安倍首相が中東外遊でおこなった発言が引き金になって日本人の人質2人が「イスラム国」に殺害され、それを契機に安倍政府が自衛隊の海外派兵の拡大や、集団的自衛権の行使を可能にする安保法制化に乗り出しているなかで、中東・アラブ世界の実際はどうなっているのか、日本はアラブの人人とどんな関係を結んだらよいかについて、人人の関心が高まっている。本紙はこの間、複数の中東・イスラム研究者に取材してきた。そのなかで今回は、静岡県立大学の教員で現代イスラム研究センター理事長の宮田律氏に聞いた話を問答形式でまとめた。
◇米国のイラク戦争契機に泥沼化
―「イスラム国」を含めた今の中東情勢は、最近のさまざまな現象だけでは評価することができないと思う。今の中東の問題を考えるうえで、アラブ世界全体の矛盾関係はどうなっているのか? 中心問題は何か?
「イスラム国」の問題についていえば、アメリカのイラク戦争が非常に大きな要因をつくっている。「イスラム国」の蛮行ばかりがマスメディアで報道されるが、イラク人の側から見れば2003年のイラク戦争こそ大規模な蛮行だった。まったく正当な理由のない、ヤクザのいいがかりのようにして始まった戦争で、家族、親族、同じ部族の者たちがアメリカによって19万人も、(50万人、60万人ともいわれる)殺されている。恨みを持つイラク人は多いと思う。にもかかわらず安倍首相は、昨年五月の国会答弁で「大量破壊兵器がなかったことを証明できなかったイラクが悪い」といっている。
アメリカ軍の破壊力はすごい。そして、イラク戦争はまったく取材させなかった。だから事実が伝わっていない。たとえば米軍がイラク戦争で使った兵器でデイジーカッターという兵器があるが、それはベトナム戦争のときのナパーム弾よりはるかに広い範囲を焼き尽くす火炎爆弾で、イラク軍が「アメリカはイラク戦争で原爆を使った」という表現をしたくらい破壊力がある。ヨルダンのパイロットが焼き殺されたことはもちろん悲劇だが、しかしデイジーカッターで何千人も焼き殺したことは悲劇ではないのか。アメリカは他人のやった蛮行は非難するが、自分のやったことは問題にしない。
そして、イラク戦争でフセイン政権を倒したこと自体が大失敗だった。サダム・フセインのような独裁体制がなぜできたかというと、彼の政権はスンニ派の少数支配であり、多数派であるシーア派やクルド人を抑えるために強権的な手法をとらざるをえなかった。そして戦争という対外的な国家的危機を絶えずつくり出して国民をまとめあげる手法をとってきた。しかしその重石があったから多民族・多宗教の国がまとまっていたわけだが、フセインを倒したことで今のようにバラバラになって対立している。
アメリカの占領政策は、軍隊を解体し、国営企業を民営化して職を奪うとともに、シーア派を登用する一方、スンニ派を徹底的に排除した。アメリカは250億㌦を援助して今のイラク政府軍を創設したが、「イスラム国」に対して非常に弱体で、イランなどの支えでもっている。一方「イスラム国」を構成しているのは主にスンニ派で、サダム政権時代の官僚とか軍人たちが多い。「イスラム国」はフセイン政権の崩壊がなければ誕生しなかった。
大きく見ると19世紀以降、ヨーロッパがイスラム世界に侵攻して、イギリスやフランスが今のイラク、シリア、ヨルダン、レバノンなどの国境の線引きをやった。それも民族とか宗派とか社会的な要因を無視して勝手に決めたわけだ。そして、欧米がつくった中東に対する一番大きな罪はパレスチナ問題だ。アメリカの国内にはイスラエル・ロビー(圧力団体)があって、それが政治力を持ち、アメリカはイスラエル優先の政策をとる。それが反米テロの原因になっている。アメリカはいつもテロが起こる度に「テロを憎む」というが、なぜアメリカが憎悪されるのかを考えないかぎり、また同じようなくり返しになる。
―2011年には、チュニジアやエジプトで民衆が蜂起して親米独裁政権が打倒される「アラブの春」があったが、その評価は?
「アラブの春」によって安定すればよかったが、大きな政治変動のときは安定するまでに時間がかかる。エジプトの場合、経済面では観光業で外国人観光客が落ち込み、ムスリム同胞団のモルシ政権に対する幻滅が広がり、それで軍が出てきた。しかしアメリカは、民主主義を標榜しているにもかかわらず、民主的な選挙で選ばれたモルシ政権が軍事クーデターで倒されてもまったく批判しなかった。それもアメリカのダブルスタンダードだ。
リビアについていえば、「カダフィ政権をやっつけろ」といって米英仏が空爆した。しかしそのカダフィ政権に対して歴史的に欧米が供与し続けてきた武器が、各地のイスラム武装勢力に流れている。今リビアで台頭している勢力は自称「イスラム国」を名乗っている。リビアはまったく無政府状態になってしまった。
シリアでも、アメリカはアサド政権の打倒をめざし、「穏健な武装勢力」という「自由シリア軍」などの反政府勢力に武器もカネも与えているが、この「穏健な武装勢力」が非常に弱体化しており、アメリカは今、どこを支援していいかわからない。打倒をめざしたアサド政権に支援をおこなうわけにもいかない。アメリカはシリア問題についても手詰まり状態だ。アメリカはイラクとシリアに一貫した政策がとれていない。
一方、ロシアはウクライナをめぐって欧米と対立し、シリアでも欧米と対立してアサド政権を支えている。シリアのタルトゥースというところにはロシア唯一の中東の海軍基地がある。それを守りたいという意志はあると思う。
東西冷戦があって、「冷戦が終われば世界に平和が訪れる」といわれたが、実際には民族や宗派で対立し、各地でやりたい放題になっている。こういう宗教的な武装集団があらわれるというのも冷戦後の特徴だ。それまではそういう矛盾は激化しなかった。
イラクやシリアの問題は、イラクやシリアの主権の問題だ。外国が介入すべき問題だとは思わない。仮にいくら暴力的な支配があらわれたとしても、それでは人心を掌握できず一時的な現象に終わった例がこれまでにもある。今のマスメディアの報道は「イスラム国」の一部の現象だけをとらえて、「撲滅する」とか「地上兵力を送れ」というが、それはイラク戦争の失敗をくり返すことだ。後はイラク人たちに任せればよいし、どんなにひどいことが起こっても、人間の本性は平和や安定に向かうと思う。
◇軍事介入破綻した米国
―今の事態は戦後のアメリカの中東政策の破綻を示していると思う。今後、アメリカはどうしようとしているか?
アメリカは昨年9月、イラクの「イスラム国」に対する空爆を開始し、次いで空爆をシリアに拡大した。これでシリアは、1980年以来アメリカが軍事攻撃をおこなった14番目のイスラムの国になった。
アメリカは今後、アフガニスタンとの戦争で北部同盟を使って地上戦をおこなわせタリバン政権を倒したように、シリアの「穏健な武装勢力」とかイラクのクルド民兵組織ペシュメルガなどを使って、地上でのたたかいは彼らにやらせたいというのが方針だと思う。しかし、今回また地上戦に突入したとしても、軍事力で彼らを「根絶」することは不可能だ。2001年にアフガニスタンで戦争を始めたが、米軍はいまだに駐留している。そしてタリバンは根絶されないどころか、勢力を拡大している。それで「イスラム国撲滅に3年かかる」(米国防総省)、「30年かかる」(前国防長官パネッタ)というが、オバマ大統領なんかとっくにいなくなっている。無責任な議論だ。
アメリカは、中東地域でイスラエルを守らなければならないという目標がある。そしてアメリカ経済は軍産複合体でもっており、そのアメリカにとって中東は最大の武器市場だ。兵器の顧客であるサウジアラビアをはじめ湾岸諸国の安定は、アメリカにとって必要だ。バーレーンにはアメリカの第五艦隊の基地があり、カタールにもアメリカ空軍の基地がある。つまり、アメリカの軍産複合体を維持するためには中東が必要だ。もちろんそれで潤うのはアメリカの一部の者で、一般の人はまったく潤わないというのは、日本のアベノミクスと同じだ。
◇平和国家日本の継承を
―そういうなかで、日本としてどういう方向をとることが国益を守ることにつながるか?
欧米対イスラム世界の対立構造にまきこまれるような政策はとらないことだ。日本は経済的な支援だけをおこない、中東地域の政治的な問題には口を出さない。そしてイスラエルとの防衛協力はやめる。アメリカの対テロ戦争の支持もやめ、アメリカの軍事行動には協力しないことだ。
安倍首相はカイロに行って「“イスラム国”とたたかう国に2億㌦寄付します」といったが、これはよくなかった。それを受けて「イスラム国」が皮肉を込めて「2億㌦カネ寄こせ」といっている。またエジプトの現政権、シシ大統領に「テロとたたかう」という。しかしシシ大統領はムスリム同胞団までテロ集団といっているわけだ。
安倍首相はすぐに「テロとたたかう」「テロは容赦しない」というが、その言葉が彼らに伝わってより刺激している。たとえばアメリカやイスラエルはハマス(パレスチナ暫定自治区の現政権与党)やヒズボラ(レバノンのシーア派政治組織)はテロ集団というが、イスラム世界から見たらイスラエルの不当な占領に対する抵抗勢力であって、テロ集団でもなんでもない。安易にテロという言葉を使いすぎると思う。
昨年の7月から8月にかけてイスラエルがガザ攻撃をやったが、それによってパレスチナ人2000人以上が死亡し、そのうち子どもが500人以上犠牲になった。だが、これに対してヨーロッパ諸国は批判しない。アメリカに至ってはガザ攻撃の真っ最中に米国製ロケット迫撃砲をイスラエルに与え、イスラエル内に貯蔵していた手榴弾や迫撃砲弾の即時供与を承認するというひどいことをやった。
そんなときに安倍首相がイスラエルに行ってネタニヤフ首相と握手した。また、イスラエルとの防衛協力も決めているが、これは危険なことだ。そうすると日本が技術協力した武器、たとえばF35は必ずイスラエルがパレスチナ人を殺す武器になる。非常に印象が悪い。日本の先人たちが築き上げてきた良好な対日感情を、あえて台なしにすることはないと思う。
一昨年アルジェリアで銃撃事件があった。そのときにフィリピン人の労働者はすぐに解放されたが、日本人の企業関係者は解放されずにアルジェリア軍の鎮圧のなかで死んでしまった。そのとき、アラブの日本を見る目が変わってきているのではないかという危惧(ぐ)を持った。小泉政権は真っ先にアメリカのイラク戦争を支持し、自衛隊をイラクに送っている。これまで中東において日本人が築いてきた資産というものを、小泉政権と安倍政権が台なしにしたと思う。アラブの論調も危険水域に入っているという感じがする。
デンマークで銃撃事件があったが、デンマークも真っ先にイラク戦争を支持した国で、なおかつ「イスラム国」への空爆にも参加している国だ。イラクに空爆をやっている国はカナダ、オーストラリア、フランス、ベルギー、デンマークの五カ国。その全部でテロ事件が起こっている。暴力は暴力しか生まないということを如実に物語っている。
◇親日的なイスラムの人々
―イスラムの人たちは親日的だと聞くが、何が信頼を得る根拠になっているのか?
イスラムの人たちから見ると、歴史的に日本はヨーロッパのように軍隊を送って手を汚していない。また、自分たちに対してひどいことをやっているアメリカと戦争をやって敗れた。そして「日本人はアメリカによって広島と長崎に原爆を落とされた」というのは、アラブ世界の人人が日本人を見ると誰もが口にすることだ。日本のメディアは広島・長崎の原爆記念日に「アメリカがやった」といわないが、アラブの人たちは主語が抜けていない。「アメリカが日本人にひどいことをしたんだ」という表現だ。にもかかわらず日本は戦後めざましい経済発展を遂げて、科学技術を発展させた。立派な自動車や家電製品をつくる日本人に驚嘆の思いでいるわけだ。
あとは日本人は非常に礼儀正しい。現地の日本人はアラブの人たちに対して敬意をもってつきあっている。たとえばアフガニスタンで支援活動をやっている中村哲医師は、「欧米のNGOは現地の人たちを蔑んで見ているが、日本人は対等の目線で見ている」といっていた。もう一つのエピソードは、1991年の湾岸戦争が迫っているとき、ある日本のビジネスマンがイラクを離れるさい「戦争が終わったら必ず戻ってくる」といったことで、欧米人と違って日本人は私たちを対等に扱っていると話されていた。現地で働く日本人は偉かったと思う。
イスラムの人たちは非常にウエットな感情を持っていて、日本でいえば義理と人情の世界に生きているような感じがある。日本人と感情的にあうところがある。そしてもちろん彼らは、欧米人と違って人種的差別意識がない。そういうことをアラブ世界で感じたことは一度もない。
むしろ彼らが日本人を思っているほど、日本人がアラブやイスラムの人たちのことを思っていないところに問題があると思う。もっと日頃から日本人にはアラブやイスラム世界のことを知ってもらいたい。そしてメディアが伝える極端な現象をとらえて、イスラムの人たちが危険だとか、ぶっそうな人たちだとかいうことをイメージしては絶対にいけないし、ましてや国内にいるムスリム(イスラム教徒)たちに対して偏見を抱いたり、ヘイトクライム(異教徒憎悪による犯罪)をしたりということがあっては断じてならないと思う。