イタリア下院議員 リカルド・フラカーロ氏招き講演
東京都千代田区の参議院議員会館で11月28日、イタリア「五つ星運動」のリーダーであるリカルド・フラカーロ下院議員(36歳)を招いて、「本当の市民革命を起こすには」と題する講演会がおこなわれた。市民活動家や元国会議員などでつくる実行委員会が主催し、約300人の市民が参加した。イタリアではかつて「西欧で最大左翼勢力」といわれた共産党が路線修正と野合をくり返したあげく民主党となり、与党の座について新自由主義を推し進め、総選挙で壊滅するに至った。一方、政界を支配してきた左右の政治構造を批判し、「直接民主」を目指す五つ星運動が、これらの既存政党とはまったく別のところから急速に支持基盤を広げ、来年の総選挙での政権奪取を視野におさめる規模にまで躍進した。すっかり行き詰まった議会政治を突き破って生まれた新たな政治運動と、それを動かしている原動力はなんなのか。以下、同氏の講演内容を紹介する。
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「どのように市民革命を起こせばよいか」というテーマだが、市民革命の成功例とはどういうものだろうか? 歴史的に見て、最近の市民革命の成功例としては、17世紀、18世紀にフランスとアメリカで起きたことがあげられる。そこでは君主制が廃止され、憲法に則って民主主義が制定された。このプロセスはどのようにして起きたか? それは、2つの要因があった。とくに蒸気機関というエネルギー革命があり、情報面でも新聞が発行されるようになった。エネルギーと情報の革命だ。その結果、新しい中産階級が生まれた。これはいわば富裕層だったが、彼らは意識を改革していた。それまでは君主の手にゆだねられていた権力をみずからの手に握りたいと考えた。それによって代議制民主主義が誕生した。いま現在、もうそれは不十分になってきている。
さらに考えると、私たちの前には2つのエポック(新時代)的変化がある。再生可能エネルギーが広がり、新しい情報改革としてインターネットがある。インターネットによって、イタリア市民は世界中で起きている事件をすぐに把握することができる。私たちには再び市民革命ができる条件が広がっている。
多くのイタリア人は不満を抱えている。情報を得て、問題意識を持ち、その解決策を自分の頭で考えることができるのに、自分たちでその解決策を実現することができない。なぜなら他者が市民にかわってそれをおこなっているからだ。私たちの権力は私たちの手にあるのではなく、他者の手にある。まったく主権はない。そして、国会はまったく好き勝手に行動している。イタリアでは、国会が決めることに対して、私たち市民は何の手立てもない。よってイタリアでは民主主義は低迷している。
私が2013年に国会議員になったとき、同じく議員に選ばれた仲間たちと一緒に理解したのは、私たちの手にあまりにも大きな権力がゆだねられたという実感だ。私たち国会議員は市民たちの生死にかかわることさえ決定することができるのだ。どのような空気を吸えばよいか、どのような食料を摂ればよいか、労働時間はどのくらいにすればよいか、その他さまざまなことを私たちが決められることを理解した。自分自身の給料でさえ決められるのだ。選挙法でさえ変えることができる。選挙法は市民が自分たちを選ぶための唯一の手段なのだ。皆さんそれぞれの人生の間に雇用主がいたはずだ。議員というのは、本来、市民に雇用された労働者なのだ。市民は労働し、税金を払い、いろいろな活動をしているため、自分たちが政治にかかわらないがゆえに自分たちの声を届けるために議員を選ぶ。だから議員というのは市民に雇われた存在だ。想像してみてほしい。雇われている人たちが好き勝手に自分たちの給料を決め、労働時間、年金の額まで決める。この企業は数日の間に倒産するだろう。また、いろいろな研究をした結果、市民が参加し、市民が国会議員をコントロールする必要性が浮かび上がってきた。
最初に目覚めたのが、社会学者のロバート・パットナムで、人民の力について本を出版した。市民の力が及べば及ぶほど公的な制度はよく稼働するということを証明した。市民参加型で、興味をもって政治にかかわればかかわるほど公的機関はよく稼働するのだ。また、ムーラとセフソンという研究者がいた。彼らが証明したのは、参加することによって民主主義がよくなるのではなく、民主主義が広がれば広がるだけ参加する市民も成長していくことだ。市民が参加するツール(手段)があればあるほど、公の機関がよく稼働するようになる。さらに、別の経済学者は、幸福と経済と民主主義とは連結しているということを証明した。公的機関が民主的であるほど市民の幸福度が増す。その民主主義が稼働しているかどうかのパラメーターとしてあげたのが、法律を廃止するため、また発議させるための国民投票の可能性だ。そのような方法を通じて、ただ単に代議制で他者に決定をゆだねるだけでなく、自分たちの声を国政に届けることができるようになる。これが五つ星運動の目標だ。その目標実現のために五つ星運動は生まれた。公的機関に入り、権力を市民の手に戻すのだ。
イタリアの憲法第1条には、「主権在民」とある。だが、イタリア人に「あなたは自分を主権者だと思うか?」と問えば、みな「そうは思わない」と答えるだろう。私の母国イタリアでは、主権は市民の手にではなく、政党の手にある。民主主義の国ではなく、政党権力の下に生きている。この政党権力制を国民主権制に戻すときが来た。私が賛同している五つ星運動はそれを目的として活動している。
五つ星運動は、カザレッジョとベッペ・グリッロの2人が創設した。この運動をはじめてから4年間で、0票から900万票を得るに至った。つまり、有権者全体の25%のコンセンサス(合意)を得たことになる。五つ星運動は数百万、数千万人のイタリア人に希望を与えようとしている。
実はこの運動の起源は古く、1986年にさかのぼる。当時、イタリアの国会を牛耳っていた政党が自分にゆだねられた権力を悪用する事件が起きた。権力によって運営するのではなく、権力で人人をコントロールすることになった。それはいわば自然に起きたものだ。なぜなら、自己保身は本能に従ったものだからだ。政党を保全するために本能はどのような助言をするだろうか? それは、再び選挙で当選するようにふるまう。票のコントロールだ。票を悪意的に操作する。彼らは社会のあらゆるレベルで、自分たちの権力を強化するために介入した。テレビや新聞、雑誌、企業、銀行、病院や保険制度……政治はあらゆる層に入り込んできて、例えば、仕事が欲しければ「○○党の○○さんに頼めば仕事が得られる」という状況さえ生まれた。このようにして大規模な汚職が広がった。すべては自分の議席を守るためだった。
市民無視する既成政党
1980年、ベッペ・グリッロはテレビで有名なコメディアンだった。1986年に、彼はテレビで社会党(当時の政権与党)に対して手厳しい酷評をした。誰もが多くの社会党員が汚職に手を染め、国の金を盗んでいることを知っていた。彼はそれを発言したがためにテレビ業界から追放された。仕事を失い、危機に陥った。だが、危機は同時に新しい道が開けるということでもある。彼は、新しい職業を自分の手で見つけ出した。テレビに出ることができないので、劇場やスタジアムでショーを開き、それを通じて新しいアイディアや考察を伝えるようになった。1990年代でありながら、彼らはサスティナブル(持続可能)な農業など、その成功例についても語り、それは世界中に広がった。劇場やスタジアムが大勢の人で埋まるようになった。観客は彼の話を聞いて笑いながら、考えるようになった。
2005年には、ジャンロベルト・カザレッジョというIT専門家と出会った。彼はベッペ・グリッロに「ブログを開こう」と提案した。新しい考えや構想をインターネットで社会全体に伝えるためだ。1月にブログを開設し、同年12月になると経済新聞によって「最もすばらしいブログ」と称賛されるようになった。2006年には世界中で26番目にアクセスの多いブログとなり、2008年には世界でもっとも影響力のある9番目のブログになった。数百万人のイタリア人が彼らのブログを読んでいた。情報を得た市民は、新たな可能性を知り、その可能性の実現のために私たちはどうすればよいか考え始めた。
ベッペ・グリッロは、人人に「Meet up」というネット上のプラットフォーム(論議の土台となるサイト)をそれぞれ自分の地域で開設することを助言した。このプラットフォームを通じて、市民はいろんな意見を交換し、興味ある情報を共有することができた。だから、多くの人たちがイタリア各地でこの「Meet up」を立ち上げた。いままで知り合いでなかった人たちがそれを通じて繋がるようになった。オンライン(インターネット上)で情報を共有するだけでなく、実際に会って話すようになった。「Meet up」がなければ一生出会うことのなかったであろう人人が集うようになった。出会うことにより、自分の生きる町や村などの問題点とその解決策を話し合うようになり、そのための提案を作成し、政治家のところへ持っていった。だが、残念ながら政治家たちは扉を閉ざした。
最初のうちは、私たちは自分たちが政治家に立候補しようなどという考えはなく、よい提案をして社会をよくしようとだけ思っていた。だが、私たちが見たのは、政治家たちは自分の議席を守るためだけに集中し、市民の生活を改善することには見向きもしない現実だった。私たちを代表している政治家を変えなければならないと理解した。なぜなら、実際には彼らは私たちを代表などしていなかったからだ。
2007年、はじめて「VDAY(ブイ・デイ)」というデモを実現した。Vとは、イタリア語で強い侮蔑言葉である「ヴァッファンクーロ(クソ野郎)」の頭文字で、それは政治家に向けられたものだ。広場で大勢の人たちが集まるイベントを開き、それは全面的にオンラインで企画された。その日だけで35万人の署名を得て、政治家たちを変えようという提案をした。「議員は2期だけ務めたら、家に帰る(引退する)」こと、さらに、汚職のような罪で有罪判決を受けたものは議席にとどまることができないように要求した。
3つ目には、市民が自分自身の手で自分たちを代表する議員を選ぶ権利を要求した。なぜなら、選挙法によればそれができず、いまでもできないからだ。現状では、議員の候補者リストはすべて政党が決めている。党首から選ばれて議員になったものは党首には従うが、市民の意見には従わない。私たちが要求したこのような提案も、すぐに引き出しに収められ、議会で議論されたことはない。この提案は100万人以上の署名を得たにもかかわらず、マスメディアも新聞もこれを無視した。
それに負けず、翌年、オンラインで広場でのイベントを企画した。そこでは報道の自由を提案した。自由報道なしに真の民主主義はないからだ。そこでは130万人の署名を得た。にもかかわらず、この提案も全面的に無視された。なにをしても全面的に無視されたことにより、私たちは党を結成し、国政に関与することを決めた。
直接民主主義の行使へ
政党としての五つ星運動は2009年、聖フランシスコ記念日にあたる10月4日に結成された。五つ星は、①公的な水源確保、②持続可能な公共交通手段、③環境保護、④インターネットアクセス権、⑤持続可能な成長、の5つの大きなテーマを目標にしている。
さらに議員の特権をなくすように要求した。市民の上に立って、自分たちが金もうけをするようなシステムを廃止し、有罪判決を受けた政治家が国会に参加できないように要求した。国政と市町村の議会が透明性を持つことも要求した。そして、市町村からはじめ、国政に至るまでいろいろなところで立候補者を擁立した。
立候補者には、これまで見たことのない新しい人を立てた。まず犯罪歴のない人、議員に選ばれたら給与を半減させることを承認できる人、他のどの党にも属していない人、このような条件を満たした人は誰でもオンラインで立候補者として名乗り出ることを可能にした。履歴や考え方を動画などで投稿し、誰でも立候補できる。五つ星運動の党員たちは一ユーロも払うことなく、彼らに投票できるようにした。
2010年には、市町村レベルの地方選挙に参加した。そのときに議員が34人、市長が4人選ばれた。2012年には南部シチリア州の州知事・議会選挙に参加し、14・9%の票を得た。そして2013年、つまり結党から4年後に国政総選挙に参加した。そこで私たちは約900万票、全体の25%にあたる票を得ることができた。
そして私たちは、4200万ユーロ(約55億円)の公的な政党助成金の受けとりを拒否した。その後の総選挙で、下院議員89人、上院議員35人が当選した。その後、EU議会の議員として15人、市町村の議員96人、そして45人の市長を生み出した。現在は、市町村レベルで五つ星運動の党員としての議員は2000人以上いる。2016年には、トリノと首都ローマで、五つ星運動出身の2人の女性が新市長に選ばれた。
今年、私たちが推す将来の総理大臣として、たった31歳のルイジ・ディマイオ下院議員を選んだ。直近の世論調査によると、五つ星運動は国民の30%の支持を得ており、イタリア国内では支持率第1党である。
ダイレクト・デモクラシー(直接民主)を政治で実現するだけでなく、党内部でもそれを応用するように努めている。私たちが開発した「ルッソ」というアプリケーションは、スイス系フランス人の哲学者ルソーに由来したものだ。このアプリによって党員は、オンラインで自分が選ぶ立候補者に投票できる。2014年のEU議会選挙では、5000人の立候補に対して、3万7000人が投票し、73人が選ばれて議会にいった。この間、選挙には一銭もかかっていない。
また、「ルッソ」の内部には、党員と一緒にプログラムを決定するアプリケーションもある。例えば、2018年の総選挙に向けて公約を決定するにあたり、専門家たちがビデオなどを通じて政策のテーマを説明し、党員たちがそれを見て学び、話し合い、マニュフェストを策定した。
もう一つ、「LEX」というアプリケーションでは、五つ星運動の議員が国会に法案を提案するまえに党員同士でそれを話し合うというシステムだ。例えば、2カ月間、法案をオンラインで提示し、その期間に党員たちがそれについて意見をいう。2カ月後に議員はそれらの意見を集約し、法案をよりよいものに練り上げ、国会に提案する。現在、私たちのプラットフォームでは326の法案が議論されている。そこでの提案や意見は8万件もある。議員たちだけでなく、市民1人1人が法案を提案できる。提案の下書きができたら、すべての党員の投票によって最多票を得た提案が採用される。そして提案者とコンタクトをとり、専門家と一緒に法案の作成段階にも加わってもらい、詳細にわたる法案を決定するまで協働する。そして提案者も私たち議員と一緒に国会に提案に行く。
「シェアリング」というツールでは、すべての市会議員、州議員、国会議員が提案した法案が話し合われる。よい考えは他の人が自由に利用することもでき、よりよい法案にするための新しい提案もできる。つまり、私たちの体験をみなが共有する。毎度ゼロからのスタートではなく、経験に基づいてよりよい方法を見出すことができるようになる。
さらに「E・LEARNING(学ぶ)」というアプリケーションでは、市民や、議員のための無料の養成コースがある。例えば、市民に市町村の決算書の読み方を教えたり、公的文書を入手する方法も教える。市町村の公的役所に対して市民にどのような権利があるのかを教える。この養成コースは、オンラインだけでなく、実際にイタリアの町町をめぐって対面でもやっている。
「インターネットの盾」を意味する名称のアプリでは、五つ星運動に賛同する弁護士を集め、議員を法律的に守る方法を編み出してもらう。議員は敵対する政党側からの批判を受けやすいからだ。また、たった1人の党員でも市町村レベルの議会に提案したり、ビラ撒き活動や困難な人を助けるための人員を募ったり、悪事を摘発するためのアプリも開発している。
もう一つの重要なものは、政治運動の資金を集めるアプリケーションだ。私たちは公の助成金も、大企業や多国籍企業からも支援を受け付けないことを決めている。市民1人1人の少額の寄付で成り立っている。例えば、私が総選挙で選ばれた2013年には、70万ユーロ(約9300万円)の寄付が集まった。市民1人あたりにすると30ユーロ(約4000円)になる。選挙キャンペーンで使った資金は40万ユーロだったので、残りの30万ユーロは、大地震で被害を受けた小学校の再建のために寄付した。
政治家は、概して寄付した人たちからチェックを受けるものだ。もし大企業や多国籍企業から寄付を受けた場合は、彼らが私たちをコントロールすることになるだろう。だが、市民から援助を受けたなら、市民が私たちをコントロールする関係になる。私たちは、すべての政治家が市民のコントロールを受けることを望んでいる。私がいま切に望んでいることは、来年の2018年、私たちの新しい首相をここに連れてくることだ。
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約1時間におよぶフラカーロ氏の講演の後、参加した地方議員や市民との質疑応答の場がもたれた。やりとりの概要は以下の通り。
Q 五つ星運動が大躍進したのは、インターネットだけでなく、地域としっかり向き合った活動が人人に認められたということか?
フラカーロ その通りだ。インターネットは一つの手段に過ぎず、絶対的な価値を持っているものではない。ただ、そこが唯一みんなが自由に意見を交わすことができるツールだったのだ。私たちが自由に意見を交換できる場は、一つはインターネット、もう一つは広場だ。ネットを通じて、以前は絶対に出会うことのできなかった人人に出会うことができる。だが、広場での出会いは直接的なものであり、さらに関係を深めることができる点でより重要だ。ネットが広場にかわることはない。だから、私たちは毎週末、広場に出て行き、人人と直接対話をしている。
ネットでは同じ意見の人間が出会うことは簡単だが、意見が違う人と話し合いたい場合、対面で話し合わなければ意思疎通ができない。五つ星の党員でさえ、国会で意見が合わないときは、一つの部屋に集まり、互いに喧嘩もし、罵倒もしあう。解決策が見つからない間は、喧嘩ばかりだ。解決策を見出した時点で、部屋から出て頭を下げ、みんなで決めた解決策に則って行動する。
Q 日本で五つ星運動を起こすために、なにからはじめたらよいか考えている。
フラカーロ みなさんが五つ星運動の通りにすることはない。自分の道を見出すのがよい。来日して数日たつが、出会った日本のみなさんのなかに変革を求める熱い思いと、現状に対する不満を抱えていることも理解できた。大切なのは、始めてしまうことであり、まずプログラムを練って、戦略を作って……ということではないと思う。アイディアがよく、みなさんに情熱があればすべてよい方向に進むと思う。
Q 日本では、政治に危機感を持って行動する人たちと、日日の暮らしに流されているだけの人との間で考え方や情報が分断されていると思う。イタリアではどうか?
フラカーロ イタリアにも政治に無関心な人は多いが、その人たちに対していくら約束事をしても何も起きない。選挙キャンペーンのように約束事をしてもダメで、無関心の人を動かすには、彼らに決定権を与えることだ。そうすれば彼らは自分で動く。イタリアでは政治に幻滅して投票に行かない人が増えている。問題は、彼らは正しいということだ。選挙があるたびに候補者たちは、市民に向かって「私を信頼してください」という。だが、それは逆で、議員たちこそが市民たちを信頼するべきだと思う。一方、富裕層の中には、生活に満足しているため無関心な人たちもいる。私の助言としては、そういう人たちには関与しない。民主主義で誰が勝つかといえば、参加した人が勝つのだから。
あなたたちが、喜びをもって躍動感をもって参加することによって社会が変わっていく、その有様を見ることで、その喜びを共有できないことに気づき、徐徐に考えを変えていくようになる。参加するということは、そのコミュニティの一員になることであり、参加すれば喜びを感じるが、無関心で参加しなければ孤独感を感じる。だから皆さんは躍動感と喜びをもって活動すれば、その人たちにも影響を与えられるはずだ。
Q 地域の中で具体的にどのように人人と繋がっていったのか?
フラカーロ 私の体験によれば、最初に市町村レベルから活動をはじめた。地域やコミュニティにある問題に目を向けた。それは人人が日日抱えている具体的な問題であり、偉大な政治的観念ではなかった。私と同じコミュニティにいる市民たちに、直接民主主義は可能であり、それによって社会が変わることを訴えた。集会やパーティーでさまざまな人と出会い、そのうちに私たちに共感してくれる人が出てきて、投票してくれるようになり、いまでは私の町では直接民主主義がかなり稼働している。もっとも素朴な問題を解決することからすべてが始まっていく。
グローバリゼーションの社会であるが、もっとも強力な方法は、直接出会い、口で伝えることだ。大きな声でなくてよい。自然に耳に入るように情報や考えを提案し、そして気がついたらみんながかかわっているという状況をつくることだ。
Q 若者の政治への関心が薄い。若い世代に政治や選挙に興味をもってもらうにはどうすればよいか?
フラカーロ それは複雑な問題だ。若者から関心を得るには、彼らに信頼を置くことが必要だ。私の町も高齢化し、大人たちが若者の生きるスペースを狭めているように感じる。大人たちは「若者は無関心だ」「エゴイストだ」「人のことに興味を持たない」などと悪口をいい侮蔑する。そして、もし若者がそのような状態だとすれば、それは自分のせいだということに気がつかない。私たちが若者をそのように育てたのだ。若者というのは私たち自身の鏡だ。だから、若者たちが参加しないといって文句をいう前に、若者たちによい例を示す模範となることだ。そこに魅力があれば若者はおのずと参加してくるだろう。若者は大人から「このようにしろ」といわれることに慣れているが、大人たちは誰も若者の考えを知ろうと努力しない。彼らを信頼し、彼らが何を求めているのかを知らなければならない。
Q 直接民主主義が力を持つと移民排斥などが強まるのではないか? 外国人受け入れなど市民の意見が対立する論点なども多数決で決めるのか?
フラカーロ 確かに市民活動が必ず正しい意見を決定するとは限らない。直接民主主義によって決定する場合、たとえば難民受け入れ反対などの意見が勝つこともあるだろう。重要なのは、いかなる決定も市民みずから下した判断であるという点だ。そこに間違いがあれば、その間違いから学び、成長していくことだ。それがいつも他者が犯した間違いだと捉えられているうちは成長はない。その責任をみずからに課し、その責任にもとづく行動をすることによって成長することができる。子どもを教育していくのと似ている。民主主義を子どもの状態から大人に育てていくのが直接民主主義だ。
Q 日本は戦後72年間、日米地位協定や原発政策も含めて米国の植民地支配の下に置かれている。どのように解決できるか? 国境をこえた市民同士が繋がることによって、それぞれの国の市民運動がより強力になるのではないか。
フラカーロ 私たち五つ星運動は、外国の政治勢力や政治家からの指図は受けない。だから、私たちも日本の人たちにどうすべきかとはいえない。なぜなら、それは日本の人民の責任によるものだからだ。人民自身が、自国の政治をおこなっているものに関与して、どのような未来を築いていくかを自分の手で進めていかなければならない。みずからの権限が尊重されるように要求するのは日本人の責任だ。イタリアでは自国の問題で手一杯だ。
たとえば、戦争について考えれば、市民が集まって論議したなら「戦争をしよう」という結論には絶対にならない。なぜなら戦争に行くのは政治家ではなく、市民だからだ。往往にして、政治家が戦争をすることを決断し、市民が戦場に行かされる。
イタリアはNATO(北大西洋条約機構)加盟国なので、アメリカから「もっと武器に金を使え」といわれている。私たちはそれを拒否した。私たちの憲法は、他国を攻撃することを禁止しており、他国を攻撃する武器に金を払うことはできない。だが、国民の安全保障は重要な課題であり、そのためにもっとも有効な第一の手段は外交だ。
Q 五つ星運動は、ユーロからの離脱を主張しているが、新通貨を発行するということか?
フラカーロ クリプトコイン(仮想通貨)を発行するなどの意見もあるが、それは興味深いものだ。その導入を検討する国さえある。だが、イタリアは自分たちの貨幣を印刷する権限がない。EU中央銀行がユーロ貨幣を印刷しているが、それはイタリアが関与できないことになっている。だから、私たちにはイタリア経済に直接働きかける適切な政策がない。貨幣をコントロールするものは、権力をもコントロールする。だから一つの国が自国の通貨を印刷できないということは、自国の経済力をコントロールできないということだ。その点では、自国の通貨を自国で印刷できる日本の方がよい立場にあるといえる。
私たちはユーロから離脱したいとは思わないが、EUを変革したいと思っている。EUをより民主的な組織にしたいと思う。EU委員会の閉鎖された部屋に首相たちが集まってすべてを決めるような閉ざされたシステムではいけない。なぜなら、すべての権限を掌握するEU委員会は、誰からも票決を受けていない人人が運営しているのだ。私たちはEUに入り、改革し、EU議会にその決定権を移したいと考えている。
私たちは、ユーロ離脱の是非を問う国民投票の実施を宣言しているが、これを圧力にしてEUがみずからを変革することを望んでいるからだ。EUに対し「もっと民主主義を徹底させてください」といったところで、そのような漠然とした意見では彼らは笑い飛ばすだけだ。だからこそ、このような強い主張をしている。EUを民主化するため、EUを動かすためには強い武器が必要であり、それがユーロ離脱の国民投票だ。イタリアはユーロ圏で第3の経済規模を持つ国であり、イタリアが離脱すればユーロ自体が存続できなくなるだろう。
Q 五つ星運動の役員や組織図を作るうえでの決定方法はあるのか?
フラカーロ そんなものは作っていない。すべて即興でやる。私が国会議員になったとき、同じく100人の議員が当選したが、互いに知り合いでもなければ、会ったこともない。国会で初めて出会い、コーヒーメーカーのありかさえ知らず、議事堂の中で迷子になることもしばしばだった。ジャーナリストたちが、私たちが議事堂でさまよっているところをテレビで放映し、私たちのことを「アマチュアであり、エキスパートではない」と嘲笑していた。最初の数週間はたくさん間違いもしたが、私たちはそのたびに一生懸命頭を下げ、研究・努力してそれを乗りこえた。最初のうちは、有名な政治家たちが偉大な人物であるかのように振る舞っているのに比べ、私たちはおどおどした若者のように見えた。だが、それは単なる印象にすぎなかった。実際には彼らはたいしたことのない人物だったのだ。6カ月間、私たちが努力し、勉強し続けたおかげで、6カ月後には10年、15年も国会にいる議員をこえる働きぶりができるようになった。
Q 支持者リストの管理はどうしているのか?
フラカーロ 私たちには膨大な支持者のリストがあるが、議員は誰一人としてアクセスはできない。党員にメッセージを送ることはできるが、個人的にはできない。そうしなければ個人的な支持を得るために悪用する可能性が出てくるからだ。ただ、もし五つ星運動の意志に反するおこないをする人物がいた場合、私たちのところに情報が寄せられる。五つ星運動には3段階に分かれた裁判所があり、保証人がおり、第1段階の裁判で有罪となった人物は次の段階に行き、最後は代表のベッペ・グリッロが保証人になって処遇を決定する。
私たちは最初の時点から、五つ星運動のなかに邪悪な目的のため、または自分の利益のためだけに入ってくる人を追い出すシステムを作っている。私たちにとって外部からの攻撃よりも内部からの攻撃の方がダメージが大きいからだ。いわば外部にいる敵からの悪意のある攻撃は予測できるが、内部にいる「友だち」からの悪意ある攻撃は予測することができない。内部ではモラル的な判断にもとづいて、非モラル的な行動をする人はすぐに追放する。リンゴ箱のなかに腐ったリンゴが1つあるだけで、他のリンゴも腐らせるものだ。
Q 五つ星運動における女性議員の比率について、クオータ(割り当て)制などは導入しているのか?
フラカーロ 私は、女性議員の比率を決めるフォルム制度には反対だ。現象としていえるのは、人人というものは女性に対して信頼を置いているということだ。私たちがなにもしなくても、選ばれた国会議員の50%が女性だった。制度をもうける必要はない。女性枠を作るのであれば、男女どちらにも分類されない人(LGBT)にも枠を作らなければならないということになる。
日常生活では、まだ男女平等ではない社会だ。たとえば女性は家にいたり、家事のために社会的活動などにあまり参加できなかったりする。だから問題は、男女比率を制度として設定することではなく、いかに女性たちが政治活動に参加できるような社会をつくるかということだ。フォルム(枠)をもうけてしまうと、本当に国会に行きたい女性が選ばれるとは限らない。フォルムを設定する党というのは、おおよそ党首が立候補者のリストを作る党であり、党首はだいたい男性であるため男性を選びやすい。もし市民に決定権をゆだねてしまうと、おのずと女性に票が集まる現象が起こる。女性の方がセンスがいいのだろう。女性というのは、本来、守られるべき(弱い)存在ではないのだ。
私たちの集会では、音楽を奏でたり、コンサート形式をとり入れたりもする。ベッペ・グリッロも、選挙スピーチで自分自身が歌ってしまったりする。政治活動が退屈であってはいけないと思う。私たちの人生において、喜びや楽しみはとても重要なことなのだから。