やくしげ・よしひろ
大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。同志社大学人文科学研究所嘱託研究員。京都大学大学院人文学連携研究者。
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1.はじめに
5月10日から21日まで続いたイスラエルによるガザ空爆によって、65人の子供を含む230人以上のガザ住民が殺害され、約7万2000人が家を失った。2007年のハマースによるガザ統治開始以降、地上侵攻を含む大規模攻撃が3回行われてきた。今回の攻撃は、2200人以上の犠牲者を出した2014年夏の攻撃以来のことになる。
国連安保理における停戦に向けた努力が米国の拒否権により機能しない中、21日にエジプトの仲介で停戦が成立した。双方が勝利宣言を出してはいるが、民衆の支持という点ではハマースの方が圧倒的であるように思われ、ネタニヤフ首相にとっても、アッバース大統領にとっても、今回の出来事はそれぞれの政治生命に致命的な影響を与えるものと思われる。
ところで、今回のガザ攻撃は、過去三度のガザ攻撃に比べても、背景となる政治状況が複雑に絡み合っており、様々な点においてこれまでのケースとは異なっている面がある。単純に現象的に見ても、過去三度のガザ攻撃はいずれも、まずイスラエル側からの挑発的な攻撃があり、ハマースの反撃を誘発した上でイスラエルの大規模空爆が始まるという経過をたどった。しかし今回は、ガザ地区のだけを見れば、5月10日に最初に攻撃を開始したのはハマースということになる。
実際、多くのニュースの見出しは、「イスラエル軍がガザ空爆 ハマスのロケット弾に報復、武力衝突へ」(毎日新聞、5月11日)というようなものが多く、ガザの空爆下に暮らす人々の人道状況がこれまで以上に伝わりにくい報道になっていた。そして、この記事の本文を読むと、ハマースの攻撃の理由は「(イスラム教の)聖地侵略への報復」だとある。事情に詳しくない読者は、良くて「宗教紛争は難しい」と考え、悪ければ「イスラームはやっぱり怖い」と受け止めることになる。欧米圏のメディアにおいてもそうした傾向はもちろん広く見られるが、今回、とりわけ日本のメディアの報道において、こうした表面的な報道が目立ったように思う。
その理由として、日本のメディアは記事の文字数が少なく、深掘りする余裕がそもそもない、ということや、そのこととも関わって、そもそもの取材力の問題もあるだろう。しかし、すでに述べたように、何よりもパレスチナ問題を取り巻く大きな状況の変化があり、そのことに日本の政治やメディアが「取り残されている」という点が大きいように思われる。
そこで、この状況の変化について、①バイデン政権の中東政策とエルサレム問題、②ネタニヤフ首相の政治的危機、③パレスチナ問題認識のグローバルな変容という三つの側面に着目し、今回のガザ攻撃に至る経緯と関連付けつつ順を追って説明したい。
2.バイデン政権の中東政策とエルサレム問題
まず今回のガザ空爆にいたる一連の出来事について整理しておきたい。
ハマースが「聖地侵略」と呼んだのは、5月7日以降数度にわたり、アル・アクサー・モスクのあるエルサレム旧市街の聖域ハラム・シャリーフにイスラエル治安部隊が侵入し、モスクでの礼拝者を襲撃したことを指す。2000年9月に第二次インティファーダが始まったのも、当時野党であったリクード党党首アリエル・シャロンが治安部隊を引き連れてハラム・シャリーフに立ち入ったことが発端であったが、今回は、ラマダン(断食月)中のモスク内部に催涙弾や音響爆弾が投げ込まれているという点で「聖域を汚す」レベルがこれまでになく高く、その様子はSNSを通じて世界中にリアルタイムで拡散された。しかも、5月7日はラマダン月最後の金曜日(集団礼拝日)であり、イランのホメイニー師の提唱で始まった「エルサレムの日」でもあった。
なお、パレスチナ自治政府と対立関係にあるハマースは、シリア内戦で反政府派を支持したことで一時期イランと冷却関係にあったが、2017年に最大のパトロンであるカタルが他の湾岸諸国から断交されイラン・トルコとの関係を強めたため、対イラン関係を再構築していた。そのことは、反アサド感情が強く浸透するスンニ派アラブ世界における支持を失うリスクを伴うものであったが、イラン核合意復帰をめざすバイデン政権の成立により、イラン・サウジアラビア関係は劇的に改善の方向に向かい出しており、そのリスクは減少していた。すなわち、ハマースを取り巻く国際的環境はこれまでになく有利なものになっていた。
さらにもう一つ欠かすことのできない要因として、東エルサレムのシェイク・ジャッラ地区住民に対する家屋明け渡し命令が今年2月と3月に立て続けに出され、5月上旬の最初の期限(直前に延期された)に向けて住民と入植者・警察との間で緊張が深まっていたということがある。この地域の住民はもともとイスラエル建国によって故郷を追われた難民であったが、ヨルダン政府および国連との交渉の結果、1956年、難民としての身分を放棄する代わりにこの地域の土地・家屋を与えられ、この地に移り住んだ人々であった。ところが、1967年の第三次中東戦争により、イスラエル支配下に置かれることとなり、1970年代に入って、イスラエル入植者グループが、この土地はもともとユダヤ教徒のものであったとして権利を主張して裁判を開始したのである。
仮にヨルダン統治以前、この地にユダヤ教徒が暮らしていたとしても、その権利を入植者グループが引き継いだという法的根拠は非常に乏しく、また、そもそも東エルサレムは国際法上、イスラエルの裁判所の管轄権が及ばない被占領地であって、その地の住民を強制追放することは明らかな国際人道法違反である。しかし、イスラエルは1980年に東西イスラエルを統一された首都であるとする基本法を制定し、裁判所もそうした政府の姿勢を反映し、2000年代以降、同地区のいくつかの家屋について入植者の主張を認め、引き渡し命令を出すようになり、執行が繰り返されてきた。
このあからさまな東エルサレムの「ユダヤ化政策」に対する危機感は、今年2月・3月の家屋明け渡し命令によって一気に高まり、シェイク・ジャッラ住民に連帯する運動がパレスチナ内外に広がった。イスラーム主義の色彩が強い「エルサレムの日」と、土地・家屋をめぐる具体的な闘争が時期と場所において交差することになった。
この運動の盛り上がりに対抗するかたちで、シェイク・ジャッラ住民や抗議運動参加者に対する極右入植者グループによる挑発や暴力、警察による弾圧が今年4月に入って強まっていった。というのも、この入植者グループは、イスラエルがテロ組織指定しているカハ党の元メンバーを中心とするオツマ・イェフディット党の別動隊であり、同党は3月の選挙で初めて議席を獲得し、勢いづいていた。
3.ネタニヤフ首相の政治危機
ここでネタニヤフ首相の汚職疑惑が大きな意味を持ってくる。彼は、2019年11月に収賄罪等3件の容疑で起訴されており、首相の座を失えば逮捕は確実だろうと言われている。ところが次期内閣を決めるはずの総選挙が2019年4月に行われたものの、リクード党と青と白党の票が拮抗し、両党首とも過半数議席の支持を得る組閣に成功せずやり直し選挙となり、以後同様の理由で選挙が繰り返され、今年3月の選挙は2019年4月以降四度目の総選挙となっていたのである。そしてそのたびにネタニヤフは政治生命を延命してきたのである。
しかし2021年3月の選挙では、それまでの3回の選挙がリクード党を中心とする極右政党と青と白党を中心とする中道右派政党が争う形だったのに対し、昨年11月に青と白党が分裂し、また、極右政党の側でもネタニヤフを嫌い連立から離脱するグループが現れ、ネタニヤフを支持する極右および宗教政党に反ネタニヤフの極右と中道グループが対抗するかたちになった。
こうして、ネタニヤフにとっては、反ネタニヤフの極右を自陣営に引き込むためにも、より過激な対パレスチナ政策を取り、国家の安全に関わる緊急事態の状況を作り出すことが最も理にかなう政治的選択ということになった。前述のオツマ・イェフディット党を連立に引き込むことにネタニヤフが熱心だった背景にはこのような事情があった。
こうしたネタニヤフの立場からすれば、イスラーム主義的な「エルサレムの日」とシェイク・ジャッラ地区をめぐる闘争が交差し、それに過酷な弾圧を加え騒乱状態を作り出し、さらにガザのハマース政権による「反撃」を誘発することは、おそらくシナリオ通りの展開であっただろう。
しかしながら、やや彼が甘く見ていたと思われるのは、聖地エルサレムにおけるイスラエルの暴力に対する抗議行動が、パレスチナ被占領地に留まらず、イスラエル領内のアラブの町やアラブ諸国の各都市にまで広がり、さらにトランプ政権期においてほとんど機能していなかったアラブ連盟が一致団結して批判声明を出すなどの動きを引き起こしたことである。
とりわけ、イスラエルの広報外交戦略にとって極めて大きな打撃になったと思われるのは、オツマ・イェフディット党をはじめとした極右グループによるヘイトクライムがSNS等を通じて国内外に広く拡散されたことである。これらの右派グループは民族宗教派とも呼ばれ、もともと西岸地区の入植地を根拠地としていたが、今ではイスラエル領内にも支持者を広げている。そのため、東エルサレムにおいて始まったパレスチナ人に対する集団的迫害・リンチは、ハマースによるロケット弾攻撃開始を契機として、イスラエル領内のアラブの町に一気に広がっていった。彼らが発する「アラブ人に死を」というスローガンと、アラブ人の通行人や商店を襲撃する様子は、「悪いアラブ人」のみを弾圧・攻撃の対象としているというイスラエルの公式見解が信頼できるものではないことを内外に知らしめたのである。
4.グローバルなパレスチナ問題認識の変容
以上に述べたような国内外の状況は、グローバルなパレスチナ問題認識の変容とも深く関わる。それは、「中東和平プロセス」において目指された公正な二国家解決案の実現が不可能になってしまったという認識である。
この認識には二つのバージョンがある。一つはトランプ政権が提起した「世紀のディール」に見られたもので、公正な二国家解決案はもはや不可能なのだから、「不公正な二国家解決」、つまり、パレスチナ側には現在のパレスチナ自治区とそれほど変わらない実態をもって「国家」として認めさせることで、問題を決着させようという考え方である。この「国家」は、西岸地区の6~7割の面積を占め、いくつかの飛び地に分割されており、出入国管理権や軍隊を持つ権利などは否定される、帝国主義時代の「保護国」のようなものである。
これに対し、パレスチナ人たちの間に広がりつつあるのが「一国家解決案」であり、現在のイスラエルとパレスチナ被占領地を含む「歴史的パレスチナ」全域に、現在の住民および追放されたパレスチナ難民を含めた人々が完全に平等な権利をもつ一つの民主的国家を打ち立てるべきという考えである。
こうしたパレスチナ人の側の戦略的認識の変化は、国際的なパレスチナをめぐる問題認識とも連動し、パレスチナ人に対する抑圧を第三次中東戦争で占領された西岸地区とガザ地区だけに限定せず、イスラエル領内のパレスチナ市民に対する差別およびパレスチナ難民の帰還権にまで広げて把握し、総体としてイスラエルの対パレスチナ人政策を「アパルトヘイト犯罪」として捉えようという動きが拡がっている。
今年1月にはイスラエルの人権NGOベツェレムが「ヨルダン川から地中海の間に広がるユダヤ人による支配体制これこそがアパルトヘイト」というレポートを発表。4月には米国に本部を置く国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチが、『閾を越えたイスラエル政府当局とアパルトヘイトおよび迫害という犯罪行為』という、より本格的なレポートを発表した。イスラエル政府はこうした動きに対して、「ユダヤ人国家」が存在する権利を否定している反ユダヤ主義文書だなどと激しく抗議している。しかし、とりわけ米国におけるイスラエルロビーの影響力はかつてのような勢いを失いつつあるように見える。
その背景には民主党左派に影響力のあるユダヤ系の平和団体やアラブ人組織の青年層が極めて政治的に活発であることがある。2018年の中間選挙でソマリア難民の移民であったイルハン・オマルやパレスチナ移民二世のラシーダ・トライブを下院議員に当選させた民主党左派は、バイデン政権に対しても一定の影響力を有しており、民主党内のイスラエルロビーに対して侮れない勢力となりつつある。少なくともイスラエル批判をすることが議員生命を脅かす時代は終わりつつある。
イスラエルが右傾化し、被占領地・イスラエル領内にかかわらず、パレスチナ人に対するリンチや襲撃事件が頻発する状況は、「西側」世界における、二国家解決案への幻想を破壊し、以上に述べたような状況認識を促進する結果を生んでいるのである。
5.おわりに
冒頭でパレスチナ問題に関する日本のメディア状況について触れたが、これは「西側」におけるパレスチナ問題の認識の変容と比較して、逆行しているように思われる。日本の右傾化が進み、イスラエルから発せられる排外的なメッセージに共感する人々が増えているのではないか、ということが懸念される。
ガザ空爆が熾烈を極めていた5月12日未明に、日本イスラエル友好議員連盟事務局長である中山泰秀防衛副大臣が「イスラエルにはテロリストから自国を守る権利があります」などと投稿したことに対して、批判が殺到し削除せざるを得なくなった。このことは、「日本とイスラエルにおける排外主義者の連帯」がまだ十分な規模には至っていないことを示しているが、逆に、こうした動きが、イスラエルロビーの主導で作られようとしていることを明らかにした出来事でもあった。
少なくとも、パレスチナ報道に関わる人びとは、草の根の連帯運動や平和運動が、パレスチナ問題の現在の展開において決定的な意味を持っていることに留意すべきである。政府や政治組織の動向だけで現在のパレスチナ問題をめぐる大きな地殻変動を捉えることはできない。