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『世界がキューバ医療を手本にするわけ』吉田太郎氏の著書から学ぶ

 新型コロナウイルス感染対策で、キューバの医療が注目されている。キューバ保健省によれば、国内での感染者は10日現在で457人(死亡者16人)となっている。そうしたなかで先月、深刻な医療崩壊に陥ったイタリアに50人以上で構成する医師団を派遣したことが驚きをもって受け止められた。また、キューバが開発した抗ウイルス薬インターフェロン・アルファ2Bが、新型ウイルス感染者の治癒に有効であることが確認され、WHOも製剤の一つにあげていることがある。

 

イタリア入りしたキューバの医師団(3月、ミラノ)

 イタリアへの医療チームの派遣は、北部ロンバルディア州の要請を受けたもので、医師36人、看護師15人、統計の専門家らで構成している。キューバは、国民一人当りの医師数が世界で最も多い国の一つで、医療従事者の養成プログラムが優れていることでも知られる。3万人のキューバ人医師が世界61カ国で、国境をこえて働いている。

 

 新型コロナウイルスの感染に立ち向かう各国の要請を受けた医療チームはイタリアのほか、ベネズエラ、グレナダ、ジャマイカ、ニカラグア、スリナム、ベリーズなどに合わせて400人を送っている。キューバの「国境なき医師団」は、ハイチのコレラや西アフリカのエボラ出血熱などの感染症の最前線に立ってきたことでも知られている。

 

 抗ウイルス薬インターフェロン・アルファ2Bは、キューバの技術を導入した中国との合弁会社(長春)で製造・販売しており、中国の新型コロナウイルス治療でもその有効性が確認された。スペインもこの薬剤を新型肺炎患者に投与することを明らかにしている。キューバ当局は、この薬を試したいという打診がすでに15カ国からあったことを明らかにしている。

 

 キューバの事情にくわしい吉田太郎氏は、『世界がキューバ医療を手本にするわけ』(築地書館、2007年)で、キューバ革命(1959年)以後、「教育と科学にこそ未来がある」(カストロ)という理念を掲げてきたキューバの福祉医療と先端医療の先進性を、市場原理の導入によって医療崩壊の危機に瀕する日本や欧米先進国と対比させて具体的に紹介している。

 

米国が仕掛けたデング熱 6週間で治療薬

 

 キューバの医療については乳幼児死亡率はアメリカ以下、平均寿命は先進国並み、医療費はすべて無料、全国を網羅する予防医療などで知られる。それとともに今注目されるのは、吉田氏がキューバの先端医療の水準の高さを紹介するなかで、その飛躍をとげるきっかけとなったのが、アメリカがしかけたバイオテロで34万人がデング熱に感染したという不幸なできごとであったことを強調していることである。

 1981年の5月から10月にかけてキューバでは、突然デング熱が大流行し、ピーク時には毎日1万件もの患者が出る事態となった。政府はまず、防除薬剤マラチオン液を緊急輸入し、媒介蚊の駆除作戦を開始した。だが病床が足りなくなり、寄宿舎のある多くの学校を隔離病棟にあてて感染防止に努めた。しかし、それにもかかわらず1万312人が重症の出血性デング熱に冒され158人が犠牲になった。そのうち101人が子どもだった。

 

 カストロは1981年の革命記念日で「この病気がCIAによって国内に持ち込まれた疑いがあり、殺虫剤の輸出を米国に求めたが拒否された」と演説した。アメリカの関与を疑わせたのは、デング熱の病原体が東南アジア由来のウイルスタイプで、しかも蚊が媒介するから発生源があるはずなのにハバナ、シエンフエゴス、カマグエイの3カ所で、約300㌔も離れて同時多発的に発生したことであった。感染症専門家のグスタポ・クリ博士は、デング熱を遺伝学的に調べ、ニューギニア産であることを突き止めた。

 

 3年後の1984年にニューヨークでキューバ外交官を殺害したテロリストグループ「オメガ7」のリーダー(アメリカ亡命のキューバ人)が逮捕された。その公判過程で、バイオテロをしかけるつもりで「数種の細菌を持ち込む任務を持ってキューバを訪れたことがある」「ソ連軍に使われるはずだったが、キューバに使われてしまった」と口を滑らせたことから、デング熱を持ち込んだことが発覚した。

 

 また、2000年代に入りアメリカの機密文書の解禁によって、米陸軍が1956年と58年にジョージア州、フロリダ州で特別に飼育した蚊の群れを放ち、生物兵器になるかどうかの研究をしていたことが暴露された。この実験で使われたのはデング熱を媒介するネッタイシマカだった。

 

 キューバはデング熱以外にも次のようなバイオテロをアメリカから受けてきたと主張している。
 1962年 ニューカッスル病(鶏の病気)
 1971年 アフリカブタコレラ
 1979年 さとうきび錆病、タバコ青黴病
 1980年 タバコ青黴病
 1981年 急性出血性結膜炎
 1996年 ミナミキイロアザミウマ(農業害虫)

 

 キューバのバイオテクノロジー産業は、こうしたアメリカのバイオテロによる要人暗殺や、疫病の流布、農産物被害に対抗するためのやむなき自衛手段から始まったといえる。

 

 デング熱発生でインターフェロン緊急増産の必要性に迫られたキューバでは、全国科学研究センターが中心となり、バイテク推進の特別機関として、12の研究所長で構成するバイオロジカル・フロントを組織した。これによって、デング熱や急性出血性結膜炎の治療薬としてのインターフェロン生産設備の増築計画が進められた。

 

 科学者たちはデング熱が流行するさなか、わずか6週間で治療薬インターフェロンを作り出し、デング熱治療に活用し効果を収めた。さらにその後、旧ソ連やフィンランド、東ドイツ、日本、アメリカ、カナダ、フランス、イギリス、スイスなどに留学生を送り込み、遺伝子組み換え技術、分子ウイルス学、モノクローナル抗体生産、免疫化学、組織培養等の専門知識を学んできた。

 

 ソ連の崩壊とそれを好機とみたアメリカの経済制裁がキューバをいっそうの困難に追いやった。キューバはバイテク産業を輸出の柱に据えて、ヨーロッパ、アジア、アフリカに販売しようとオーストラリア企業と協定を結んだが、アメリカの横やりで、その2年後に一方的に破棄されることも経験している。

 

インターフェロン・アルファー2B

世界最大のバイテク研究所 各国の育成を支援

 

 だがキューバは今や、世界最大のバイテク研究所を持ち、ワクチン開発でも独創的な成果を上げHIV、子宮頸ガン、ヒトパピローマウイルス(HPV)、B型肝炎とC型肝炎のウイルスを抑えるなどの成果を上げている。バイテク分野では500もの特許を持つが、うち26はアメリカにおけるものだ。

 

 吉田太郎氏は、キューバでは「バイテク産業はサトウキビにかわって、国家の基幹産業になった」と指摘している。ラテンアメリカ最大の医薬品輸出大国としてその顧客リストには先進国を含め50カ国以上がひしめいている。そのうえ、イラン、中国、インド、アルジェリア、ブラジル、ベネズエラ、マレーシアなどの途上国と技術提携を結び、それぞれの国のバイテク産業の育成を支援する位置にある。中国におけるインターフェロン・アルファ2Bの製造もその産物だといえる。

 

 吉田氏は遺伝子工学・バイテクセンターの中心的な研究者の次のような発言も紹介している。

 

 「私たちは多国籍企業とは本質的に異なります。なぜなら、……金銭的な目標よりも、むしろ社会的で人間的な目標をわかちあっているからです。ワクチン開発の目的はお金を稼ぐのではなく、命を落とす子どもたちを減らすことにあります。もちろん、ただでワクチンを差し上げることはできませんし、売らなければなりませんが、お金はバイテク産業の目的ではなく、あくまでも手段なのです」

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