昨年のチリ、今年のコロンビアと、かつて「アメリカの裏庭」と呼ばれたラテンアメリカであいついで反米左派政権が誕生し、「左派ドミノ」と呼ばれて注目を集めている。同時にこの数百年の植民地支配と略奪的なモノカルチャー(輸出向け単一農産物生産に特化させる)経済の押しつけという経緯から、困難な課題にも直面しているようだ。PARC自由学校の連続講座「ポスト新自由主義―“ブルシット・ジョブ”からケアと連帯による世界へ」の第2回が7月22日におこなわれ、「新自由主義はチリから始まりチリで終わる――中南米で続く左派新政権と社会運動の50年」をテーマに、立命館大学名誉教授の松下冽氏が講演した。講演と質疑応答の要旨を紹介する。なお、松下氏より参考文献として、『ラテンアメリカ研究入門―〈抵抗するグローバル・サウス〉のアジェンダ』(松下冽・著、法律文化社)、『グローバル警察国家』(ウィリアム・I・ロビンソン著、松下冽監訳、花伝社)が紹介されている。
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私の専門は途上国政治論で、ラテンアメリカはチリやメキシコをはじめ、中米を除いてほぼ全域を訪れている。チリは私の研究の出発点の一部になっている。
チリでは1973年の9月11日に軍事クーデターが起こった。それは当時の日本の良心的な人々にとってはかなりのショックだった。というのも、当時のチリは第三世界全体のなかできわめて重要な位置にあったからだ。
チリは軍事的な支配を打ち破って人民連合が合法的な形で政権を獲得したし、そこで誕生したアジェンデ政権は選挙をやるたびに支持を増やしていた。アジェンデ政権のもとで「新しい歌」、ヌエバ・カンシオン(音楽を通じた社会変革運動)のグループがたくさん出て、文化面での刷新も起こっていた。これはまずいということでアメリカのCIAが関与して軍事クーデターを起こし、その後も軍事支配が長期に続くことになる。
私がメキシコに行ったのは1979年だが、この頃はメキシコにチリからの亡命者がたくさん来ており、チリの軍事政権をどのように変えるかで交流していた。人民連合の影響は様々な形で続いていたわけだ。その後、他の国で左派政権が少しずつ誕生してくるなかでも、チリは最後まで軍事政権を守ってきた。民主化してからも、民主主義を定着させるまでにはずいぶん時間がかかった。
「チリから始まって…」というタイトルだが、新自由主義は1980年代のサッチャー、レーガンから始まったわけではなく、それ以前から理論的な背景はある。そして1970年代のチリは、実際に新自由主義の実験場となったことでシンボル的な意味を持っている。チリの新自由主義はクーデターで始まって軍事支配が続くなかで実行されたもので、新自由主義は暴力的、軍事的な支配が前提になっているといえる。
では今日、新自由主義は終わったのかというと、終わっていない。新自由主義をいかに終わらせるかをわれわれは考えなければならない。終わらせるための様々な政治、経済、文化的な障害がある。ではどうしたらいいか。私自身は資本主義そのものを考えなければならないと思っている。
まず、今の時代はどういう時代なのか。コロナ・パンデミックに見られる人類的危機、地球環境の悪化、1%が支配する極端な格差社会――これらはケインズ主義の時代には見られない。グローバル資本主義は世界資本主義の危機の時代、資本主義の質的に新しい段階(移行期)だといえる。
それを考える視点として、
①資本が国境をこえて展開し収奪しているなかで、国家中心の分析をのりこえ、ローカルな視点を基本にしつつ、ローカル・ナショナル・リージョナル・グローバルの相互関係を重層的に捉えること。グローバル・サウス(グローバル資本主義の負の影響を受けるアジア・アフリカ・ラテンアメリカのみならず「北」の国々を含む)というのは、現状とたたかう「抵抗のグローバル・サウス」という意味を含んでいる。
②新自由主義を国民に浸透させるための、暴力的な過程(英米や日本での労働組合の弾圧)、ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)。安倍元首相射殺事件後の今がある種のショック・ドクトリンだ。これに対抗する同意形成をいかにつくるかが課題となる。
③新自由主義のもとでは国家は「退場」せず、国家権力は再編成され、国家が媒介して(しもべとなって)新自由主義をさらに強めていく。たとえば今、大学の経済学部では、進歩的な発想をする教員がほとんど入れ替わっている。
④では、どうするか。基本は市民社会であり、自立的な社会運動だ。そこを基礎にグローバルな市民社会をどう構想するか。また、政府(左派政権を含む)と社会運動は、どのような関係を結ぶべきか。
構造改革に呻吟した民
新自由主義は先進国や途上国の民衆にたいへん大きな影響を与えた。アメリカの歴史学者G・グランディンは「新自由主義は第三の征服」だといっている。チリでは「幼稚園から墓地や地域プールにいたる」すべてが民営化された。
ラテンアメリカには1980年代に債務危機があった。その後の構造調整政策では経済的な悪化が進行した。メキシコではNAFTA(北米自由貿易協定)が発効した(1994年)。庶民生活は80年代から非常に厳しかった。
債務危機では、ブラジルの累積債務は1000億㌦をこえ、メキシコは800億㌦となった。ペルーやボリビアでは学校が閉鎖され、教師が首を切られた。鉱山はつぶされ、鉱山労働者は職を失った。生活が困窮し、メキシコではもう耐えられないと農民の運動が起こった。
そのなかでチリ以外のラテンアメリカで1980年代以降、民主化の波が起こってくる。既存の社会運動はほとんど国家権力にとりこまれているので、それは新しい社会運動として起こる。
たとえば解放の神学がそうだ。当時、軍事政権のもとで異議申し立てができるのは神学だった。この解放の神学をつぶすために、今アメリカの右派キリスト教徒が動員されている。また新しい労働運動がブラジルを中心に起こってくる。労働運動のリーダーとしてブラジルのルーラが出てきて、大統領にまでなる。
1990年代に入ると、市場絶対主義に批判的な中道左派政権が誕生し始める。それは「ピンク・タイド」と呼ばれ、ベネズエラ、ボリビア、チリ、エクアドル、アルゼンチン、ブラジルなどで起こった。資本主義に対する態度はいろいろだ。全体的には中道左派で、反資本主義ではなく、資本主義との調整や和解をいかに成し遂げるかを課題とした。政権基盤は貧民や労働者階級に加え、都市の中間層であり、共通する目的は「平等を伴った成長」モデルであって資本主義の枠をこえないことだった。
この時期の国際環境の変化も考慮しなければならない。アメリカ主導の地域主義の挫折があり、深刻な越境犯罪とドラッグ規制問題があった。中国の台頭とアメリカの影響力の弱まりがあった。
ここで中国の存在をどう考えるかが問題になる。たとえばブラジルがルーラの左派政権だった頃(2003~2011年)、中国がブラジルから大豆を買う貿易協定を結ぶと、ブラジルの左派政権は農民たちに圧力をかけて生産を高めさせる。すると国家と市民社会が矛盾をきたすことになる。
暴力的支配と警察国家
新自由主義は最初から今日に至るまで、基本的には暴力的な支配をともなう。それもますますグローバルに進んでいる。いろんなところで市民の安全が脅かされ、放逐と分断が起こり、民主主義を崩壊させている。
たとえばコロナ・パンデミックはたんに医学的な危機ではなく、富、所得、権力の不平等と結びつき、途上国でいろいろな抑圧がおこっている。
また、新自由主義のもとで資本は過剰な蓄積をやり、グローバルな不平等が爆発しているが、貧困化する人口を管理するためのより暴力的な封じ込めが起こっている。
今、メキシコの領域内でアメリカへの移民希望者が立ち往生している。そこで犯罪グループによる性暴力、誘拐、人身売買が起こっている。国家機関が統治を事実上放棄した地域、たとえばブラジルのスラムで、マフィアが医療提供を代行している。
そして産・軍・刑務所複合体が形成されている。そこでは移民が多国籍企業の搾取の対象・資本蓄積の源泉にされている。刑務所の民営化が進み、囚人が利潤の源泉にされている。新たにグローバルな産・軍・安全保障請負企業が生まれている。
そのなかでグローバルな警察国家が台頭している。今、全体主義に向かう動きを警戒する研究者がかなりいる。
監視社会化が進んでいる。ネットでの物品やサービスの購入は、消費者を楽しい経験に誘うが、それは大規模な系統的監視にもとづいている。自発的隷属が生み出されている。
2001年の9・11はグローバルな警察国家構築へのターニング・ポイントになった。「テロとのたたかい」が叫ばれ、新自由主義の民営化と規制緩和は戦争から刑務所に至るまで広がった。ラテンアメリカでは軍部が再び息を吹き返した。
このときブラジルでは、左派政権が参加型制度構築の努力や貧民向けの社会プログラムの実行をおこなって注目された。しかし、左翼の政治指導者の戦略は、鉱物資源や石油、農産物を輸出して外貨を稼ぐという資源輸出型経済に依存するもので、一次産品の価格が下がればたちまち危機に直面した。また、国家が社会運動を統合・統制する傾向も強く、住民間の連帯や相互援助は崩され、労働運動や農民運動は停滞した。その後、再度のクーデターが引き起こされた。
2018年にはラテンアメリカを左右する政治的事件が起きた。ブラジルでは極右の元軍人ジャイル・ボルソナーロが政権を握り、メキシコでは大統領選挙でロペス・オブラドールが勝利し、左派政権が誕生した。
この時期、ラテンアメリカには1万6000以上の民間軍事・安全保障会社があって、約240万人を雇用し、社会運動を抑圧していた。多国籍企業が資源を略奪し、軍や警察がそれに加担することも頻繁に起きている。エクアドルでは左派政権が先住民のシュアル民族を追放し、彼らの土地を中国の鉱山企業に渡すために軍隊を出動させた。
左派政権誕生の意義
今日、左派政権が次々と誕生している。そこには前回のピンク・タイドの時期と違う要素がある。ラテンアメリカにとって歴史上、前例のないことだといえる。
ラテンアメリカの七つの主要な国、ブラジル(10月の大統領選挙でルーラが勝つだろう)、メキシコ、アルゼンチン、コロンビア、チリ、ペルー、ベネズエラがすべて左派政権になるのは今回が初めてだ。ラテンアメリカ地域人口の80%以上が新しい左派の支配する国に住んでいることには、大きな意味がある。
かつてのピンク・タイドはメキシコとコロンビアが参加しなかった。合流せず、親米の中心を担った。今回はメキシコとコロンビアが参加することが重要だ。
メキシコでは2018年にロペス・オブラドールが大統領に選出された。彼は「天然資源、労働力、技術、市場で互いに補完しあうことができる地域だ。われわれが提案してきたのは、国民の自治と主権に関する新たな段階だ」とのべている。つまり地域統合を進めるという認識だ。ラテンアメリカの国は一国レベルではどんなに頑張っても自立できない。だから地域統合を進める。もちろんアメリカに依存しない地域統合だ。
コロンビアでは、グスタボ・ペトロとフランシア・マルケスが正副大統領選で勝利した。ペトロは元々ゲリラの闘士であり、マルケスは黒人女性で、多くの女性の支持を獲得している。彼らはCELAC(ラテンアメリカ・カリブ海諸国共同体)やUNASUR(南米諸国連合)を強化し、地域統合を進めようとしている。
チリで誕生した左派政権のボリック政権は、ピノチェト軍事独裁政権時代の憲法を変えることを確認した。現在と過去の組織的な人権侵害を是正し、数十年のフェミニスト、学生、先住民、組合の動員を支えてきた運動と、大衆活動における急進的左翼とを結びつける同盟をつくり出すことを模索している。
6月に開かれた第九回米州サミットは、アメリカの思惑どおりに進まなかった。アメリカはキューバなど3カ国を排除しようとしたが、メキシコが異議を唱え、結局14カ国が参加しなかった。米国の関与なしに新しい地域統合をいかに成し遂げるかが、左派政権成功の一つの鍵になるのではないか。
ポスト資本主義を構想
では、新自由主義を乗りこえるためのグローバルな運動をどうつくりあげるか。抵抗するグローバル・サウスが世界人口の80%以上を占めているなかで、彼らを世界的な意志決定から排除する動きをどうなくしていくか。
今、ウクライナ危機のなかでラテンアメリカで浮上しているのは、「非同盟」に関する議論だ。つまりアメリカ合衆国やその同盟国とも、ロシアとも、同盟を拒否する。それが大事なんだといっている。「多国籍企業の資本主義と中国の国家資本主義との間に立つ」というイメージを打ち出している知識人もいる。
略奪的な新自由主義への抵抗は緊急課題になっている。だが、左派政権に政権交代したからといって、部分的に補償的な社会政策を実行することはできても、新自由主義そのものを打ち負かすことはできないという論議がある。
大きな発想のなかで、われわれがやっている自律的な運動がどういう位置にあるかを考えなければならない。ローカルな運動を基礎にしながら、ポスト資本主義を構想することが必要だ。
ここでは抵抗するグローバル・サウスの経験の正反両面に学ぶことが必要だと思う。未来を再考する枠組みとしてのコモンズ(地域住民の共同所有、あるいは地域共同体のあり方)、インディオの伝統的生き方を見直すブエン・ビビール、ブラジルから起こった土地なし労働者運動(MST)、社会連帯経済。国境をこえた農民運動「ビア・カンペシーナ」と「食料主権」の運動は、ラテンアメリカから世界に広がっている。
◇ 質疑応答から
Q 左派政権になった各国の経済政策とその違いは?
松下 どこの国も資源ナショナリズムを掲げつつ、資源の輸出に依存しているのが実体だ。ベネズエラは石油価格の上昇に期待しているし、メキシコは暴力の問題では効果的な動きをしようとしているが、最終的には資源を売らざるをえず、批判を受けている。今後地域的な連帯のなかで、お互いどうやって補完しあうかが重要になる。
チリの経済政策は、短期的・中期的・長期的に分かれている。短期的には、学生債務の帳消し、緊急所得の提供、労働者世帯に税制改革をおこなう。中期的には、労働日を削減する、新しい年金制度や国民健康保険制度を検討する。長期的には、原材料の国有化を地域連帯構想の枠組みのなかで考えようといっている。
Q 新自由主義はどのようにもたらされてきたのか? アメリカの関与は?
松下 こういう笑い話がある。「ラテンアメリカではあちこちでクーデターが起こっているのに、ワシントンではなぜ起こらないのか?」「それはワシントンにアメリカ大使館がないからだ」、と。
コロンビアは麻薬の主要な生産国だ。それを抑えるためにアメリカの民間軍事会社が空から芥子の花を一掃する薬剤を撒く。実はこれまではコロンビアの軍事政権とアメリカは麻薬カルテルで一体になっていた。新政権をそういう形で押さえつけようとしている。
中米からアメリカに移民が入ってくるが、アメリカ政府は一部をメキシコに留める政策をとっていて、それがメキシコの右派政権の利益になっていた。
中米からの移民が増えるのは、多国籍企業が中米の農村を大農場に変え、その開発によって農民を追い出しているからで、住む場所のなくなった農民が低賃金労働力として米国への移民になっている。
Q 同じ左派政権でもベネズエラと、ブラジルやチリとの違いは?
松下 ブラジルの場合は、国内の資本家が政権に影響力を持っている。チリはアメリカとの友好的関係は維持しているが、ベネズエラはアメリカとの関係は敵対的だ。
各国の政権の性格と支持基盤を見ておかなければならない。ベネズエラはチャベスからマドゥーロへと権力基盤が一本化しており、転覆は難しい。チリの新政権を支えるのは若者と女性、先住民だ。チリは軍事政権からの移行であり、どれだけ軍部の影響力が残っているか、軍人が議会にどれだけ議席を得ているかにもよってくる。
Q 政権交代しても新自由主義は変わらないという話があったが、ラテンアメリカの一連の政権交代をどう評価するか?
松下 1%が支配する今の世界は、グローバル・サウスの人たちにとっては深刻で、もう耐えられないといっている。今回の政権交代は以前のピンク・タイドとは違う。これまでの経過のなかで各国がいろいろ経験してきているわけだ。ラテンアメリカの主要な7カ国が、アメリカに分断されずにまとまろうという動きになっている。一国レベルでなく地域統合をめざす動きが出ている。今までに欠けていたものが認識されている。
基本は、政権が変わったとしても、その政権を生み出し支えてきた支持基盤、つまり学生や先住民、女性、労働組合がどれだけ頑張れるかだ。また、最近の米州サミットの動きを見ても、ラテンアメリカの国々がアメリカに対して結束して対抗しようとしている。アメリカとの関係を断つことはないが、対等な関係にしよう、自分たちの国の主権を守ろうとなっている。同時に中国に対しても、従属ではなく自立でいけるかどうかが課題となる。