広島市中区の中央公民館で27日、原爆展を成功させる広島の会(高橋匡会長)の2016年度総会が開かれた。被爆者、戦争体験者、被爆二世、主婦、学生、下関原爆展事務局や劇団はぐるま座団員など30人が参加し、市内各地での原爆と戦争展、小中高校、大学、修学旅行生への被爆体験証言など今年一年精力的にとりくんできた活動の成果を確認した。安保法制施行や自衛隊の南スーダン部隊に「駆けつけ警護」任務を付与するなど、戦時国家づくりに向けて安倍政府が強行姿勢をとるなかで、戦争反対と核兵器廃絶の力強い世論の広がりを確信して、来年度に向けてさらに奮斗することを誓い合った。
「日本の進路見据えたうねりを」
はじめに原爆犠牲者に対して全員で黙祷を捧げた後、広島の会の高橋匡会長が挨拶した。
高橋氏は、「今年は5月に現職として初めてオバマ大統領が広島を訪問したが、肝である原爆資料館の見学は非公開でわずか10分間。その後は、儀礼的に献花をし、スピーチをしたが、すべて米本国で準備してきたものであり、広島で何を見て、何を感じたのか推し量ることもできなかった。そして、“(原爆投下を)謝らなくてもいい”という論調が覆ったが、なんのために数十万市民が焼き殺されたのかという事実を消すことはできない。人間であるならば“天から死が降ってきた…”というような表現で終わらせることができるものか。なんら癒やされるものでもなく、憤りを深めるだけの内容だった」と語気を強めた。
「しかも、広島訪問前に降り立った米軍岩国基地では、米兵らを激励するために大統領は上着を脱いで大騒ぎを演じていた。先だって広島で開催されたG8外相会議でも、原爆慰霊碑の前で米英仏の外相は頭を垂れることすらしなかった。この一連の行事において、オバマ大統領が広島を語れるほどの内容があったといえるだろうか。しかも、10月の国連会合では核廃絶の入り口にあたる核兵器禁止条約の協議を開始する決議に、米国はおろか被爆国の日本政府まで反対票を投じ、核保有国と非核保有国の仲介の労をとるという恥ずべき態度を見せた。広島1区選出の岸田外相は、職を賭して核兵器にはノーをいうべきところ、米国に同調したことを自慢げに語る始末で、後援会関係者を含め市民有権者は怒りを募らせている。私たちは、核兵器の製造・貯蔵・使用は絶対に許さないという広島市民の総意を堅持して、この恥ずべき動きに屈することなく運動を広げていかなければいけない。今年体験を語った子どもたちもこの世情を敏感に感じている。私たちは被爆の真実をさらに伝え、次世代に引き継ぐため力を尽くしたい」とのべた。
来賓として、下関原爆展事務局の竹下一氏、劇団はぐるま座の岡田真由美氏が挨拶した。
竹下氏は、広島市民による粘り強く精力的な活動が平和運動の様相を一変させる大きな役割をはたしてきたことを強調した。「はじめて旧日銀広島支店で原爆展を開催した15年前に覆っていた“被爆体験は風化している”などの空気や、原爆投下の正当化論、核抑止論は影を潜めオバマ訪問のお祭り騒ぎや“謝罪要求は品位がない”といったマスコミのキャンペーンに市民の底深い怒りが渦巻いていた。米国側はそれを敏感に感じて、わずか50分で逃げるように立ち去っていった。この真実を代表した広島の世論は、決して孤立したものではなく、米大統領選では、シリアやイラク制圧のために核使用すら示唆していたヒラリーを敗北させた米国内の世論とも繋がっている。この動きは格差の拡大だけでなく、核戦争に対する国際的な反対世論が渦巻いている証拠といえる。来年は英訳版パネル冊子なども作成し、峠三吉が活躍した時期と同じような国際的な影響力をともに広げていきたい」と奮斗を誓った。
岡田氏は、8月の『原爆展物語』広島公演や、被爆者とともに市内の学校や児童館で証言活動をおこなうなかで、「高校生や小学生が被爆者の生き方に感銘を受け、“困難に負けない”と決意していた。他県から来た人もオバマ訪問に対する市民感情への関心が高く、まともな社会をつくるうえで団結を求めている。文化を通じて平和運動に貢献したい」とのべた。
続いて、下関原爆被害者の会の大松妙子会長、原爆展を成功させる長崎の会の永田良幸顧問のメッセージが披露された。大松氏は、「駆けつけ警護」の新任務を付与された自衛隊員が南スーダンに送られたことに触れ、「家族と別れを惜しみながら出て行く姿は、戦時中の出征兵士を見送る家族の姿と重なって大きな憤りを覚えた。最近では、どの学校でも、子どもだけでなく、父母が熱心に体験談を聞いてくれている」と伝えた。
続いて、広島の会事務局が今年度の活動報告と収支決算、来年度の方針などを提起した。
被爆71年目の今年は8月の第15回広島「原爆と戦争展」を頂点に、佐伯区五日市(第6回)、安佐南区緑井(第1回)、南区(第4回)、さらに呉市(第9回)、修道大学(第10回)、広島大学(第11回)の7会場で開催し、約7000人の参観者、414人の賛同者を集めた。
さらに、5月から11月まで毎月、山口県、大阪府、京都市、滋賀県、兵庫県など16校の修学旅行生にのべ92人の被爆者が体験を語り、地元広島では14校の小中学生にのべ62人が証言した。さらに、市内の5つの児童館や私立高校、2大学の授業やゼミ、社会人、ロシア人の学生団体などに被爆体験を語り、そのなかでのべ35人の大学生、院生、留学生、現役労働者や主婦などがスタッフとして原爆展運動を支えるなど、若い世代の行動意欲と結びついておう盛に活動が発展したことを報告した。
若い世代の成長した姿
参加者の論議は、今年の活動での反応、世論の変化への確信とともに、国会で強行採決を連発して国民の戦争動員体制を進める政治と真っ向から対峙する気迫に溢れた。
連日のように証言活動に参加してきた男性被爆者は、今年新たに市内の小学校から証言依頼があったことや高校放送部が意欲的に取材に来たことを報告し、「その一方で安保法制を強行し、若者を戦争に巻き込もうとする政府の動きを警戒している」とのべた。
「なかでも国連で核兵器禁止条約に反対するという日本政府の行動は言語道断だ。安倍首相はお金をばらまく派手な外交をしてきたが、トランプが次期大統領に決まったとたん、世界で最初に駆けつけておべんちゃらをやり、“信頼できるすばらしい指導者”と持ち上げた。その直後に、トランプからTPPの即時離脱を表明されて面目丸つぶれだ。いったいどんな会談をしたのか疑わざるをえない。トランプは国益最優先といっており、日本政府の主体性のなさ、国際協調すら否定しかねない動きは看過できない。私たちの平和活動はますます重要さを増している」とのべた。
甲状腺ガンを克服して証言活動に復帰した婦人被爆者は「医者からは“命を選ぶか声を選ぶか”といわれたが、可能性を賭けて探した病院で手術に成功し、こうしてまた声を出して被爆体験を語ることができることを幸せに感じている」とのべ、子どもたちから送られてきた感想文を紹介した。「“体験した人にとって戦争はまだ終わっていないのだ”という感想や、小学1、2年生でも“世界でテロが横行しているが、日本は絶対に戦争をやってはいけない”と力強い言葉を綴っている。“平和のためには、国のリーダーである安倍総理がもっとしっかりしてもらわないと困る”と書く小学生もいた。先日、南スーダンに派遣された自衛隊員の家族が“生きて帰ってきて…”と涙をこらえている姿はまさに戦時中の出征の光景を彷彿とさせた。子どもたちを再び戦場に送らないために命をかけて反対するときが来ている」と力を込めて語った。
3年半前から原爆展スタッフとして活動してきた男子学生は、「この活動に参加した当初は、自分一人の力が役に立つのか? 意味があるのか?と自問自答もした。だが、展示パネルや被爆者の話は、教科書やメディアでは知ることのできない事実ばかりで衝撃を受けた。即効性を求めるのではなく、続けることに意味がある。若い人が知る機会をもっとつくる役割、体験者がいなくなる前に一人でも多くの人に伝えなければと思った。来年卒業だが、今後も活動を継続していきたい」と決意をのべた。若い世代の成長した姿に惜しみない拍手が送られた。
真実伝える蓄積が力に
総会後の懇親会では、初めて参加した沖縄出身の男性(80歳)が、父親が移民として渡ったフィリピンが第2次大戦によって戦場となり、父親とともに屍の山を踏み越えて沖縄へ帰郷した経験を語った。「なにもないところから開拓して得た財産も戦争によってすべて失い、骨と皮だけになりながら米軍の砲弾が飛び交うジャングルを逃げ惑った。フィリピンでの日本人の死者は50万人であり、広島や長崎の死者数にも匹敵する。この実態もあまり知られていない。このような活動は大多数が支持するものだと思うし、数千人から協力が得られる活動だ」と期待をこめてのべた。
中学1年で被爆した男性は、「安倍首相は“戦争は起きない”というが、どこまでも米国を助けていくなら必ず戦争になる。一方、“日本も核を持って抑止力を”という極論もあるが、それは核兵器を使用することが前提であり、日本が他国の人人を同じ目に遭わせるということだ。私たちが求めるものは、口先の謝罪でも核保有でもない。死んだ者の命は2度と返ってこない。このような苦しみをふたたび生まない世界をつくることだ」と語気を強めた。
退職教師の婦人被爆者(91歳)は「現代俳句に“戦争が廊下の奥に立っていた”という有名な句がある。知らず知らずのうちに生活の中に戦争が入り込んで人人を引きずり込んでいった経験を詠んだものだ。私も20歳で敗戦を迎えた者として身につまされるものがある。個人の感情や意志にかかわらず、国家権力の動きによって強制されていく。これに対して、国民が目先の生活の安定だけに関心を奪われるのではなく、日本の進路を見据えたうねりをどうつくっていくかが問われる」とのべた。
それにかかわって、男性被爆者は、「誰もが政治の暴走に歯ぎしりする思いを抱えている。私も現役時代は、県議や市議を抱える有力企業の役員をやっていたが、生活を守るために意に反した政治行動をよぎなくされた。政治の傲慢さにギリギリする思いがあっても個人では何も動かすことができなかった。だが、だからこそ、この会のような無償の奉仕の心で繋がった組織の存在は極めて貴重であり、尊いと思う。この力を信じて全力を尽くせば必ず新しい政治の胎動を生み出せる」と強調した。
また先日、大学の授業で体験を語ったところ、ある学生が「昨日まで核抑止力が必要と思っていたが、考えを改めた。来年渡米するのでしっかり伝えたい」と語っていたことに触れ、「無私の精神で真実を伝えること、それを積み重ねていくことは決して無駄ではない。確信して頑張ろう」と呼びかけた。
被爆者たちの気迫に満ちた論議は、家族の死別や入院、ガンや持病などの困難を抱えながらも、「二度と再び子どもたちを戦争の犠牲にさせぬ」という固い使命感で献身的に活動してきたおたがいの奮斗をたたえ合い、来年に向けてさらに結束を深めるものとなった。