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「孤立への絶望反映した言論弾圧」 シオニズム批判のイラン・パペ教授が米空港で拘束・尋問を受けて告発

イラン・パペ教授

 イスラエルの著名な歴史学者でパレスチナ問題の専門家、イラン・パペ(英エクスター大学教授)が13日、アメリカを訪れたさいデトロイト空港で拘束され、2時間に及ぶ尋問を受けた。同教授がフェイスブックで明らかにした。

 

 パペ教授は以前、イスラエルのハイファ大学で政治学の上級講師をしていたが、パレスチナでの入植者植民地主義を批判する学説を鮮明にしたことで、国内の大学から追放されイギリスを拠点に活動している。

 

 パペ教授を尋問した米捜査官は、「ハマスを支持しているのか」「イスラエルによるガザ攻撃を“大量虐殺”とみなすのか」「対立の解決策をどう考えているのか」と問い質したという。また、「アメリカにいるアラブ人やイスラム教徒の友人はだれなのか。どの程度の知り合いで、どんな関係にあるのか」なども問われたことを明らかにしている。

 

 パペ教授は「2人のチームによる尋問での暴言や失礼な振る舞いはなかったが、質問はまったく常識外れだった」と告発している。また、「彼らは誰か(イスラエル人?)と長時間電話で話し、私の携帯電話のすべてをコピーした後、私の入場を許可した」ことも明らかにしている。

 

 同教授は、イスラエルのガザでの虐殺に反対する他の多くの著名な学者に、欧米の国家当局が圧力を加えていること、とくに先月、グラスゴー大学のガッサン・アブ・シッター学長が招待状を受けてパレスチナに関する会議に出席しようとドイツを訪れたさい、パレスチナ人であることを理由に空港で拘束され入国を拒否されたことに言及し、次のように批評した。

 

 「親イスラエルロビーやイスラエル自体からの圧力を受けて米国や欧州諸国がとっているこのような行動は、イスラエルがまもなく世界の“のけ者国”になることへのパニックと絶望を反映している」

 

 今回の事件は、フランスの出版社が、イラン・パペ著『パレスチナの民族浄化』(仏訳版)が昨年10月7日以後、売り上げが急増しているのに「契約期限切れ」を理由に絶版にしたことと合わせて物議をかもしている。

 

残虐行為批判し弾圧と闘う イスラエル国内でも

 

 パペ教授はパレスチナ専門の論考サイト『パレスチナ・クロニクル』で、「今日、シオニズムとイスラエルを入植者植民地プロジェクトとして枠組み化することは、中東に関するすべての主要な学者の間で合意された問題であり、それを拒否しているのは主流のイスラエル学界だけである」とのべている。また、昨年11月、イスラエルの高校の歴史教師がSNSでハマス攻撃の背景に言及したことを理由に逮捕された事件に着目し、次のように続けている。

 

 「リベラルなイスラエル左翼の失われた魂とは異なり、この勇敢な教師はイスラエルが長年にわたって犯してきた残虐行為、パレスチナ人の自衛の権利、そしてイスラエルが国際法を尊重する必要性を生徒たちに思い起こさせた。このような見解はイスラエルでは犯罪である。そして、現在イギリスの内務省は自国でもこうした見解を犯罪にしたいと考えている」

 

 「自由と解放のための闘争は長期にわたるものであり、それを支援するような同盟者が必要なため、今はまさに道徳的な勇気を持つ人々が求められている。……世界中で大きく成長する連帯運動からしか希望を引き出すことはできない」

 

政治体制の変化が現状打開 すべての人に権利を

 

 イラン・パペ教授は『現代思想』2月号(「特集・パレスチナから問う」)に、「なぜイスラエルは対ガザ戦争において文脈と歴史を抹消したがるのか」と題する文章を寄せている。昨年10月7日のハマスの攻撃によって、イスラエルの自衛のためのガザ攻撃が始まったという西側諸国やリベラルな論調を批判した論考である。

 

 著者はさまざまな角度から歴史を説き明かし、とくに1948年以来のイスラエルによるパレスチナの民族浄化について、「世界から注目されたが、非難されることはなかった」ことにふれている。さらに、1967年の第三次中東戦争による30万人のパレスチナ人民の追放とそれ以後のヨルダン川西岸、エルサレム、ガザ地区からの60万人以上の追放を伴う占領とかかわって、イスラエル軍が「これら占領地のパレスチナ人たちに執拗な集団懲罰をあたえ、投獄してきた」こと、「人口のほぼ半数が子どもであるガザを16年間も封鎖してきた」こと、「イスラエルがガザ地区から一方的に撤退したあと、ハマスが民主的な選挙で勝利したため、封鎖が敷かれた」という経緯をたどっている。

 

 そして、「オスロ合意(1993年)の余波でガザ地区が有刺鉄線で包囲され、占領下のヨルダン川西岸地区と東エルサレムから切り離された」事実を踏まえて、次のようにのべている。

 

 「ガザ地区の孤立、ガザ地区を囲むフェンス、ヨルダン川西岸地区のいっそうのユダヤ化は、イスラエル人の目にはオスロ合意が真の平和への道ではなく、別の手段による占領の継続を意味していることを明確に示していた」

 

 「イスラエルは“ガザ・ゲットー”への出入り口を管理し、入ってくる食料の種類まで監視した――その時々で一定のカロリー量まで食糧を制限したのだ。ハマースは、イスラエルの民間地域にロケット弾を撃ち込むことで、この封鎖で衰弱させられることに対抗した」

 

 著者はそのうえで、現状を打開する保証を「ヨルダン川から地中海までのあいだのすべての人に平等な権利をもたらし、パレスチナ難民の帰還を可能にするイスラエルの政治体制の変化」に求めている。

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