アメリカはイラクへの乱暴な戦争をはじめようとしている。はじめはテロ撲滅のためといっていたが、つぎには大量破壊兵器を持っているからといい、フセイン政府を崩壊させて、イラクだけでなく中東全体を民主化するためだといっている。「テロ報復戦争」にあたって、パールハーバーを攻撃した国民が受けた目にあわせると原爆使用をほのめかし、おまけにフセイン政府崩壊後は戦後の日本占領方式にするのだといい、イージス艦を派遣するほか戦後処理に日本が出かけるのだといっている。
イラクの民主主義はイラクの国民の意志を尊重することであり、それを踏みにじるアメリカのいう「民主化」はいらぬ世話というべきものである。第二次大戦の痛ましい教訓のなかから戦後は、いかに国家体制が異なっていても、国際的な問題を武力によって解決しようとするのでなく話しあいによって解決すべきこと、国家間の関係は平等互恵、平和共存、内政不干渉というものが原則とされてきた。アメリカは戦後さまざまな欺まんを弄して、これを踏みにじり、戦争につぐ戦争をくり返してきた。いまでは欺まんのかけらもなく、ヒトラーも顔負けの戦争狂の姿をあらわしている。
だれが見ても、大量破壊兵器を問題にするのなら、おたがいがそれをなくすというのでなければならない。一方的に相手だけになくせといって、自分だけが大量に持って、自分のいうとおりに従えというのは強盗のたぐいである。アメリカの戦争の目的は、中東の石油資源を支配するためであり、中東の民主化、すなわちアラブの反米斗争を弾圧してアメリカの好き勝手な中東支配を確立するためである。
イラクとの戦争は、アメリカにとってなんの大義名分もない強盗の論理によるものであるが、日本にとってはなおさらのこと理由のないものである。小泉政府はただ日米同盟を優先するというだけの理由で、国連での多数派工作に走り回り、アメリカの国益のための戦争に参戦しようとしている。
このような事態は、日本がなんの自主的な外交権を持たない従属国であり、国際的な信用を投げ捨てるものである。朝鮮との関係でも、両首脳が話しあいで平壌宣言を結んだのに、帰ったらマスメディアが騒ぎ、首相がかわした約束を覆すという国際的には通用しない態度をとってきた。
イラクにせよ朝鮮にせよ、政治体制の違いを戦争の理由にするのは第二次大戦の痛い教訓である。それぞれの国の政治体制はそれぞれの国の国民が決めることである。イラクや朝鮮との関係でも理由もなく武力に訴えて敵対関係にみずからをおくのでなく、平和で仲のよい関係にすることがすべての日本人民の願いである。そうでなく各国の民族自決権を踏みにじる帝国主義の勝手な論理がかつての悲惨な戦争をひき起こしたのである。
小泉政府がこのような方向をすすむことは、各国の人民に迷惑なことであると同時に、なによりも日本人民にとって重大な損害であり、日本の独立と平和、民主主義と繁栄にとって重大な障害である。
日本が参戦することは、原発や石油コンビナート、微妙な通信、交通手段に依拠した日本を攻撃対象とさせ、戦場にしかねない危険にさらすことになる。かつて犯罪的な戦争をひき起こし、最後には広島、長崎に原爆を投下された日本は平和のために役割をはたすのが当然と世界からはみなされているのに、アメリカのために戦争に加担し、若者の命を捨てさせ、本土を戦場にすることは日本にとってきわめてバカげたことである。それはかつて侵略した朝鮮をはじめ中国アジアとの関係もきわめて緊張した関係をつくり、日本のほんとうの意味での国益を損なう道である。
日本は中東に大量の石油を依存しているが、イラク戦争の接近によって、石油の高騰がはじまり、疲弊した日本経済と人民生活にいっそうの打撃を与えている。日本の船員はアラブはきわめて親日的だと語っている。それをアメリカのために敵対関係にすることはなんの利益にもならない。
戦後のアメリカ占領による民主化の装いをした改革によって、日本では民族の背骨が折られる結果となった。イラクや中東を「日本占領方式の民主化」というとき、それは日本民族にとってきわめて大きな屈辱である。この戦後を支配したインチキな「民主化」は軍事、政治、経済、文化、教育にいたるまでアメリカの植民地にすることであった。それを規定する「日米安保条約」を破棄し、米軍基地を撤去すること、それと結びついたグローバル化・自由化と称する対米従属による破滅の道とたたかうことは、日本の独立、平和、民主、繁栄を実現するためだけでなく、国際的にもきわめて重要であることを教えている。