとてもよくわかった。奇兵隊の1人として自分も戦場にいるような気持ちで見させていただき、感激と感動で涙が止まらない。いまの世の中は狂っている。下関も長崎も夜明けの町であり高杉晋作のように若い人も年寄りも力を合わせて下から国をつつかなければいけない。高杉晋作は若くして亡くなったが、みなさんは長生きしてこの劇を続けてもらいたい」と感無量の思いをのべた。
実行委員として宣伝活動に尽力した70代の婦人は、「劇はタイトル以上の内容だった。公演日までの間、劇団員のみなさんと一緒に市内の津津浦浦で紙芝居をしてまわったこともとても貴重な体験だった。来年も、再来年も長崎で公演するときは、ぜひみなさんのご協力をお願いしたい」と呼びかけた。
振遠隊子孫の男性は、「振遠隊のことを新聞紙上でも、舞台上でも取り上げてもらったことがとてもうれしい」と喜びをにじませて礼をのべた。
郷土史家の男性は、「歴史劇やテレビでは英雄主義にとらわれたものばかりだが、この劇では奇兵隊をはじめとする庶民が明治維新に参加したことを強調したことが見事だと思う。また、公演に先立って、団員のみなさんが市内で紙芝居をしたりして、長崎市民にとけ込んでいったことで今日のような見事な芝居ができたのだと思う。庶民を主人公にした芝居は概して儲けが少ないがそれをあえてやろうとするはぐるま座の心意気がすばらしい」と感嘆の思いをのべた。
男性被爆者は、「1つの目的のために全体が動いていく様子を見ながら、みんなを納得させて率いていく高杉の指導力はすごいものだったのだと感じた。この幕末の人人の意志と精神力の強さは、現代人にとって1番必要なものだ」とのべ、「高杉晋作は全生命をかけて自分の使命をまっとうし27歳で亡くなった。80歳を過ぎた私もこれから明治維新について勉強していきたい」とさっそく買い求めた書籍を手に意気ごみを語った。
長崎にUターンしてきた男性は「高杉晋作が大好きで、山口県に何度も足を運んだ」と語り、「芝居の中で、米を運んできた農婦たちに、奇兵隊士たちが“この米を集めるのにどれだけ苦労したか”と心をよせるセリフのなかに奇兵隊をつくった高杉の気持ちが1番表れていたと思う。この劇は、今に通じるものがある。若い人たちに見せたい」と感動をのべた。
市職員の男性は、「とにかく感動、感激だ。このような芝居をもっと多くの子どもたちに見せてやりたい。国会議員には“この維新の心意気を見て見ろ!”と言いたい気持ちでいっぱいだ。今後益益の発展を願っている」と感極まってのべた。
諫早から駆けつけた郷土史家の男性は、「これまでもはぐるま座の演劇を見てきたが、今回ほど舞台が美しく、人人の心に訴える劇はない。はぐるま座は厳しい再建の努力をしていると聞くが、このような芝居をやっていけばすばらしく発展を遂げていくことは疑いない」と力強く激励を寄せた。
「大八車に米を積んで運んできた母たちの力強さと、その苦労を思いやる奇兵隊の心づかいに涙が出て止まらなかった」(主婦)、「子どもたちも熱のこもった演技に引き込まれ、真剣そのものだった。この作品が必ず大人になって役立つときがくると思う」(学童保育連絡協議会)、「明治維新についてあまり知らなかったが、劇を見てすごく勇気をもらった」(中国人留学生)など語り尽くせぬ感想があいついで語られた。
劇団を代表して高杉晋作役の川森大輔氏が、「公演までの期間、長崎の方方の熱い心意気に触れて私たちの長崎に対するイメージも大きく変わった。命がけで維新を成し遂げた長崎の町衆の力を蘇らせるとともに、ふたたびアメリカの植民地にしてはいけないと願うみなさんの思いと一つになってすばらしい公演ができた」とお礼をのべ、今後も長崎県内をはじめ、全国で結びつきをさらに広げていく決意を示した。
長崎維新の真実掘り起こす 現代に通じる取組に
今回の公演は、長崎における明治維新の真実を掘り起こすことをともなって取り組まれた。
高杉晋作も出入りし、薩長同盟の実質的な舞台となった丸山の料亭をはじめ、倒幕に向けて町衆によって結成された振遠隊の子孫、その招魂碑を管理してきた地元住民など市民の中では明治維新で長崎町衆が果たした役割が脈脈と語り継がれている一方で、戦後は「明治維新から日本の軍国主義がはじまった」という1面的な評価がはびこり、慰霊碑も人目のつかないところに排除されるなど、アメリカ占領軍による日本人の骨抜き政策と関わって維新の真実は抹殺され、歴史が偽造されてきたことも浮き彫りになった。
振遠隊をとりあげた本紙号外「長崎と明治維新の真実浮き彫り―倒幕戦に参加した町衆の誇り」約1万5000枚や、『雷電』の内容を紹介する街頭紙芝居は全市的な支持と共感を集め、「長崎を覆っていた氷が溶けはじめた」と強い共感を示す市民もみられた。
また、親殺し子殺しなどの青少年犯罪が絶えない教育の崩壊状態や、働いても食べていけない状態に置かれている労働者の現状、アメリカをバックにした郵政民営化など現代の問題とあわせて論議が進み「維新の誇りを回復し現代の町衆の意気を示そう」「現代の世直しをやろう」という市民の思いと響き合って取り組みに熱がこもった。ポスターは商店や事業所などに1700枚貼られ、約300人に2000枚のチケットが預かられるなど、はぐるま座の長崎における公演としても史上かつてない規模となった。
全国に眠る維新の真実を掘り起こすなら、現代の平和と独立を求める世論を大きく励ますものとなることを確信させるとりくみとなった。