いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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南スーダンの自衛隊派遣と駆けつけ警護を巡って 大阪大学・栗本英世氏に聞く

 紛争が激化する南スーダンへ、安保法制の強行採決によって可能になった「駆けつけ警護」「宿営地の共同防衛」の新任務を付与された陸上自衛隊の隊員たちが出発し始めた。本紙では、「駆けつけ警護」の問題等を考えるにあたって、南スーダンの歴史的、社会的な変遷や民族矛盾など、現地の実態を知るため、専門家に取材を重ねてきた。今回は、長く南スーダン現地にかかわってきた栗本英世氏(大阪大学)に話を聞いた。


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南スーダンの現状について



 南スーダンが混乱状況にあるのは確かだ。ただし、2013年12月に紛争が発生してから数カ月間の激烈な内戦状態に比べると、現在は、戦闘の規模や死者数などを見ても、相対的に安定しているといえる。とはいえ、現在も内戦状態にあることは間違いない。


 スーダンは19世紀半ば頃から初めはエジプトの支配を受け、その後19世紀末に十数年間のマフディー国家をへてイギリスの統治を受けた。1956年にイギリス・エジプトの統治から独立してスーダン共和国が成立するが、その後22年間にわたって南北の内戦が続いた。


 この長い歴史のなかで、南スーダンの人びとはある国家のまともな国民として扱われたことがなく、支配されたことはあっても統治されたことはなかった。南スーダンの人びとにとって「国家」とは常に暴力的な存在であり、国家=軍隊だ。近づいてくるとだいたい悪いことをするから、できるだけ遠ざかって暮らしたいという思いがある。従って、国が国民を守ってくれるとか、国が国民のことを考えてくれるとはだれも考えていない。本当の国家ができる初めてのチャンスが2005年の和平合意(スーダン内戦の終結)、続いて2011年の独立であったが、それがうまくいかず現在に至っている。


 こうした経験から、幸か不幸か南スーダンの人びとは自分たちで生きていく力が強い。70年前の日本人は同じような力を持っていたかもしれないが今のわれわれが同じ状況に置かれたらすぐに死んでしまうだろう。そういう中で生きている。


 2013年から続く紛争状態は、サルバ・キール大統領とリエック・マチャル前副大統領の権力闘争だ。南スーダンでは政府と軍隊の実権を握ることが巨大な利権とつながっている。権力を握ることは汚職・腐敗を続ける権利を確保することになり、この権力闘争に負ければすべてを失う。


 もう一つ、権力の座にしがみつかなければならない理由がある。2013年12月以降の内戦において、政府側・反政府側がどのような人権侵害と戦争犯罪、人道に反する罪を犯したかについて、アフリカ連合や国連などから詳細な報告書が出て、明らかにされている。ということは、安定した民主的な政府ができると、犯罪を犯した者、つまりサルバ・キール大統領らは法の下で裁かれることになる。免れるためには内戦状態を続けるしかない。不安定な方が自らの利益になるため、大統領はできるだけ長く政権の座にとどまろうとして、さまざまなひき延ばしをしてきた。


 1年8カ月もの長い和平交渉をへて結んだ昨年8月の和平合意も、エチオピアのアディスアベバでみな調印したのに、サルバ・キール大統領だけ、「ジュバに帰ってみんなと相談する」といってサインせず、その後八日間くらい粘っていた。仲介役のウガンダ大統領やケニア大統領、エチオピア首相らがジュバに行き、「ごちゃごちゃいわないで早くサインしなさい」といってサインさせたものだ。8月に調印し、11月頃までに暫定政府をつくることになっていたが、暫定政府ができたのが今年の4月末。ようやく暫定政府ができたかと思ったらわずか2カ月ほどしか持たず7月に崩壊した。現在の紛争状態は意図的につくり出されているものだ。かりに2012、3年頃に総選挙がおこなわれていたら、サルバ・キール大統領はまだ過半数の支持を得て勝っていたと思う。しかし、その後政府がやってきたことに国民はうんざりしているので、今選挙をやっても過半数の支持を得ることはできないだろう。


 サルバ・キール大統領とそのとりまきの一番の犯罪は、かつてないほど国民を民族単位で深く分断してしまったことだ。2005年に終わったスーダン内戦においても南スーダン人同士が殺しあったが、それは背後でハルツームの政府が糸を引いていたものだった。しかし今回の歴史上ないほどの殺しあいは南スーダン人自身がひき起こしたものであり、外にいるだれかに責任を負わせることはできない。


 問題は、今の政権にとってかわる受け皿がないことだ。現政権に対抗しているリエック・マチャル前副大統領が率いる反政府派は寄せ集めの面を持っている。それらを一つの政治勢力にまとめることができれば多数派になるが、トップになるリエック・マチャルへの支持も国民的なものではない。彼はスーダン内戦下の1991年にジョン・ガランが率いるSPLAに対する反乱を起こした。その時点では私は彼のいっていることは正しいと思ったが、彼が北のスーダン政府側についたため、スーダン内戦は南スーダン人同士が殺しあう様相を呈し始め、結果として悲惨な事態を招いた。そのことをみんな忘れてはいない。その後リエック・マチャルはSPLAに戻ったが、また出て行き、今回が3回目だ。多くの人は「いい加減にしてくれ」と思っている。



 スーダンは内戦で政権維持



 もともとジョン・ガランが率いたSPLAは、スーダン全体の解放をめざしたものであり、2005年の南北の和平合意も、南部の自決権を認めたが、独立を前提としたものではなく、統一スーダンの枠内で解決しようとするものだった。2007年頃から独立に傾いていったものの、2010年4月におこなわれた総選挙では、SPLMはスーダン全体の大統領候補を出し、選挙活動を開始した当初の集会にはものすごい人が集まった。北部・南部ともに人びとは「これでようやくバシール政権が倒れ、民主的なSPLMの政府ができる」という希望を持っていた。しかし、SPLMは選挙の途中で撤退した。これは、スーダンのバシール大統領と南部スーダンのサルバ・キール大統領が取引した結果だと思われる。スーダンの人びとにとって、これは裏切り行為だった。


 この取引によって、北部スーダンのSPLM/SPLAのメンバーは捨てられることになり、バシール大統領はこれらの人びとがいるヌバ山地、青ナイル地方、コルドファン地方に対してすぐに戦争を始めた。2010年の総選挙でSPLMのメンバーが州知事に選ばれた地域もあったが、それを武力で潰した。今は忘れられ日本国内でも報道されなくなっているが、スーダンでも、ダルフールも含めてこれらの地域は今も内戦状態だ。そもそもスーダン政府は内戦によって政権を維持している。そういう意味で南スーダンはスーダンのまねをしているといえる。



 国際社会はどう関与したか



 南スーダンという新しい国づくりが失敗した要因の一つに、長期間にわたる大規模な国際社会の関与がある。内戦の続くスーダンに対して国連主導の人道支援が始まったのが1989年。それは政府側・SPLA側どちらにも合意をとりつけて両方の支配地域でおこない、2005年まで16年間も続いた。国連史上最長の「緊急」人道支援である。その評価はさまざまあるが、これが内戦を激化あるいは長期化させたというのが普通の見方だ。政府軍とスーダン人民解放軍の兵士たちは援助物資の食糧を食べて戦闘をおこなっただけでなく、援助物資を売りさばいて収入源にしたからだ。援助依存の体質がここでできてしまった。


 こうした国際社会の援助は2005年の包括和平合意以後も続いた。2005年以降は、ゼロから国をつくる援助をしたわけだから人道支援よりはるかに規模が大きくなった。人道援助に加え、学校や道路、橋をつくるなどの開発援助も始まり、2013年の紛争発生まで南スーダンは戦後復興経済ブームとなった。


 しかし南スーダン人はあまりその恩恵にあずかっていない。開発にかかわる企業やビジネスマンはケニア、ウガンダ、エチオピア、南アフリカなどの周辺諸国から入り、肉体労働者のレベルまでケニア人やウガンダ人が入った。これらの周辺諸国は南スーダンよりも近代化しており、朝八時に来て与えられた仕事をするという学習をしていた。南スーダン人の多くがそうした労働者としての訓練ができていなかったため雇用主が期待するほど働いてくれない。給料をもらったら酒を飲んで2、3日仕事に来ない人がたくさんいた。


 復興ブームで南スーダンに落ちた金があるとすれば給料くらいだ。確かに、2005年以降、全部で10ある州ごとに政府ができ政府・議会の建物、学校、病院などのインフラがある程度整備された。大量の兵士、警官、教員、役人等が雇用されたため、公務員数は増加した。言い換えれば戦後復興の分け前を人びとに与える手段が、公務員にすることしかなかったということでもある。


 国づくりが失敗したもう一つの要因は、2005年の和平合意の内容ともかかわっている。この合意は文書としては非常によくできたものだったが、それを2011年までのわずか6年間の移行期間で実行しなければならなかった。普通の国が何十年もかけてやることを六年間で実行する。国連と国際社会はその工程表通りに物事を進めることに集中せざるを得なかった。「新しい国」という器をつくることに関心が集中され、国民・社会といった中身はおざなりにされた。汚職・腐敗についても、大統領や副大統領を更迭していては仕事が滞るので、触れずに進めたし、内戦中にスーダン政府とSPLAがどのようなひどいことをしたのかについても不問に付した。これらの問題が今の状況を生み出しているといえる。



 中国の進出と石油の開発



 22年間続いたスーダン内戦の過程で、初期の冷戦期間中、SPLAは東側についていた。しかし冷戦末期の1989年、クーデターによってスーダンにイスラム原理主義政府ができ、90年代に入ってアメリカがこれをテロ支援国家に指定した。オサマ・ビン・ラディンがスーダンに来たのもこの頃だ。冷戦後の枠組みのなかで、クリントン政権のときにアメリカはSPLAを明確に支援し始めた。同時期に中国が石油開発と武器支援という形でスーダンへの関与を深めていった。北部のスーダン政府を中国が、南部のSPLAをアメリカが支援する形になった。


 もともとスーダンではイギリスやフランスなどの欧米諸国が石油の利権を持っていたが、内戦が起こったために権利を放棄し、そこに中国、マレーシア、インドのアジア連合が入った。油田開発をするためには、反対する油田地帯の人びとを一掃する必要があった。スーダン政府は中国が支援した武器で油田地帯に住む人たち、ヌエル人の村を焼き払い一掃した。そのときに使われた軍隊もヌエル人であったため、そうしたヌエル人同士の分断は今も尾を引いている。


 これらの経過を経て1999年にスーダンは石油輸出国となった。中国はこれに対して数千億円の投資をし、ハルツームには兵器工場もできた。現在南スーダンの石油産出量は内戦のため減少しているが、機能している上ナイル州の油田会社の主要株主は中国の国営石油会社だ。ここが40%の株を持ち、何百人という中国人が働いている。国家予算のほとんどを石油収入に依存している政府にとっては、この油田は生命線であるため、政府側のディンカ人民兵が警備しており、その給料を石油会社が支払っている。


 中国はアフリカ全体に進出し、巨額の投資を行っている。先月ニュースになったが、ジブチとアディスアベバを結ぶ鉄道を約3000億円かけて中国がつくった。100年以上前にフランスがつくったものが、そのまま老朽化していたが、並行してまったく新しい鉄道をつくったのだ。この鉄道はエチオピアにとって重要だ。1993年にエリトリアが独立し、98年から2000年までエリトリアとエチオピアは戦争をしていたので、いまだにその国境は閉鎖されている。エチオピアは内陸国になり、エリトリアから物資が入っていたルートが遮断されているので、ジブチに頼らざるを得ないからだ。しかしこの鉄道で働いている何千人という人は、今のところみな中国人だ。5年かけてエチオピア人に移行するといっている。いつか大事故が起こるのではないかと危惧している。経済発展しているエチオピアには1昨年周辺のアフリカ諸国では初めて通勤用の電車が通った。それも中国の援助で建設された。中国の場合プロジェクトに技術者だけでなく現場労働者まで来る。


 他の先進国は投資の規模からして中国のまねはできない。日本政府も量ではなく質で対抗しようとしている。私は専門家ではないのでよくわからないが、素人目で見て、中国がいつまでこのやり方を続けられるか疑問だ。それぞれの国に何千億円、1兆円といった金をばらまいているが、元がとれているか怪しい。こうしたやり方は、そのうち破産するのではないかとも思う。ただ、中国の場合、「1000億円出す」といっても自国の業者と労働者が入るので、その多くが自国に戻ってくる仕組みだ。また1000億円と発表しても実際には500億円だったという話もよくある。建設業などを見ていると仕事は早いが、アスファルトの厚さが3分の1くらいしかないなど、質は悪い。



 絶えることのない武器流入



 南スーダンには税金を集めるシステムがなく、部分的にあったとしても個人のポケットに入ってしまうため、政府の財政は9割9分石油に依存している。しかしこの混乱のなかで石油の輸出は滞っており、政府は財政的に破綻している。軍隊には給料が出ているが、そのほかでは遅配が起こっている状態だ。すでに2012、3年頃には中国や湾岸諸国から借金をしていることがニュースになっており、その段階ですでに限度に達していた。石油を担保にしているので、このまま平和になっても10年分くらいの石油を借金返済に回さなければならないのではないかというくらいだ。内戦が始まる前ですらその状態だったのに、いまだに財政が回り、お金のかかる戦争を続けられることが謎だ。


 また国連が武器の禁輸という制裁措置をおこなっているのに、武器がどこからか流れてくる。国際NGOなどの報告書によると、反政府派が使っているのは中国製の武器だ。つまりスーダンから来ている。大統領側を見ると、最初に買った攻撃用ヘリはウクライナからだった。旧ソ連の東欧諸国では冷戦時代の遺産で武器がだぶついており、ルーマニアやブルガリア、ウクライナは武器輸出で儲けている。ウクライナなどは武器とともにパイロットなど人も出しており、今政府軍の攻撃用ヘリを操縦しているのは南スーダン人ではなくウクライナ人だといわれている。


 2013年以降に大統領側が入手したといわれているのがイスラエル製の自動小銃だ。政府軍と大統領と同じ民族であるディンカ人にその自動小銃が渡り、エクアトリア地方に家畜を略奪に来るディンカ人の若者たちが、それまでなかったイスラエル製の小銃を持ってくるようになったという。戦車でも大砲でも、弾が尽きれば無用の長物だが、弾がなくなるとちゃんと届くようになっている。


 国際社会が本当に制裁措置によって紛争を収めようとする意志があるのであれば、一つは完全な武器の禁輸、二つ目は指導者たちの資産の凍結をすることが有効だ。しかしアメリカが自国内にある資産を凍結しているものの、もっとも資産があるケニアとウガンダでは資産を凍結していない。南スーダンの腐敗した指導者たちはケニアやウガンダに豪邸を持ち、銀行に預金してビジネスをしているし、これまで汚職・腐敗で得たお金が数千億円ある。それを凍結すれば戦争を続けることはできないが、近隣国という事情もあり資産凍結ができない。世界中のあらゆる武力紛争は、武器・弾薬の供給がストップすると沈静化する。これは単純でわかりやすい問題だが、武器輸出で多くの国がもうけているから、結局どこでも解決できていない。 



 意図的に煽る「邦人保護」論



 現在南スーダンに派遣されている国連PKOは当初の南北の停戦監視や平和維持などから、2014年に市民保護が一番の任務となった。しかし今でも宿営地の外での市民保護はまったくおこなわれていない。宿営地は砦のようなもので、防御設備に囲まれている。そのすぐ外で人が殺されても出て行かないのが普通だ。もし出て行けば必ず戦闘が起こりPKOの要員が犠牲になる。宿営地の中でさえもときどき殺されるような状況だ。


 国連は今年7月の戦闘への対応を失敗とし、市民保護の機能を強化するために4000人の増派を決めた。そのなかで日本政府が「駆けつけ警護をするために自衛隊を送る」といったら、国連は「中国やエチオピアの部隊は断るけど、日本の自衛隊はやってくれるんだ」と受け止めるのが普通だ。宿営地の外で市民が殺される状況になったら真っ先に出て行って犠牲を払ってもいい、国連のため、市民のために仕方がないと日本政府が考えているならまだいい。しかしそうではないといっている。


 また自衛隊の活動範囲はジュバ市内に限られているが、今市内には政府軍しかいない。人びとを掠奪し殺しているのも政府軍だ。駆けつけ警護が必要な状況が生じるとすると、必ず政府軍と交戦することになる。派遣された相手国の政府軍と戦闘状態に陥ることはPKOの原則に反している。あってはならないことだ。


 もう一点、おかしいと思うのは、政府やマスコミが「邦人保護」といっていることだ。国連PKOの部隊は、派遣先の国の市民や人道援助に従事している機関の職員を保護するのが任務であって、どこにも「自国民を保護する責任を負っている」とは書いていない。PKOに派遣された自衛隊は、国連の指揮下にあるのであって、日本政府の指揮下にはない。派遣国がそれぞれ勝手に自国民を保護し始めたら国連のPKOは成り立たなくなる。たとえば中国軍が南スーダンにいる中国人を守るというとどうなるか。最前線の油田地帯に部隊を派遣することになる。なぜこんなことが日本政府も野党もマスメディアもわからないのかが疑問だ。むしろ意図的に駆けつけ警護が邦人を保護するものだといっているように思う。PKOでなく自衛隊が独自に出動するなら邦人保護もあり得る。しかしPKO以外の状況下で邦人保護のために海外派兵となると戦前の満州事変や上海事変と同じではないだろうか。


 今年7月に戦闘が起こったとき、「これはチャンスだ」と思ったのか、「邦人退避のため」といって自衛隊機が出動した。だが派遣された輸送機はプロペラ機だから途中で何度も給油しなければいけない。小牧基地を出発してジュバにつくのに4、5日かかり、到着したときにはJICAなど現地の日本人はチャーター機を確保してほぼ脱出していた。自衛隊が運んだのは大使館の4人のみだ。1回やってみたかったのだろう。これを実戦向きにしようと思ったら、「どこかに中継基地が必要だ」という話になってくる。



 日本にできることはなにか



 日本はアフリカに対する植民地支配をしていないこと、近現代の世界では、非白人で頑張ってきた民族であること、日本製品に対するなじみ深さなどから、アフリカの人びとは親日的である。また近年はJICAの事業等で来日する人も増え、おおよそいい印象を持って帰っている。南スーダンに対して日本ができることを考えたとき、JICAやNGOの能力上できることしかできないが、やはり人づくり、人材養成が大事だと思う。教育、医療、農業、司法等、すべての分野で専門家は不足している。村に行くと、識字率は1、2割にすぎず、初等教育も多くは青空教室だ。ほとんど文具も教科書もなく、先生もきちんとした訓練を受けていない。大学人としての立場からいうと、高等教育への支援がほとんどおこなわれていないのが残念だ。もちろん初等教育も大事だが、その国の将来のリーダーを育成する高等教育も同様に重要だ。大学は2005年以後増えているが、レベルは高校並みかそれ以下だ。こうしたところに日本ができることがあるのではないかと思う。

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