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「アメリカ一極化の破綻と新たな道拓く独自外交」 ジェフリー・サックス教授(コロンビア大学)の欧州議会での講演 《上》

(2025年3月12日付掲載)

欧州議会で講演するジェフリー・サックス氏(2月19日)

 ウクライナ戦争勃発当初から早期停戦を主張してきた米コロンビア大学教授のジェフリー・サックス氏(政治経済学)が2月19日、欧州議会に招かれて講演し、米ソ冷戦終結から30年余にわたり欧州諸国やソ連、ロシアの経済アドバイザーを務めた経験を踏まえ、ウクライナ戦争、ガザ戦争、そしてトランプ再登場によって混乱する欧州を含む世界情勢について解説と政策提言をおこなった。歴代国連事務総長の特別顧問も務めた同教授は、1990年代以降のアメリカ一極支配が完全に破綻したことを指摘し、「アメリカの敵であることは危険だが、友人であることは致命的」とのべ、欧州に対してアメリカ追従の戦争政策を転換し、ロシアや中国を含む国々と独自の平和的外交関係を再構築する必要性を訴えた。日本の進路とも重なるテーマであり、同講演の要約(和訳)を連載で紹介する。(見出しは編集部)

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混迷する西側「同盟国」への提言

 

ジェフリー・サックス氏

 私は36年間にわたり、東ヨーロッパ、旧ソ連、ロシア、ウクライナで起こった出来事を間近で見てきた。1989年にはポーランド政府の顧問、1990年から1991年にかけてはゴルバチョフ大統領、1991年から1993年にはエリツィン大統領、そして1993年から1994年にはウクライナのクチマ大統領のそれぞれの経済チームの顧問を務めた。

 

 また、エストニアの通貨導入に協力し、旧ユーゴスラビア諸国、特にスロベニアの支援に関わった。ウクライナでは「マイダン革命」後、新政府に招かれてキエフを訪れ、マイダン広場を案内されながら、数多くのことを直接学んだ。

 

 30年以上にわたり、ロシアの指導者とも交流を続けてきた。また、アメリカの政治指導層も間近で見てきた。たとえば前米国財務長官ジャネット・イエレンは、52年前に私のマクロ経済学の素晴らしい教師であり、彼とは半世紀にわたって友人関係にある。

 

 私はこれらの人々を直接知っている――私がそう話すのは、私の見解が二次情報やイデオロギーに基づくものではなく、私自身が直接目にし、経験してきたことに基づいているからだ。ヨーロッパで起こった出来事について、ウクライナ危機だけでなく、1999年のセルビア戦争、イラク、シリアを含む中東の戦争、スーダン、ソマリア、リビアを含むアフリカの戦争といった文脈も含めて話したい。それは皆さんを驚かせるかもしれないが、すべて私の経験と知識に基づいている。

 

米ソ冷戦終結後のアメリカの外交政策

 

 これらの戦争はアメリカが主導して引き起こし、30年以上も続いている。特に1990~91年の時期、ソ連崩壊とともに米国は「世界を支配できる」と考えるようになり、他国の意見やレッドライン、安全保障上の懸念、国際的な義務、あるいは国連の枠組みなど考慮する必要がないとする姿勢をとった。それをまず率直に指摘しなければならない。

 

 私は1991年、ゴルバチョフのための財政支援を得ようと必死に努力した。彼は私が考える現代最高の政治家だ。最近、1991年6月3日に私の提案について議論された米国家安全保障会議(NSC)の議事録を読んだ。そこでソ連の財政安定化や改革のための支援を求めた私の嘆願を、ホワイトハウスが一笑に付すかのように却下していたことを初めて知った。ハーバード大学の同僚が書いたメモには、「最小限の支援で破滅を防ぐが、それ以上のことはしない」と決定したことが記録されている。彼らはそれはアメリカの仕事ではないと判断した。むしろ、その逆だ。

 

 1991年にソ連が崩壊すると、この見解はさらに誇張された。それは「われわれが“ショー”を主導する」というものだ。チェイニー、ウォルフォウィッツ、そして多くの著名な人物たちは、文字通り「これはもはやアメリカの世界であり、われわれは好きなようにやる」と信じていた。旧ソ連の残滓を整理し、ソ連時代の同盟国を一掃する。イラクやシリアなどの国々は消えるだろう――と。

 

 私たちは基本的に、この外交政策を33年間経験してきた。それによりヨーロッパは大きな代償を支払った。なぜならこの間、ヨーロッパには、私が把握する限り、独自の外交政策がまったく存在しなかったからだ。発言力も、団結も、明確さも、ヨーロッパの利益もなく、ただアメリカへの忠誠心だけがあった。

 

 時折、意見の相違が生じたが、それはとてもすばらしい瞬間だった。最後に重要な意見の相違があったのは、2003年のイラク戦争直前だ。フランスとドイツは、アメリカが国連安全保障理事会を無視してこの戦争を企てたことを「支持しない」と表明した。

 

 ちなみにこの戦争は、ネタニヤフ(現・イスラエル首相)と米国防総省内にいる彼の仲間によって仕組まれたものだった。単なる因果関係や相互作用をいっているのではない。この戦争は直接的にイスラエルのためにおこなわれたものだ。ポール・ウォルフォウィッツとダグラス・フェイスが、ネタニヤフと協力して進めた戦争だった。

 

 ヨーロッパが声を上げたのはこれが最後だった。当時、私はヨーロッパの指導者たちと話したが、この理不尽な戦争に対して明確に反対を表明する彼らの姿勢は実にすばらしかった。だが、その後、特に2008年以降、ヨーロッパは完全に声を失った。1991年から2008年までに起きたことは何か? アメリカが「一極体制:Unipolarity」――NATO(北大西洋条約機構)をブリュッセル(ベルギー)からウラジオストク(ロシア極東)まで段階的に拡大することを決定したのだ。

 

果てなきNATO拡大 「中立」を許さず

 

左からドイツのヘルムート・コール首相、ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー外相、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長(1990年)

 NATOの拡大には終わりがなかった。これがアメリカ一極世界だ。子どものころ「リスク」というボードゲームで遊んだことがある人なら、その考え方がわかるだろう。つまり、盤上のあらゆる場所に自分の駒を置いていく。基本的に米軍基地が存在しない場所は、どこも敵と見なす。アメリカの政治用語では「中立」は汚れた言葉だ。

 

 「中立」は、アメリカの思考において最も忌み嫌われる言葉だ。敵なら立場ははっきりしているが、中立は「破壊を目論む者」と見なされる。本音ではアメリカに反対しながら、表向き中立を装っているだけだと思われるからだ。これがまさにアメリカの思考であり、この決定は1994年にクリントン大統領がNATO東方拡大を承認したときに正式に下された。

 

 思い出してほしい。1990年2月7日、ハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー(ドイツ外相)とジェームズ・ベイカー3世(米国務長官)がゴルバチョフ(ソ連共産党書記長)と会談した。ゲンシャーはその後の記者会見で「NATOは東方へ拡大しない」と明言した。「ドイツとアメリカはワルシャワ条約機構の解体を利用しない」とも約束した。この約束は、法的・外交的な文脈でなされたものであり、決して単なる口約束ではない。第二次世界大戦終結交渉の核心であり、ドイツ再統一への道を開くものだったのだ。

 

 「NATOは1インチたりとも東へ拡大しない」という合意が成立した。それは明白であり、無数の文書に記録されている。ジョージ・ワシントン大学の国家安全保障アーカイブを調べれば、数十もの文書を見ることができる。今アメリカがこの約束について伝えることはすべて嘘だが、アーカイブには明確な証拠が残っている。(重要な文書の多くはここここにある。)

 

オバマ米大統領が元国家安全保障顧問らと会談。右隣はブレジンスキー元大統領補佐官 (2010年3月 、ホワイトハウス)

 1994年、クリントンがNATOをウクライナまで拡大する決定を下した。これは特定の政権のプロジェクトではなく、30年以上前に始まった長期にわたる国家プロジェクトだ。1997年、ズビグネフ・ブレジンスキー(米国家安全保障問題担当大統領補佐官)は、『大いなるチェス盤(The Grand Chessboard)』(1997年)を執筆し、NATOの東方拡大について記述した。これはブレジンスキーの思索の産物ではなく、すでに政府が下した決定を公に説明することを目的にしたものだ。

 

 この本では、ヨーロッパとNATOの東方拡大が同時に進行し、互いに結びついた出来事として描かれている。そして、ヨーロッパとNATOが東方拡大すればロシアはどうするのか? という疑問についてよくわかる章がある。

 

 私はブレジンスキーを個人的によく知っており、彼は私にとても親切だった。私は当時ポーランドに助言していたが、彼も大いに助けてくれた。彼は非常に賢い人物だったが、1997年に彼はすべてを間違えた。彼は、ロシアがNATOとヨーロッパの東方拡大を受け入れる以外に選択肢がない理由について詳細に記している。

 

 「ロシアにとって唯一の現実的な地政学的選択肢――ロシアに現実的な国際的役割を与え、自国の変革と社会的近代化の機会を最大限に高めることができる選択肢――はヨーロッパである。そして、それは単なるヨーロッパではなく、拡大するEUとNATOによって大西洋をまたぐヨーロッパである。そのようなヨーロッパは、すでに形成されつつあり、またアメリカとも緊密な関係を維持し続ける可能性が高い。ロシアが危険な地政学的孤立を回避しようとするならば、まさにこのヨーロッパと関係を築かねばならない」(『大いなるチェス盤』より)

 

 これはアメリカの国家プロジェクトだ。ブレジンスキーは、ロシアは決して中国ともイランとも同盟を結ばないとのべている。彼によれば、ロシアにはヨーロッパ以外の選択肢はないため、ヨーロッパが東へ拡大する以上、為す術はない。馬鹿げた話だ。

 

また別のアメリカの戦略家はいう。なぜアメリカが常に戦争を続けているのかについて疑問の余地はない、と。アメリカという国家の特徴の一つは、常に「相手が何をするか知っている」のに、実際にはいつも間違えるからだ。そして、その理由の一つは、アメリカの戦略家が用いるゲーム理論にある。この理論では、相手と実際に対話することなく、相手の戦略を「知っている」ことになっている。これは実に便利で、時間の節約になる。なぜなら外交をする必要すらないからだ。

 

ロシア包囲の黒海戦略 大英帝国を模倣

 

 このプロジェクトは1994年に本格的に始動し、昨日(2025年2月12日のトランプとプーチンの電話会談とその後の一連の声明)までの約30年間、米国政府の一貫した方針として継続されてきた。

 

 このプロジェクトでは、ウクライナとジョージアが鍵だった。なぜならアメリカは、すべての戦略をイギリスから学んだからだ。アメリカは「大英帝国の後継者」になろうとしわけだ。その戦略とは、1853年にイギリス帝国のパーマストン卿とナポレオン3世の共通理解であった「黒海を包囲し、ロシアの東地中海へのアクセスを断つこと」だ。

 

 私たちは現在、21世紀においてそれを実行するアメリカの姿を見ているだけなのだ。アメリカの構想は、ウクライナ、ルーマニア、ブルガリア、トルコ、ジョージアをNATOに加盟させ、黒海を封鎖することでロシアの国際的地位を奪い、単なる地域大国にまで弱体化させることだった。ブレジンスキーは、この地政学的戦略について明確にのべている。

 

 ブレジンスキー以前の1904年にはハルフォード・マッキンダー(英国議員)がいた。彼は「東ヨーロッパを支配する者はハートランド(中心地部)を支配する。ハートランドを支配する者は世界島を支配する。世界島を支配する者は世界を支配する」とのべている。そのように古くから継続されてきた計画なのだ。(1919年、マッキンダーは『民主主義の理想と現実(Democratic Ideals and Reality)』を執筆し、1904年の著作『歴史の地理的枢軸(The Geographical Pivot of History)』を発展させた。)

 

 私は、過去30年の歴代大統領とその側近たちを直接知っている。クリントンからブッシュ・Jr、オバマ、トランプ、バイデンと続くなかで大きく変わったことはない。むしろ一歩ずつ悪化していった。私の見解ではバイデンが最悪だった。その理由の一つは、彼がここ数年、まともな判断ができる精神状態ではなかったからかもしれない。

 

 これは皮肉ではなく、真剣にいっている。アメリカの政治システムは「イメージのシステム」だ。それは毎日のメディア操作、PRシステムで成り立っているので、基本的にほとんど機能しない大統領を2年間も権力の座に就かせ、再選を目指させることまでできる。唯一の問題は、90分間1人で演説の舞台に立たなければならないことであり、彼はそれによって終わった。もしあの「手違い」がなければ、彼は午後4時以降に寝ていたかどうかに関係なく、再選に向けたキャンペーンを続けていただろう。この現実を誰もが受け入れている。私のこの発言は、不作法とされるだろう。それは私たちが、この世界でほとんど何ごとについても真実を語ることがないからだ。

 

 1999年にベオグラード(セルビア首都)を78日間連続で爆撃したのもアメリカの「一極化」プロジェクトの一環だった。「国境は神聖にして侵すべからず」といわれるが、それはコソボを除く話だ。アメリカが変更しない限りの話なのだ。

 

 スーダンの分断もアメリカのプロジェクトだった。南スーダンの反乱について考えてほしい。あれは単に南スーダンの人々が反乱を起こしたのか? それともCIAの作戦マニュアルをお見せした方がいいだろうか?

 

 大人として問題の本質を理解しよう。軍事作戦には莫大な費用がかかる。装備、訓練、基地、情報収集には資金が必要だ。それらはその地域からではなく、大国から提供されるのだ。南スーダンがスーダンを部族間戦争で打ち破ったわけではないのだ。私はナイロビを頻繁に訪れたが、そこで米軍関係者や上院議員、あるいはスーダンの内政に「深い関心」を持つ人々に何度も出会った。あの戦争もまた、アメリカが単独で覇権を握ろうとするゲームの一部だったのだ。

 

「5年間で7つの戦争を」 イスラエルの存在

 

 ご存じのように、NATO拡大は1999年のハンガリー、ポーランド、チェコ共和国の加盟に始まる。ロシアはこれに非常に強い不満を抱いたが、これらの国々はまだロシア国境からは遠く離れていた。ロシアは抗議したが効果はなかった。

 

 その後、ジョージ・ブッシュ・Jrが大統領に就任。そして、9・11(同時多発テロ)が発生したさい、ロシアのプーチン大統領はアメリカへの全面的支援を約束した。しかし、その直後、アメリカは「5年間で7つの戦争を実行する」と決定したのだ。この件については、ウェズリー・クラーク米陸軍大将の発言を映像で確認することができる。(2011年の『デモクラシーナウ!』のインタビューで、クラーク将軍は、米国防総省の高官から「われわれは7つの国の政府を攻撃し、破壊する予定だ。まずイラクから始め、その後、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランへと進む」と告げられたと語っている。)

 

 クラーク将軍は1999年にNATOの最高司令官だった。彼は2001年9月20日ごろにペンタゴンを訪れ、アメリカが「選択的におこなう7つの戦争」の見通しを説明した1枚の紙を渡された。実際のところ、これらはネタニヤフの戦争だった。それは旧ソ連の同盟国を一掃し、ハマスやヒズボラの支援者を排除することを目的としていた。「1948年以前のパレスチナ全域には一つの国家(イスラエル)しか存在しない」というネタニヤフの構想は過去も現在も一貫している。

 

 もし誰かがこれに異議を唱えれば、その人物や政権を打倒する。もっと正確にいえば、それをおこなうのはイスラエルではなく、その「友人」であるアメリカだ。これが今朝までのアメリカの外交方針だった。今後どうなるかはわからない。唯一の変化は、イスラエルではなく、アメリカが「ガザを所有する」可能性がある、ということだけだ。(トランプ大統領の発言によるもの)

 

 このネタニヤフの構想は、少なくとも25年以上前から存在する。その起源は、1996年にネタニヤフと彼のアメリカ人政治顧問団が、二国家解決の構想を終わらせるために作成した計画書「クリーン・ブレイク:Clean Break」にまで遡る。これはオンラインで確認できる。

 

 この新たな「クリーン・ブレイク」戦略は、「土地と引き換えに平和を得る」という枠組みを拒否することを求めるものだった。地域の平和と引き換えにイスラエルが1967年に占領したパレスチナの土地から撤退するという従来の考え方を否定するものであり、イスラエルが中東の地図をみずからの望む形に作り変え、「平和のための平和」を確保するまで占領を継続することを提唱したものだ。この地域の地図を塗り替えるという構想は、イスラエルの支配に反対する政権を打倒することを含意している。

 

 したがって、これはアメリカの長期プロジェクトなのだ。「クリントンのせいか? ブッシュか? オバマなのか?」と問うのは誤りだ。米国政治を日々の出来事や年ごとの変化として捉えるのは退屈な見方に過ぎない。アメリカ政治とはそのようなものではない。

 

 NATO拡大の第二波は2004年におこなわれ、バルト3国、ルーマニア、ブルガリア、スロベニア、スロバキアの7カ国が新たに加盟した。この時点で、ロシアは非常に怒っていた。このNATO拡大第二波は、ドイツ再統一のさいに合意された戦後秩序を完全に覆すものだった。要するに、アメリカが一極主義に基づき、ロシアとの協力協定から根本的に離脱する策略、あるいは裏切りだった。

 

くり返す分断と政権転覆 CIAの本業

 

「アラブの春」の一つとされるリビア内戦(2011年3月)。NATOと米軍の軍事介入でカダフィ政権が崩壊したが国内では内戦が激化した

 周知のとおり、先週ミュンヘン安全保障会議(MSC)が開催されたばかりだが、プーチン大統領は2007年のMSCで「もうやめろ、もうたくさんだ」と発言した。当然ながらアメリカはそれに耳を傾けなかった。2008年、アメリカは長年の計画であったウクライナとジョージアのNATO加盟を、ヨーロッパに強引に押し付けた。

 

 私は2008年の春、ニューヨークで開かれた外交問題評議会(Council on Foreign Relations)の会合で、サーカシビリ(ジョージア大統領)の演説を聞いた。彼は、「ジョージアはヨーロッパの中心に位置しており、したがってNATOに加盟する」とのべた。ジョージアはヨーロッパの中心などではない。私はその場を退出し、妻に電話をかけ、「この男は正気ではない。彼は自国を滅ぼすつもりだ」と伝えた。

 

 その1カ月後、ロシアとジョージアの間で戦争が勃発し、ジョージアは完敗した。最近のトビリシでの出来事(EU加盟交渉の中断を決めた政府への抗議行動)もジョージアの安全にとって助けにはならない。欧州議会議員(MEP)が現地に赴いて抗議活動を煽ることは、ジョージアを救うどころか、むしろ完全に破壊へと導くものだ。

 

 2008年には、周知の通り、元CIA長官で当時アメリカの駐ロシア大使であったウィリアム・バーンズが、「Nyet means Nyet(ノーはノーを意味する)」という有名なタイトルの長文の外交公電を、米国務長官コンドリーザ・ライスに送っている。「NATO拡大に反対しているのはプーチン大統領だけではなく、ロシアの政治階級全体である」という内容だった。

 

 この公電の存在が明らかになったのは、ジュリアン・アサンジ(ウィキリークス創設者)の功績だ。現在、アメリカ政府や主要な新聞は、この件について国民に一切知らせていない。

 

 そして2010年、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチが中立政策を掲げてウクライナの大統領に当選した。当時、ロシアにはウクライナに対する領土的関心や野心は一切なかった。私はその時期、断続的に現地に滞在していたのでよく知っている。

 

 ロシアがウクライナと交渉していたのは、セヴァストポリ海軍基地を2042年までの25年間リースする契約についてだけだった。クリミアやドンバスに関するロシア側の要求は一切なかった。「プーチンがロシア帝国を再建しようとしている」という考えは、子どもじみたプロパガンダにすぎない。日々の出来事や長年の歴史を知る人なら、このような主張がいかに幼稚なものであるかわかるはずだ。

 

 しかし、なぜか幼稚な主張の方が、大人の議論よりも広まりやすい。アメリカはヤヌコーヴィチ大統領が中立を支持し、NATO拡大に反対しているため、彼を打倒する決定を下した。「政権転覆作戦(Regime Change Operation)」と呼ばれるもので、1947年以降、アメリカが約100回にわたり実行してきた作戦だ。その多くは、ここにいる欧州議会議員の皆さんの国々を含め、世界各地でおこなわれている。

 

(政治学者リンジー・オルークは、1947年~1989年に秘密裏におこなわれた64件のアメリカによる政権転覆作戦を記録し、「政権転覆作戦、特に秘密裏におこなわれたものは、影響を受けた地域で長期にわたる不安定、内戦、人道危機につながることが多い」と結論付けている。オルークの2018年の著書『秘密政権転覆:アメリカの秘密の冷戦』を参照。1989年以降、CIAがシリア、リビア、ウクライナ、ベネズエラ、その他多くの国に関与していたことを示す十分な証拠がある。)

 

 これがCIAの本業だ。どうか知っておいてほしい。これは非常に特殊な外交政策だが、米国政府は相手側が気に入らなければ、交渉するのではなく、秘密裏に政権を転覆させようとする。それがうまくいかなければ、公然と打倒を試みる。そして常にいう。「われわれのせいではない。彼らは侵略者であり、敵対者であり、ヒトラーなのだ」と。

 

 このレトリックは2、3年ごとにくり返される。サダム・フセインであれ、アサド(シリア前大統領)であれ、プーチンであれ、「敵」を作り出すためには都合の良い言葉であり、外交政策について米国民に与えられる唯一の説明だ。「われわれは1938年のミュンヘン(会議)と同じ状況に直面している。われわれは相手と交渉することはできない。彼らは邪悪で妥協の余地のない敵だ」というものだ。

 

 これが政府や大手メディアから常に聞かされる唯一の外交政策のモデルだ。そして、大手メディアがそれを完全にくり返すのは、彼らがアメリカ政府に完全に買収されているからだ。


後編につづく

 

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【出典】

The Geopolitics of Peace – Jeffrey Sachs in the European Parliament(YouTube)

Consortium News「Jeffrey Sachs: The Geopolitics of Peace」February 27, 2025

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