原爆展を成功させる広島の会は13日、広島市東区の福祉センターで、広島大学講師の李容哲(イヨンチョル)氏を招いて「韓国の民衆運動と朝鮮半島情勢」と題する学習会を開いた。被爆者や教師、社会人、高校生などが参加し、南北和解と朝鮮戦争の終結に進む朝鮮半島の動きについて活発に意見を交換した。
はじめに一昨年から韓国で広がった朴前大統領弾劾を求める100万人規模のキャンドル集会の映像を鑑賞し、李氏が南北会談の受け止めや民衆運動の歴史について概略以下のように解説した。
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韓国では、市民もメディアも今回の南北会談をかつてなく歓迎している。65年間に及ぶ長い分断の歴史のなかで南北の首脳は何度も会おうとしたが挫折してきた。第1回目の南北会談は、2000年に金大中(キムデジュン)大統領と金正日(キムジョンイル)総書記によって平壌でおこなわれ、07年の盧武鉉(ノムヒョン)と金正日による2回目の南北会談は、大統領の任期満了直前だったため政策が続けられず、次に大統領になった李明博(イミョンバク)が断絶した。11年ぶりとなる今回の南北会談は、以前の2回とは比べものにならないほど明るい展望を抱いて市民は歓迎している。
以前は、南の中でも“民主、統一”を口にすれば“アカ(共産主義者)”と見なされる雰囲気があった。反政府的な言動とみなされれば投獄もされた。膨大な犠牲を強いられた韓国(朝鮮)戦争を体験した世代にとって、北と同化することは心情的に許せない。統一といっても韓国が北朝鮮を吸収するのだという意識が強かった。韓国では1987年に市民の民主化抗争によって民主化が実現したが、まだ国民意識の中では「左」と「右」に二分していた。だが、朴槿恵弾劾から1年で韓国社会は激変し、今回はほとんどイデオロギー問題にならなかった。世論調査でも国民の9割近くが南北会談を支持している。つまり保守層も多くが支持しているということだ。
朝鮮半島では、1945年に36年に及ぶ日本の植民地時代が終わり、日本軍が撤退して解放されたはずだったが、南北分断後に新たに進駐したアメリカは、命がけで独立運動をしてきた人たちを排除し、日本の植民地機構をそのまま利用した。かつての日本軍に協力したため終戦と同時に逃げていた「親日派」が、アメリカの呼びかけによって「親米派」となって舞い戻り、北と同じ独裁政権を敷いた。私が子どもだった1980年代は、テレビアニメでも北朝鮮の人物はオオカミやイノシシに形容され、恐怖心が植え付けられてきたが、政治家はそれを利用して国民を統治してきた。大統領選や国政選挙の前になると、決まって北の銃撃や脱北者問題が起こる。だから昨年日本でも大騒ぎになったミサイル実験のときも、韓国内は冷静に受け止めていた。日本のメディアは明日にでも戦争が勃発するかのような過熱報道がされていたが、北朝鮮が一方的な軍事力を行使する動機も条件もなく、最終的には対話に進み、朝鮮戦争を終結させなければならないことをみんなわかっていたからだ。
初の南北対話は金大中時代にはじめておこなわれ、離散家族の再会や経済交流などによって同一民族としての理解が深まり、国内でも民主的な要求が通るようになった。だが、経済危機によるIMF管理下の苦境のなかで、国民は経済再生を求めて再びセヌリ党(親米保守)の李明博に大統領を託した。その李大統領は国を1980年代の軍事独裁時代に逆戻りさせ、次の朴槿恵(パククネ)になると1970年代をモデルにして国民統制と歴史の偽造(植民地時代の美化)をはじめた。民主化によってはじまった南北交流も、李明博、朴槿恵政権の9年間でその一切を断ち切ってふたたびアメリカに依存して独裁を敷こうとしたが、民主化の味を肌身を通じて知っている国民はそれを許さなかった。市民はふたたび立ち上がり、この2人の大統領を引きずり降ろすだけでなく、腐敗した政治機構の抜本的な変革を求めて運動を広げた。
朝鮮半島の戦後出発は、純粋な独立ではなく、日本に原爆を落としたアメリカが新たな統治者に変わっただけで、主人公であるはずの韓国は朝鮮戦争の休戦協定でも、南北統一でも運転席に座ることができなかった。そして昨日まで「鬼畜米英」といってきた親日派たちが、今度は「アメリカ万歳」を叫んで分断の溝を深めてきた。外部勢力に主体性を奪われた統一ではなく、当事者の手による自主的な統一は、すでに1972年の「7・4南北共同声明」で確認されているにもかかわらず、ほとんど実践できぬまま時間だけが過ぎていた。その出発点から正さなければならず、朝鮮戦争の終結はその入口だ。今後の動きはまだ流動的だが、お互いの国家体制を認めたうえで、朝鮮戦争を終結させ、南北を分断する壁を取り払って連邦制を敷き、双方の経済レベルが一致した時点で統一するという構想が有力視されている。
今回の南北会談を成し遂げた文在寅大統領のリーダーシップが特別に高いというよりも、それが大統領選時の公約であり、大多数の国民の歴史的な願いが後押ししているからこそ実現できた。そこに進むしかなかった。南北統一は一朝一夕に進むことではなく、国の体制や経済の違いから起こる困難はさまざまに予測される。だが国民は50年後、100年後を見据えたうえで、今回の一歩を強く支持している。日本との関係でも必ずよい結果をもたらすと思う。
(2016年11月にソウルの光化門前に終結した100万人規模のキャンドル集会)
相互理解深める契機に 日韓関係も論議
参加者からは、統一の方向性や南北格差の問題、日本の拉致問題や慰安婦問題に対する質問や、「安倍首相は圧力一辺倒だが完全にカヤの外にいる。これだけ交渉が進むなかで、拉致問題の解決もトランプに頭を下げて下駄預けしていることが恥ずかしい」「日本に来る韓国の若い人たちはとても友好的だが、同時に国内では日本人に比べても政治的な意識が強い。日本では韓国市民の運動を“反日”ととりあげられるが、実際はどうなのか?」などの意見が出された。
李氏は「韓国の市民運動は、単純に大統領弾劾だけを要求しているのではない。若い人たちは、四大卒でも仕事がなく、多くの学生が大企業が要求する英語力を付けるために語学留学をする。それでも正社員になるのは針の穴に糸を通すほど難しい。加えて2年の兵役義務もあるがほとんど給料はもらえない。IMF管理以降、大企業本位になっている雇用環境は日本よりも劣悪で、子育ても困難になって少子化が進み、そのような社会を自分たちの意思表示によって変えていこうと行動している。日韓関係の植民地時代の話や領土問題になると熱くなることはあるが、それだけが日韓関係ではない。文化や民間レベルでの交流は以前よりずっと進み、観光客も相互に増えている。ふたたび祖国を植民地や戦場にすることには反対するが、“反日”といわれるような日本人バッシングをしているわけではない」と応えた。
男子高校生は、「母が学生時代に在日朝鮮人の友だちに教わった歌を学校で歌っていると、先生に“歌わないでくれ”といわれたと話していた。北朝鮮の歌だったようだが、いまもヘイトスピーチなどが平気でおこなわれていることに疑問を感じる」とのべた。
社会人の男性は「韓国で起きていたことが日本の現状と重なる。戦争状態にある韓国では、クーデターなどで強制的におこなわれてきたという違いはあるが、日本でも政権が変わってもまた自民党路線に回帰した。日本人も韓国人の姿勢に学んで、民衆が政治経済等を立て直す正念場に来ていることが理解できた」と感想をのべた。
「民主化は急速にはすすまず、何十年と紆余曲折を経て進んでいくものだということが印象に残った。民主化という言葉の重大さを感じた。もっと東アジア諸国の歴史を知りたい」(20代教員)、「これまで韓国の内情を知る機会はなかった。北朝鮮も恐ろしい国だと思っていたが、長い戦争の歴史をへていま両国は平和に向けて前進していることがよくわかった。知らないということが恐ろしいと感じた」(被爆者)などの感想が語られた。