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29日に第17回広島「原爆と戦争展」開幕 次世代に被爆地の心繋ぐ

22日に開催された主催者会議(広島市)

 第17回広島「原爆と戦争展」の主催者会議が22日、広島市東区の二葉公民館で開かれた。被爆者、戦争体験者、主婦、社会人、大学生などが参加し、今月29日に開幕する同展に向けての意気込みを交流し、力を合わせて成功させることを確認した。

 

 はじめに広島の会会長代行の眞木淳治氏が挨拶に立ち、「かつてない猛暑が続くなかで活動されるみなさん、また豪雨災害の被害を受けたみなさんにもお悔やみ申し上げたい。被爆者が高齢化や病気などを抱えるなかで、原爆と戦争展の準備段階からたくさんの人の助力によって開催にこぎつけた。今年の集大成として8月の展示会を迎えることができる」と、1週間後に迎える開幕に先立って謝辞をのべた。

 

 また、今年の修学旅行や市内小中学校の平和学習での証言活動の反応に触れ、「子どもたちの意識が大きく変わっている。この2、3年の変化のなかでも特に顕著だ。ある学校では“動けなくなる被爆者の方にかわって自分たちが語り部になる”と何人もの生徒が書いてくれ、私は感激して学校にお礼の電話を入れた。このような意識をもった子どもたちを育てていくためにも、原爆と戦争展への参加を呼びかけている。このような新しい力を作るために努力していきたい。情勢を見ると、史上初の米朝首脳会談は歓迎すべきものだが、まだ安心はできない。対立から対話へと向かう世界の動きは重要であり、日本政府がその方向へと舵をきるべきだと思う。戦争と原爆の真実を訴え、二度とくり返させぬことを今まで以上にしっかり伝えていく必要がある」とのべた。

 

 つづいて下関原爆被害者の会の大松妙子会長のメッセージを同会スタッフが代読した。

 

 事務局からの報告では、第1回主催者会議からの3週間で原爆と戦争展への協力が全市的に広がり、ポスター2000枚、チラシ11万枚が市内での宣伝活動や学校を通じて配られ、大学生を中心にしたスタッフ参加希望者を含めて賛同協力者は176人にのぼっていることを確認した。

 

 被爆から73年目を迎えるなかで、被爆者だけでなく、被爆2世や3世からの積極的な協力が増えており、祖父母の深刻な体験を受け継ぎ、それを伝えていく行動機会を求めていること、全国や世界中から訪れる人人も被爆体験や市民の思いを学ぶ強い意欲をもって広島を訪れていることを強調し、英訳版なども活用して「このパネルの全国、世界での活用と普及を積極的に呼びかけていく」ことを提案した。

 

 90歳の婦人被爆者は、日赤看護学生のときに被爆して救護活動に従事した体験を語り、「学校の子どもたちはとてもよく聞いてくれ、心のこもった手紙を書いてくれることが励みになっている。高齢であるが体力の続く限り頑張りたい」とのべた。

 

 85歳の婦人被爆者は、女学校2年生(13歳)のときに爆心地から2・8㌔離れた大芝で被爆し、帰らぬ姉を相生橋まで探しにいったことを明かし、「この会に参加して七年目になる。動けなくなる被爆者が増えているが、若い人たちに伝えてほしい」と願いをのべた。

 

 同じく婦人被爆者は「最近、ガンで倒れた仲間のことを思うと、70年以上たったいまも原爆症はある日突然やってくることを思わずにはおれない。悲しくはあるが、こうして若い人が参加してくれることがうれしい。最近は、学校で子どもたちを指導する先生の意識も凜としたものを感じる。体調を整えながら8月6日に向けて頑張りたい」とのべた。

 

 男性被爆者は、小学5年生(10歳)で爆心地から2・5㌔の己斐国民学校で被爆したことを明かし、「いまは祖父母も戦後世代という子どもが多いが、被爆体験の感想文には徴兵検査のことや、己斐小学校のグラウンドを掘って2000人もの遺体を燃やしたこと、死体だけでなく、生きている人間のヤケドや傷口にもウジが沸いていたことなどを驚きをもって書いている。一般にピカドンといわれる爆発の瞬間についても、私たちには数秒間、熱線が続いた記憶をもっている。経験した一つ一つの事実を正確に伝えていきたい」と話した。

 

 他の被爆者たちも、自身の凄惨な体験を語り継ぐとともに、若い世代への強い期待をのべた。

 

意欲増す学生や高校生

 

 東広島市の女子学生は「この展示を見て、私たちが知らないことがたくさんあり、それを伝えていかなければいけないと思った。全国、世界から広島に来るみなさんに伝える手伝いができればと思う」と抱負をのべた。

 

 沖縄県出身の女子学生は「祖父も沖縄戦を体験しており、大学進学時に原爆の事実を知りたいと思って広島に来た。平和公園での街頭展示でも、真剣にパネルを読んでいる外国人が多く、関心の高まりを感じた。伝えていく人がいなければ、その関心には応えられない。若い世代が中心になり、この活動の手助けになりたい」とのべた。

 

 女子学生は「昨年もこのボランティアに参加して、今年も外国人にアンケートをしたいと思って参加した。世界の人たちが広島や原爆についてどんな見方をしているのか学びたい。成功に向けて頑張りたい」と思いをのべた。

 

 別の女子学生は「はじめて参加するが、広島で生まれ育ち、小さい頃から被爆体験を聞き、8月6日の平和記念式典に吹奏楽団として参加したこともある。ずっとかかわってきたと思っていたが、この展示を見て、やはりまだ知らないことがたくさんあり、被爆者の方一人一人にそれぞれの体験があり、それを残して次の世代に伝えていかなければいけないと思った。同世代の若い世代に伝えていく力になりたい」と語った。

 

 広島市内の男子高校生は「自分の学校でも522人の生徒が原爆の犠牲になっており、8月6日にも慰霊行事がある。曾祖父も被爆を体験しており、直接本人からや、母親から間接的にも聞いてきた。でも、若い世代は戦争への認識が薄く、テレビやアニメでも軽薄なものが多い。犠牲者や、戦争から必死に生き抜いてきた人たちの思いを次代に伝えていくことが、犠牲になった人への供養でもあると思う。若い人の認識を少しでも深められるように、自分にできることからやっていきたい」とのべた。

 

 50代の男性は「原爆投下が日米上層部の合作だったということを米国出身の詩人が発言し、最近話題になっている。米国は膨大な費用をかけて開発した原爆を使わなければならず、日本上層部は中国への侵略戦争が敗戦濃厚になって出口を失い、両者の利害が一致して、日本を米国が単独占領するために原爆投下がおこなわれたというものだ。真珠湾攻撃も沖縄戦もしかりだ。まさに権力者だけの都合で戦争が引き起こされ、犠牲になるのは一般庶民だった。その構図がいまもまったく変わっていない。全国でも次第に問題意識が高まっているので、より効果的に働きかけられるように力を尽くしたい」と意気込みを語った。

 

 40代の男性公務員は「この豪雨災害をめぐる対応も、戦争当時の統治と重なるものがある。政治も行政もほとんど機能しておらず、行政現場では人手も予算も足りない。災害の対応や手当てにかける予算がないといいながら、外交では途上国にカネをばらまき、軍事には湯水のように予算を注いでいる。政治が国民を守るではなく、国民をふり回していると感じる。意識を研ぎ澄まして国民の力で政治の状況を変えていくために努力していきたい」と抱負をのべた。

 

 被爆者や戦争体験者たちからは、若い世代の真摯な意気込みに強い拍手が送られた。

 

 「自然災害でも一瞬にして当たり前の生活が奪われ、多くの人が苦しんでいる。戦争ではなく、国民の生活を支える政治の役割が問われている」「道路や水道が寸断しただけで生きていけない現代社会の姿があらわになり、戦争になればひとたまりもないことが容易に想像できる現実がある。被爆や戦争の経験を若い世代に伝え、戦争にさせぬ国民世論を強めていきたい」などの意見も交わされた。

 

 今年の原爆と戦争展は、7月29日(日)から8月7日(火)まで、広島市中区袋町の合人社ウェンディひと・まちプラザ(袋町小学校となり)の四階ギャラリーで開催される。8月5日(日)には、午後4時から同会場ロビーで被爆者や学生による全国交流会を開催。また8月1日から6日まで連日、平和公園内の原爆の子の像となりで学生たちによる街頭展示がおこなわれる。8月6日(月)の午後1時からは、広島県民文化センター(中区大手町)で2018年原水爆禁止広島集会が開催され、集会後には市内をデモ行進する。

 

パネルに下げられた英訳に見入る外国人参観者(広島平和公園)

昨年の原爆展会場。被爆体験を聞く人が相次いだ

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