新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大するなかで、感染者の累計が550万人を突破して世界最大の感染国となった米国に隣接しながら、国内感染者を抑制し、世界の感染流行地にも医療団を派遣している社会主義国キューバ医療の実力が改めて世界の注目を集めている。撲滅が困難なウイルスと向き合いながら、いかに社会の公衆衛生を保ち、人々の健康や暮らしの安定を確保していくか――弱肉強食の競争原理に委ねた新自由主義社会の限界があらわになるなか、国や行政が誰のために機能し、どのように社会を運営していくべきかが鋭く問われている。コロナ後の社会のあり方とかかわって、キューバにおけるコロナ対策と医療の実態を見てみたい。
中南米カリブ海に浮かぶキューバ(人口約1133万人)で最初に新型コロナ感染者が発生したのは3月11日。観光に訪れたイタリア人家族3人が感染源となって広がり、第一波のピーク(4月24日)には1日の新規感染者が70人をこえるまで増加した。だが、その後は次第に感染者数は下降線をたどり、7月20日には新規陽性者がゼロになるまでに封じ込めた。第二波が始まった8月になって再び感染者が増えているものの、1日あたりの新規感染者数は二ケタ台に抑え込んでいる。
キューバの累計感染者数は、8月18日時点で3229人で、このうち2547人がすでに治癒している。死者数は累計88人だが、この2カ月間では1人に止まっている。100万人あたりの死亡率は8人で、米国の515人、英国の609人、ドイツの110人、ブラジルの510人などと比べても極端に少ない。米国から長期の経済制裁を受ける不利な条件に置かれ、決して物質的に裕福ではないキューバが、感染率も死亡率でも他の医療先進諸国の数値を大きく下回っているのはなぜか。
キューバでは、建国の理念として「十分な医療を受けることはすべての国民に与えられた基本的人権」と憲法に定め、国民皆保険制度に基づいて子どもから大人まですべての医療が無償で保障されている。ちなみに中学までの義務教育、大学や専門学校に至るまでの教育費も無償だ。
医療は利益を上げるためのビジネスではなく、コストを要する国家の責任と位置づけており、1978年にWHOが「健康状態の改善に必要なあらゆる要素を地域レベルで統合するための手段」「予防、健康増進、治療、社会復帰、地域開発活動等をすべて包括する総合医療の柱」と定義した「プライマリー・ケア」を世界に先がけて実現した国として制度化している。
100㍍単位で1人の医師 ファミリードクター
この医療制度の中心を担うのが、各地に配置されたファミリードクター(かかりつけ医)で、住宅地には100㍍単位で医師と看護師が必ずいるため、住民になにかあれば誰でもすぐに相談・診断してもらえる。この診療所は全土に配置され、普段から国民一人一人と細やかなコミュニケーションをとりながら基本的な健康管理を担っている。医学教育も無償であり、志があれば誰でも医者を目指せるため、全国の医師数は10万1619人で、人口1000人あたり9人と世界最多を誇る。OECD先進国の人口1000人あたりの医師数を見てもトップのギリシャは6・1人、ドイツ4・3人、イタリア4人、スペイン3・9人、米国2・6人、日本2・6人だ。
ファミリードクター制度は、80年代の米ソ二極構造が崩壊し、食料から医療機材・医薬品まで生活必需品の輸入がストップし、米国からの経済制裁が増すなど国全体が瀬戸際に追い詰められた困難な時期に強化された。医薬品では、西洋医学だけでなく、コストが安く自国内で生産・供給できる薬草や鍼灸などの伝統医学もとり入れた「統合医療」を発展させた結果、現在では医薬品の七割が自国産となった。それは劣悪な環境にあった農村医療を発展させ、黄熱病やデング熱、ポリオや風疹といった伝染病を根絶する過程でより充実したものとなり、今ではすべての国民が毎年健康診断を受け、ワクチン接種を受けられるなど、予防医学を中心にした高度な医療システムとして日常的におこなわれている。
ファミリードクターは、住宅地や農山村などにかかわりなく、1人あたり120~200世帯を受け持ち、700~1000人の顔が見える範囲で各家族の健康状態を日常的にチェックする。
詳しい検査や入院が必要であると判断された患者は、レントゲンや簡易手術、歯科などの機能を備えた「ポリクリニコ」と呼ばれる市町村段階の診療所に移される。この施設はファミリー・ドクター15人に1カ所の割合でもうけられ、この二つの専門医によって病気の8割を完治させることが可能とされている。
また通院だけでは治療が困難な患者は、入院施設が整った「市町村病院」に、さらに困難な患者は「州病院」、高度医療が必要ならば「全国病院」へと病気の難易度に応じて移され、入院にはファミリードクターが付き添ってカルテを共有し、トータルで患者の健康管理をおこなうシステムだ。
新型コロナ感染が始まってからは、医師たちは午前中は診療所で診察し、午後は訪問診療をおこないながら、医学生らとともに家庭や職場を週一回訪れ、発熱の有無などを問診でチェックするようになった。医師が感染経路となることを避けるため、問診は家の中に入ることなく距離を保っておこなわれる。
ファミリードクターによる家庭訪問を毎週くり返すことで、感染者の早期発見が可能となり、集団感染を防いだといわれ、医師たちがいつでも病院へ運ぶ患者を選別できることから、不安を抱える患者が病院に押しかけることもなく、医療崩壊の防止に貢献したと指摘されている。感染の疑いがある者の発見だけでなく、健康増進や衛生対策の意識向上を図ることにも力を入れ、すでに国民の94%が訪問調査を受けているとされる。
さらに保健当局は3月時点で、新型コロナ感染者のために1万床のベッドと472の集中治療室を確保した。これは人口1400万人の東京都が現在確保しているコロナ対策病床(5448床)の約2倍にあたる。緻密な感染防止策とあわせて医療体制を充実させることによって、集中治療室は最大約3・8%の使用率に収まり、一度も医療崩壊を起こしていない。
発見された感染者は速やかに病院に隔離され、PCR検査を含む必要な処置を受けることができ、検査も治療もキューバ人か否かを問わず完全無償としている。
感染対策徹底して隔離 生活保障とセットで
最初の感染者が出てから2週間後の3月24日には、キューバ人とキューバ在住の外国人以外の入国を禁止し、「国民の生命と健康を守ることが最優先」との判断から4月2日には人道的な理由による帰国を除いてすべての入国を禁止した。民泊宿泊の観光客はホテルに移動させ、宿泊費のそれまで支払っていた額、交通費、お金がなくなった場合のすべての生活費を政府が負担した。
さらに潜伏期間が長く、無症状者が自覚のないまま感染を広げる新型コロナの特徴に着目し、PCR検査で陽性反応が出た患者と接触したすべての人を政府が用意した病院や隔離施設に28日間入院させた。そのためピーク時には感染者の3倍にのぼる人々が入院することになり、人々はそこで免疫力を高める抗ウイルス薬の投与を受け、感染拡大と重症化のリスクを軽減させた。これらの隔離政策は住民の協力なしには困難だが、国家がプライマリー・ケアの責任を負うとともに「健康はすべての国民に与えられる人権で、国民一人一人がその獲得に尽力する」という相互扶助の思想が深く浸透していることも円滑な実施に寄与したといわれる。
また人々の移動や接触を最小限に抑えるため、政府が必需品を各家庭に配給し、疫病禍での国民生活を支えた。キューバには全国1万2767カ所に配給所があり、食料、個人用防具、医薬品などの必需品を配給したほか、ボランティアやソーシャルワーカーが高齢者に配達するプログラムを開始した。
住宅地の各ブロックで5人以上のクラスターが発生すると、周囲のブロックを含めて28日間にわたるロックダウン(封鎖)をおこなって検疫下に置き、そのさい対象区域の住民たちへの食料や医薬品を国が提供した。
労働・収入支援では、テレワークの給料を以前と変わらないよう保障するとともに、政府の指示か自発的かにかかわらず営業を休止した自営業者の納税を全額免除し、活動を継続した自営業者がパンデミックの影響で収入減となった場合には、月額納税額を減額した。
また、コロナによって失業した人々には、必要な労働現場への配転を促し、それが不可能な場合には1カ月の賃金を補償し、翌月以降も6割の月額賃金を政府が支払うようにした。
入院者には賃金平均の5割相当の補助金を支払い、政府の措置によって収入が不足した家族には、家族人数に応じて特別な社会扶助を受けられるように配慮するなど、感染対策と生活保障をセットで実行したことも功を奏した要因とされている。
国挙げてワクチン開発 コロナ治療薬は22種
キューバの社会主義制度を憎悪する米国政府は、米国を原産地とする商品をキューバに販売した販売者を罰する輸出管理規則を定めている。第三国でつくった製品でも、原材料や部品の中に米国産製品が15%以上含まれていると処罰対象になるため、各国はキューバへの医薬品の輸出をためらわざるを得ない。このような長年の経済制裁によって脅かされてきたキューバは、予防医学にもとづいた医療技術や治療薬を自国開発し、独自のバイオテクノロジー技術を急速に発展させてきた。
現在キューバでは、新型コロナの治療に22種以上の薬剤を使用している。コロナ禍以前に開発し、使用してきた「インターフェロンα2b」や「バイオモジュリンT」は、抗ウイルス作用を持ち、免疫力を高めることから医療従事者へのコロナウイルスの感染や重症化を防ぐ目的で施薬されている。これら4種類以上の新型コロナ治療薬が他国に輸出され、中国、韓国、イタリア、ドイツをはじめラテンアメリカ各国からも注文があいついでいる。
インターフェロンα2bは、1981年に米国が仕掛けたバイオテロによってデング熱が蔓延したさいに開発された治療薬で、B型C型肝炎、帯状疱疹、HIVエイズなどのウイルス性疾患の治療に使われ、その有効性と安全性が実証されている。細胞内のウイルスの増殖を防ぐ効果があるため、感染防止とともに新型コロナ感染でも重篤化を防止できるとされる。
バイオモジュリンTは、天然物質からつくられた免疫調節剤で、高齢者の呼吸器疾患の治療で有効性が証明されている。
また、重症化した患者に目覚ましい効果を発揮した「ジャスビンザ」は、患者の生存率を上げるだけでなく、回復後の合併症も防いでいる可能性があり、新型コロナ治療への効果が期待されている。いずれも新型コロナ治療薬として米国や日本では未承認だが、キューバ国内では陽性患者の93%以上がこれらの薬剤による治療を受け、80%が回復している。
また自国民に対しては、独自に開発した重症化を予防する自然伝統医療薬であるホメオパシー薬(レメディ)を使用して感染拡大を抑え込んでいるといわれる。植物や動物由来の成分でつくられた薬で、WHOの国際臨床試験登録プラットフォームにも登録され、ウイルスに対し抵抗力をつけ、急性呼吸器疾患に対する予防として適用されている。
現在、世界では新型コロナのワクチン開発をめぐって官民問わず多くの製薬会社が命運をかけて全力を挙げているが、キューバは社会主義国であるがゆえに国家戦略としてワクチン開発に積極的に投資し、継続的な開発を可能にしている。
キューバ人のワクチン接種率はラテンアメリカのなかでも随一で、日本とも長年にわたってワクチンの共同開発にとりくんでいる。そのうちの一つである「CIGB2020」は、WHOの新型コロナウイルス感染症に有用である医薬品のリストにも掲載された。
キューバ国営通信は18日、国内研究機関が新たに開発した新型コロナワクチン「ソベラナ01」の治験を実施したことを発表し、来年2月の実用化を目指して開発を進めていることを明かすなど、先進医療の分野でも強い存在感を放っている。
世界59カ国で医療支援 3万人の医師派遣し
また、発達した医薬品の開発研究体制を持ち、人口あたりの医者数の多いキューバは、この強みを最大限活用し、他国に対しても医薬品の提供や医師団の派遣を積極的におこなって国際的地位を高めている。「ヘンリー・リーブ緊急医療援助国際部隊」は、約3万人の医師たちを世界59カ国に派遣して医療支援をおこなっており、そこで得られる外貨は、キューバの重要な収入源としてキューバ政府の歳入となり、完全無償の医療システムを支えている。だが発展途上国への医療団派遣は無料とするなど、人道主義にもとづく医療外交をプロジェクトの主眼に置いている。
新型コロナ・パンデミックが始まってからは、3月にカリブ海で船内感染が確認されて各国から入港を断られていた英国クルーズ船の入港を受け入れたほか、感染流行地域となったイタリアなどの欧州、カタールや南アフリカなどの中東・アフリカ圏など世界28カ国に、3357人の専門家で構成された35の医療団を派遣し、6月13日までに約11万人の治療に成功している。
コロナ禍が拡大するなかで、キューバの政策を憎悪・攻撃し続け、世界トップの資本力と医療技術を誇示してきた米国をはじめ、先進資本主義国の多くが医療崩壊を起こし、感染者や死者が止めどなく増え続ける一方で、「米国の裏庭」と呼ばれる中南米の経済規模も資源も乏しいキューバでは少ない医療費で充実した医療体制が保たれ、自国のみならず世界の人々の治療に貢献している現実が鮮やかな対比となってあらわれている。
米国の後を追う日本でも医療費の高額化、病床数の削減が進み、公的医療の民営化や国民皆保険制度の解体による医療の市場化と「命の選別」までが現実問題として迫っている。それはPCR検査の拡充すらままならない国のコロナ対策にもあらわれている。パンデミックを入口にどのような社会を再構築していくか――キューバにおける先進例は、世界がコロナ禍に立ち向かううえで重要な示唆を与えている。