(2024年12月18日付掲載)
韓国では3日午後10時すぎ、突如として尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「非常戒厳」を宣言したが、これを知った数千人の民衆が深夜にもかかわらず国会周辺を包囲し、軍隊や警官隊の暴挙を封じ込め、わずか6時間で戒厳令を解除させた。その後も民衆の抗議行動の輪は膨れ上がり、尹大統領弾劾に反対する与党=国民の力への批判を高め、14日には与党議員12人の造反で尹大統領弾劾訴追案を可決させた。3日から14日にかけての11日間、国会の周辺一帯には約200万人が結集して、国の主人公としての民衆の意志を示し続けた。とりわけ今回の行動には10代、20代、30代など若手の参加が目立ち、なかでも女性が多数参加したことを韓国のメディアも特筆すべきこととして報じている。
尹大統領は3日午後10時すぎ、予告なしにテレビ中継で「北朝鮮共産勢力の脅威から自由大韓民国を守り、国民の自由と幸福を略奪している破廉恥な従北(北朝鮮追随)反国家勢力を一掃するために非常戒厳を宣言する」と演説した。これを受けて戒厳司令官の陸軍参謀総長が午後11時すぎに「戒厳司令部布告令」第1号を発令し、約2時間にわたって国会を全面封鎖した。同布告例は、「国会・地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動」「自由民主主義体制を否定したり、転覆を企てたりする一切の行為」「社会混乱を助長するストライキ、怠業、集会行為」などを禁じ、違反者は令状なしに逮捕・拘禁されて家宅捜索を受け、処罰できるとしている。
非常戒厳宣言と布告令発令によって、軍の兵力1191人をはじめ軍事警察や警察が動員され、警察は実弾333発などを用意し、国会に投入された特殊任務団もショットガンや小銃、機関短銃などを備えていた。警察車両が国会正門を封鎖し、戒厳軍の精鋭部隊が国会議事堂の窓ガラスを破って突入した。
韓国の憲法第77条には、「国会が在籍議員の過半数の賛成で戒厳の解除を要求したときは、大統領はこれを解除しなければならない」と明示している。韓国の国会の定数は300で過半数は150だ。
戒厳部隊は「国会に議員たちが集まっているが、150人以上になってはいけない」との指示を出し、議員が国会に入ることを阻止するために国会を封鎖した。
だが、非常戒厳宣言を知った市民は続々と国会周辺に集まった。最大の労組員を擁する民主労総は3日夜に委員長名で緊急通知を出し、「戒厳令を無力化させる優先的な方法は国会でとり消すことだ」とし、「警察が入り口を塞いでいるが、緊急に集結して突破したい」として、できるだけ多数の人々が国会正門前に集まるように呼びかけた。
また、最大野党「共に民主党」代表は「私たちも命を捧げてこの国の民主主義を守り抜くつもりだが、私たちの力だけでは足りない」「国会は民主主義の最後の砦だ。この国の主人である国民が前に出て、国会が非常戒厳の解除を決議できるよう、国民の皆様の力を貸してほしい」と訴えた。
さらに国会議長は、戒厳令を解除するには国会の決議が必要であることを最優先し、国会正門から入ると警察に連行される可能性があるとし、目立たない場所にあるフェンスを乗り越えて国会に入った。
深夜にもかかわらず国会周辺に集まった多数の民衆は、戒厳部隊の国会突入を阻止し、国会内に入ろうとする議員を後押しした。国会議事堂内では補佐官らがソファーを積んでバリケードをつくり、国会議員を守った。銃を向けられた女性の報道官が銃を素手でつかみ、「恥ずかしくないのか」と兵士に向かって叫ぶ映像も流れたが、身を挺して民主主義を守る気概にあふれた行動が感動を呼んだ。
国会の外にかけつけた民衆の行動に支えられて、国会内の議員たちも戒厳令解除決議に賛成する議員の数を確保するために連絡をとりあい、さまざまな働きかけをおこなった。4日午前1時、与党議員も含めて集まった190人の議員の満場一致で戒厳令の解除を決議した。非常戒厳宣言からわずか約150分後のことだった。
尹大統領はその3時間半後の午前4時27分、戒厳宣言から六時間後に国民向けの談話で「国会の戒厳解除要求を受け入れ、戒厳を解除する」とのべ、国務会議で非常戒厳の解除が決議されて戒厳が解除された。
民衆はその後、尹大統領の軍事独裁政権を彷彿とさせる時代錯誤な「非常戒厳」宣言への責任追及の手を緩めず、「戒厳令は民主主義を踏みにじり、国民に銃口を向ける行為であり、許すことができない」とし、即時退陣を求め、尹大統領弾劾の国民的な行動をくり広げていった。
学生や文化人も立ち上る 民主主義守り抜くため
100万人以上が加盟する民主労総は4日早朝に中央委員会を開き、午前8時に記者会見で緊急闘争方針を発表。「内乱犯の尹錫悦の退陣まで、無期限ゼネストに突入する」と宣言した。
傘下の産別組織も尹錫悦弾劾と退陣のための闘争強化を決定した。自動車、造船、鉄鋼、機械業種の労働者19万人が加盟する金属労総も無期限全面スト突入を決めた。韓国労総も四日、「尹政権退陣」を決議した。労働者がストライキを構えて尹大統領弾劾の先頭に立っている。
全国の大学でも「尹大統領退陣」を求める声明があいつぎ、学生総会の開催や大学間連携を通じた抗議行動が高まった。5日だけで、建国大学、梨花女子大学、弘益大学、ソウル女子大学、淑明女子大学、仁川大学の学生らが非常戒厳を批判する声明を発表した。梨花女子大学の総学生会と学生230人はソウル市の大学正門前で「解放の梨花、民主主義と解放の歴史を守り抜こう」と題した声明文を読み上げ、「尹大統領は非常戒厳令発令により、血と涙で築かれた民主主義を破壊した」「大統領自身が反国家勢力であり、国民の手で裁かれるべきだ」と追及した。
弘益大学の学生も168人の連名による声明で「20代の支持率が6%まで低下した大統領が国民の声を無視し、独裁的な政治を続けている」「国民に耳を閉ざした尹政権を退陣させよう」と表明した。ソウル女子大学では学生約300人が集まり、「国会を封鎖し、国民に銃を向けた行為は大統領による国家内乱罪だ」と非難した。
5日には80団体6388人の映画関係者も尹大統領の即時弾劾と、韓国与党「国民の力」に対し内乱への同調を中止することを求める緊急声明を発表した。
こうした民衆の尹大統領弾劾の運動の盛り上がりのなかで与党「国民の力」が7日、野党が提出した尹大統領弾劾訴追案の採択に欠席し、弾劾訴追案を廃案にしたことで、民衆の怒りは与党と尹大統領に向いてさらに高揚した。
11日には、1500余の社会団体が結集して「尹錫悦即刻退陣・社会大改革非常行動」が発足した。12日の尹錫悦の「非常戒厳は正しかった」とする発言に対して、弾劾と逮捕を急ぐべきだと表明した。
大学生も連日弾劾賛成の声明を出した。13日には「尹錫悦大統領不法戒厳糾弾および退陣要求のための全国大学生総決起集会」が開かれた。主催は非常戒厳対応のための全国大学総学生会共同行動と全国20余りの大学総学生会で、約4500人が参加した。
映画関係者も5日に続いて13日に「“国民の力”の議員たちに、内乱の同調者として歴史に残るのか、国民の生命と安全を最優先にする政治家に残るのか、みずから選択せよ」と警告し、「国政の安定、混乱の収拾、秩序の回復などを実現する真の主体は韓国の主権を持つ国民であり、韓国の映画関係者も国民の一人として存在する。性別や年齢、経歴、活動分野など異なる条件を持っているが、“尹錫悦退陣”という同じ目標をもっている。権力維持のため政治を誤用・乱用する尹錫悦と“国民の力”こそ混乱そのものだ」と批判した。
全国各地で労働者や学生、文化人、女性団体、農民団体など各界各層の参加による尹錫悦の弾劾、即時退陣を求める行動が広がっていった。国会周辺では連日200万人規模の抗議行動がとりくまれた。そのなかで参加者の約3割を20~30代の女性が占めていた。
こうした民主行動の高揚のなかで14日、尹錫悦大統領の弾劾訴追案の採決がおこなわれ、賛成204、反対85、棄権3、無効8票で、弾劾訴追が決まり、職務停止となった。国会周辺では「尹錫悦即時退陣・社会大改革非常行動」の主催で汎国民キャンドル大行進がおこなわれ200万人が午後3時すぎから集まり、国会中継画面を見守りながら「弾劾しろ!」のスローガンをくり返した。また全国各地でもキャンドル行動の人々が中心街を埋め尽くした。
民衆の世の中めざそう 各団体の声明
午後5時に国会議長が採決結果を発表すると、人々は一斉に立ち上がり勝利の声を上げた。以下に各団体の声明(要旨)を紹介する。
▼市民団体・参加連帯
民主主義を守った国民の勝利だ。弾劾訴追案の可決は、血で守ってきたこの土地の民主主義と憲政秩序を、自分の権力と安全のために利用した者を国家首脳として認めることができないという国民の決然たる意志が生み出したものだ。今回の表決過程で、弾劾を遮り、ひたすら自分たちの政治的利益だけを前面に出した「国民の力」は、内乱同調の責任と弾劾政権の執権与党として責任を負って解散するべきだ。
▼韓国労総
権力者と権力機関に過度に付与された権力を奪い、国民の直接民主主義を強化しなければならない。民主主義に挑戦するいかなる勢力も、国民が直接引き下げられるように国民の権力を強化しなければならない。今日の国会弾劾はその始まりにすぎない。
▼韓国女性団体連合
市民が勝利した。尹錫悦を1日も早く拘束・処罰せよ。12月3日夜の違憲・不法的非常戒厳宣布に対する全市民の怒りが全国を覆ったことに対する国会の真の答えだ。数多くの人々の犠牲と闘争で積み上げた民主主義の時計を一瞬にして軍事独裁時代に戻し、市民の基本権を武力で蹂躙しようとしたことへの当然の帰結だ。
尹錫悦は、女性と少数者に対する差別と嫌悪を先頭に立って扇動し、自分の政治的資源として活用し、社会分裂と葛藤を煽る方式の選挙戦略を通じて大統領に当選した。当選後も民主主義を退行させ、性平等価値を毀損した。女性と少数者の人権はさらに劣悪になった。尹錫悦弾劾要求集会に女性たちが圧倒的に多く参加したのは決して偶然ではない。女性市民は大韓民国現代史のあちこちで社会不正義に対抗し、民主主義の価値を守るために広場で、そして日常でたえずたたかってきた。尹錫悦の非常戒厳宣布以後、女性市民は毎日広場をいっぱいに満たし、弾劾を促し民主主義と正義を立てることを要求した。尹錫悦弾劾訴追案可決は女性市民の輝く勝利だ。
弾劾に賛成しなかった96人の「国民の力」の国会議員たちは憲法と市民を裏切って内乱首魁の尹錫悦の側に立った。女性たちは決して忘れずにかならず審判するだろう。
▼全国農民総連盟
弾劾訴追案が国会で通過した。だが、まだ行く道は遠い。弾劾に反対し、内乱の共犯者である国民の力も健在だ。
農産物市場の開放を撤廃し、社会大改革を果たさなければならない。農民の世の中、民衆の世をめざさなければならない。農民たちはトラクターに始動をかけている。私たちのチョン・ボンジュン(東学農民革命指導者)トラクターが全国を覆い、ソウルに進撃し、尹錫悦と「国民の力」、親米親日の守旧勢力の古い世界を乗り越え、農民と労働者民衆の新しい世界を開こう。
若者も高齢者も窮乏化 尹政権の2年間
尹大統領の非常戒厳を短時間のうちに「鎮圧」し、弾劾訴追案を可決させた力はまさに民衆の力といえる。「非常戒厳」に抗議し、国会周辺に集まった民衆のなかでは1980年の「光州事件=光州民主化運動」や2016年の朴槿恵弾劾要求運動(行動に200万人以上が参加)、そのほか米国産牛肉輸入反対やセウォル号沈没事故の責任を問うろうそくデモなど大規模な民衆の行動の記憶が蘇ったと語られている。
光州民主化運動は、1980年、全斗煥が戒厳令を布告し、これに反対した全羅南道の道庁所在地であった光州市の民衆が蜂起したことを契機にしている。光州市内では戒厳令に反対した市民による自治が始まっていたが、戒厳軍は約6000人、市の外郭での行動を含めると2万5000人を投入し市民を弾圧した。さらに韓国軍の作戦統制権を持っていた在韓米軍も光州市民弾圧に投入された。光州事件で虐殺された市民は2000人を上回るといわれる。
光州民主化運動は韓国における民主化運動の分岐点となり、1987年の民主抗争の原動力となり、民主化運動の国家的聖地となっている。市民に銃口を突きつけてきた軍隊の弾圧にも屈することなく、命をかけて戒厳令とたたかった民衆の血の教訓が現代にも脈々と受け継がれている。
また、今回の尹大統領弾劾要求行動にも10日以上にわたって毎日200万人余が国会周辺をとり囲んだことは、尹政権の約2年の政策がいかに国民から反発を受けていたかということを示している。非常戒厳前の支持率は17%と、まったくの孤立状態にあった。
尹大統領のおもな政策は、新自由主義、大企業優先で、2022年には今後五年間の経済政策の基本として「民間・市場が主導」するとし、法人税の引き下げ、国内外の留保所得配当に対する課税の大幅軽減、年功序列賃金体制の改革、柔軟な働き方のための勤務時間制度の改定などを掲げていた。また、教育も産業界からの要請に従って、先端戦略産業育成のための人材育成を中心にしてきた。
国民生活では物価高騰が直撃していた。韓国銀行の分析では、国内消費者の衣食住の費用は経済協力開発機構(OECD)33カ国の平均より55%高い。食料品ではリンゴ価格が主要国平均の3倍、豚肉が2倍、ジャガイモが二倍、コメが2倍となっていた。
物価高騰のなかで、中小零細企業の経営も苦しく、倒産や廃業が進んでいる。一般飲食店は2020年以降毎年1万件以上が廃業し、2023年には1万4642件と急増した。
とくに出生率は2023年が0・72で八年連続で過去最低を更新している。経済成長率が2000年代に平均5%であったものが2012年に2%台に低下して以降回復せず、これまで韓国経済が経験していなかった低成長が続いたことが若者の失業率や非正規雇用の割合の引き上げにつながり、出生率低下に影響していると見られている。
さらに住宅価格が高騰している。人口が集中している首都ソウルでは住宅価格が高騰し、保証金は家賃の10カ月分以上が一般的とされる。
高齢者の貧困も拡大しており、OECD加盟国中貧困率がもっとも高い。年金制度の負担が増し、年金の支給額を減少させる政策がとられてきた。
2020年の尹政府発足以降の韓国社会では、若者も高齢者も厳しい生活が強いられてきた。こうした経済的な事情が、尹大統領弾劾要求の行動に若者から高齢者まで、また、労働者や農民、女性、大学生など広範な各界各層が参加した背景になっている。