親米大統領ムバラクを打倒した民衆蜂起を、エジプト人民は「1・25革命」と呼んでいる。その原動力となったのは、失業や貧困、貧富の格差、不平等、不公正に対する積もり積もった憤怒であった。エジプトではこの40年近く、親米欧政府が国有企業を民営化し、市場を外資に開放し、証券市場を開いてバブルを煽るなど、徹底した新自由主義と市場原理主義を押しつけてきたが、その大破たんであった。これは日本も世界各国も例外ではなく、共通の問題となっている。
生産を担い社会を進歩させる労働者・人民が団結して立ち上がれば、エジプトで30年も君臨してきたムバラク親米独裁政府をわずか18日間で崩壊させた。この地殻変動ともいえる激変は、中東・北アフリカに限らず世界各大陸で共通しており、「新しい歴史の始まり」といわれている。
1月25日に始まったエジプトのデモは、「若者に仕事を」「汚職・腐敗反対」のシュプレヒコールがたちまち、「大統領退陣」「ムバラクは去れ」に発展した。ムバラク退陣後も、アメリカと因縁の深い軍の最高評議会がどんな方針を出してくるのか、警戒の目で見守っている。
歴代のアメリカ政府はムバラク政府を中東・アラブ世界を支配するかなめと位置付け、毎年20億㌦に及ぶ援助で支えてきた。そのもとで、ムバラクとその一族、一握りの特権支配層らは、400億~700億㌦(3兆3200億~5兆8100億円)もの巨額の資産を蓄えた。そしていくつもの別荘を持ち、女を侍らせ、贅沢三昧の暮らしにうつつをぬかしていた。
社会を支える労働者や勤労人民は貧困を強いられ、牛馬にも劣る生活をよぎなくされていた。8200万の国民の約4割以上が1日2㌦(約160円)以下で生活し、青年の失業率は20%をこえていた。「大学は出たけれど」で、より高学歴の学生ほど就職できない状況だった。
エジプトの下位貧困率(実際の食料消費額が1日1人当りの必要カロリーに満たない人)について、世界銀行の中央統計局は16・7%(1999~2000年)、エジプト人間開発報告書は22・9%(1995~1996年)という数字を出している。
こうした極端な貧富の格差、不平等は、1970年代に始まった「経済改革」と称する新自由主義と市場原理主義の導入がもたらした。
エジプトでは1952年にナセル率いる自由将校団が王制打倒の革命に成功、60年代にアラブ社会主義にもとづく計画経済体制に移行した。スエズ運河の国有化宣言、武力干渉したイギリス、フランスなどの資産を没収して国有化したのをはじめ、ソ連など東側諸国との経済協力関係を強めて、国家資本による工業化を進めた。そのもとでエジプト経済は外国資本の支配から解放され、社会的公平を実現するとともに、一時は高率の経済成長をとげた。
70年のナセル急死後に大統領の座についたサダトは、第4次中東戦争での勝利をへて、今度は親米欧の開放政策に転換した。民営化と称して民間資本や外国資本が大手を振って、金融をはじめ工業部門に進出し、多くの合弁企業の設立が進んだ。同時に、輸入や為替取引も自由化された。
78年にサダト政府は「アラブの大義」を裏切って、イスラエルと「平和条約」を結び、アメリカの中東支配の手駒となった。米欧の援助が急増したが、開放や自由化は中途半端だった。
81年にサダトが暗殺され、副大統領だったムバラクが大統領に就任、自由化政策を生産面に拡大した。金融自由化(金利自由化と為替調整)も実行した。86年の外貨危機打開のためとして、IMF(国際通貨基金)と借款協定を結び、90年12月にはムバラクは自由化推進、民営化のプログラムをうち出した。 ムバラクは90年の湾岸危機でアメリカに協力し、エジプト軍2万人を多国籍軍に参加させた。それが認められて、対アメリカ軍事債務67億㌦や湾岸諸国の債務帳消しなど合計130億㌦の債務削減がおこなわれた。91年5月にも、200億㌦の公的債務削減がパリクラブで承認された。 その代償が民営化プログラムだった。緊縮財政政策として、公共部門支出の自己責任化、売上税導入、エネルギー価格を中心に公共料金の値上げを強行した。
非正規雇用や失業が増 10年で184社を民営化
IMFと世界銀行の要求にもとづく91年の公共事業法は、おもな民営化手段として戦略的投資家(外資など大資本)への売却、従業員への売却などをうち出した。それから01年9月30日までに民営化された企業は184社となった。かつて90%が国営企業であったのが、約70%の生産が私企業でおこなわれるようになった。
国営企業の売却額は96年以降毎年25~38億エジプト以上あったが、それは政府収入の5%にも満たない額であった。また、会社の10%以上の株式を労働者に売れるようにすることで、首切りや賃下げなどへの抗議行動を抑えつける仕掛けもつくった。
労働者の状況はどうかというと、労働力人口は約2200万人で、政府・公共部門や民間企業で働く労働者のほか、非正規労働者として日雇い的仕事に従事せざるをえない人が約700万人。年金も健康保険もない。多国籍企業で働く労働者は、データもなく人数も不明である。多国籍企業の多くは失業者吸収の場となっているが、企業内での組合活動を尊重もせず、諸権利を侵害している。
規制緩和、民営化中心の新自由主義「改革」実施後、生産及びサービス部門の労働者が「余剰労働力」といって解雇された。
教育・医療・社会福祉・低家賃住宅など社会サービスへの政府支出が減少し、実質賃金が大幅に低下した。失業者が増え、物価が上昇し、貧困層が増大している。
新自由主義と市場原理主義のグローバル化に加えて、08年からの金融危機は民営化や「合理化」に拍車をかけている。首切りや調整の名による雇用の剥奪で失業者が増大しているなかに、毎年約80万人の大学新卒者が加わる。民間企業は新卒者を吸収する状況にはない。大量の失業者と限られた就職先、労働者の基本的権利も守られない職場で働かざるをえなくなっている。悪質な例では労働契約の署名と同時に辞職の書類にも署名をさせられる。社会保険もない労働者が増えている。
貧富の格差・所得格差・不公平感が広がるなかで07年以来、賃上げを求め、首切りに反対するストライキやデモが多発、これまでに公務員、国営工場労働者、国立大学の教師、公立病院の医師などのあいだでも、抗議のストライキが起こっていた。
今回のムバラク退陣要求の連日の大衆デモと連帯して、スエズ運河ぞいの都市では、8日から運河関連で働く労働者6000人が待遇改善を求めてストをたたかった。このほか、スエズの製鉄所や繊維工場でもスト、ナイル川流域の都市では看護師が集会、中部地域では電気やガス労働者がスト、首都カイロでは地下鉄や路線バス、化学工場の労働者やカイロ最大の病院関係者がストをたたかった。
日本でも、アメリカの新自由主義、市場原理主義をグローバル化と称して押しつけられた。バブルがはじけて20年、とくに08年の金融・経済恐慌から数年間に、若者には仕事はない、非正規労働者は急増していく、年寄りは病院をたらい回しにされる、それに賃金やボーナス切り下げ、各種税金の引き上げ、消費税10%の引き上げさえ狙われている。他方でアメリカ資本は日本市場に大量進出して経済主権を奪うかまえをとり、日本の財界・独占企業は内部留保をしこたまためおきながら、法人税を引き下げさせ、安い労働力を求めて海外に生産を移し、国内を空洞化させようとしている。
「このままでは日本はつぶれる。どうにかしなければ」という声が全国に充満している。エジプトやチュニジアの快挙、中東・北アフリカに拡散しているたたかいと、共通の課題としての連帯感を強めるものとなっている。