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世界の平和運動のセンターに 原爆展を成功させる広島の会が総会

懇親会で体験を語る被爆者(3日)

 原爆展を成功させる広島の会(高橋匡会長)は3日、広島市東区の福祉センターで今年度の総会を開催した。原爆展活動を支えてきた被爆者、被爆二世、主婦、学生、下関原爆展事務局など約30人が参加し、今年の活動をふり返りながら、来年にむけて決意を固め合った。日米政府による戦争への動きが加速する一方、広島から全国、世界に発信してきた原爆展運動が、日本全国をはじめ世界的にも影響力を広げてきたことを確信し、平和運動のセンターとして若い世代と力をあわせてさらに旺盛な運動を進めていくことを確認した。

 

 はじめに全員で原爆犠牲者に対する黙祷を捧げた後、広島の会の高橋匡会長が挨拶に立った。高橋氏は、「今年の活動で最大の特徴は、8月の原爆展に、従来にはなかった学校の先生たちの集団的な参観があり、被爆体験を聞いた感動をもって地元に帰り、すぐに秋の修学旅行で子どもたちに被爆体験を聞かせるとりくみを申し出てこられた。滋賀県など遠隔地から新たに3校が訪れた。先生たちの熱意をうれしく思う」とのべた。

 

 さらに「北朝鮮と米国が危うい関係を築いているが、かつて日本が世界大戦に踏み込んだのは、経済制裁が引き金だった。かれらは自分の活路を見出すために、誰もが負けるとわかっていた対米戦争に突っ込んだ。いま安倍政府が米国に同調して“経済封鎖だ”“圧力だ”といっているが、それだけで解決しないことは歴史が証明している。悲惨な道をたどった経験を顧みず、戦争を煽るようなまねをするべきではない。私たちは、声を大きくして、なんとしても戦争を防ぎ、平和を守ることを前面に掲げて頑張らなければならない」と力を込めた。

 

 来賓として下関原爆展事務局の竹下一氏が挨拶し、「広島における1年間の精力的な活動によって、日本の平和運動にとって歴史的な成果を収めることができたと実感する。広島の活動が、全国の平和教育を進めていくセンターとしての役割を果たすと同時に、海外にも大きな影響を与えてきた。国連における核兵器禁止条約の採択やICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞に見られるように、核兵器の製造・貯蔵・使用・威嚇の禁止を、世界的に確認して進んでいこうという世論が形になってきた。そこで強調されているのが、広島・長崎における被爆者の奮闘が、この運動の推進力となったということだ。国連事務総長は、“広島の被爆者の英雄的な努力によって核禁条約が実現した”と表現した。世界はそのように広島からの発信を捉えていることを示している」とのべた。

 

 また、「67年前、占領下にあった広島で、原爆についての報道や発言を禁ずるプレスコードが敷かれる抑圧のなか、峠三吉に代表される広島市民の私心のない精力的な運動によって“広島の怒り”が世界に認知され、広島ではじめて原水爆禁止世界大会が開かれた。その力が、朝鮮戦争における3発目の原爆投下を阻止したことは万人が認めている。だが、その後、原爆投下は戦争を終結させるためだった、日本は加害責任を反省せよ、反核はよいが米国を非難してはならないなど、さまざまな理屈で原爆投下を正当化する抑圧がはびこり、市民を抑えつけてきた。17年前、それを打ち破って“広島の面目を一新しよう”とはじまった広島市民の運動が、新たに世界的影響力をもつところにまで広がってきたことに深い感慨を覚える。ここを新たな出発点にして、全国、世界に広げていくためともに奮闘したい」とのべた。

 

 来賓として参加した劇団はぐるま座の為貞卓也氏は、『原爆展物語』や『礒永秀雄の詩と童話』の公演活動をつうじて、被爆や戦争体験者と若い世代を結びつけていくとりくみをさらに拡大していく決意をのべた。

 

 ともに活動をしてきた下関原爆被害者の会の大松妙子会長、原爆展を成功させる長崎の会の河邊聖子会長のメッセージが紹介され、全国的な絆を深めながら歩んだ1年の成果を全員の拍手で喜びあった。

 

 続いて、広島の会事務局が今年1年の活動報告をおこなった。今年は、広島市内や廿日市、東広島など7会場で原爆と戦争展をおこない、約4300人が参観し、276人が新たに賛同者に加わった。修道大学、広島大学、留学生会館でも開催して若い世代が能動的に運動に参加してきた。各地で体験を語った被爆者はのべ111人にのぼり、のべ50人の大学生、院生、留学生が現役労働者や被爆2世と一緒になってスタッフとして奮闘し、とりくみの成功に貢献した。修学旅行では、春・秋あわせて19校(山口県、大阪府、京都府、滋賀県、兵庫県)の生徒にのべ68人が体験を語り、地元広島では小中学校10校の児童・生徒にのべ43人の被爆者が体験を語り伝えた。

 

 さらに、地域で開かれた被爆体験を聞く会、介護施設、カフェなどにも積極的に出向いて体験を語ると同時に、高齢化する被爆者の体験を継承して次世代に伝える伝承者の育成、各大学での学生による自主的なとりくみ、平和公園での街頭展示活動など、年間を通じて旺盛な活動を展開。「会の創立から17年間の私心のない活動の蓄積のうえに、現役世代や若い世代との結びつきを着実に広げ、全国的、世界的な平和運動のセンターとしての役割を果たしてきた」ことを確認した。

 

広島の持つ重要な役割 海外にも広がる影響

 

原爆展を成功させる広島の会総会(3日)

 精力的に活動してきた男性被爆者は、今年1年で長野県、三重県、大阪府など各地から広島を訪れた教師や親子連れ、若い人たちとの出会いをふり返り、「国の状況が危うく、特に北朝鮮をめぐって情勢が緊迫するなかで、広島から戦争をくり返させない強い気持ちを伝えていくことが重大さを増している。平和運動の輪を広げていくためにさらに頑張りたい」と熱意を込めて語った。

 

 婦人被爆者は、「改めて手帳をめくると毎月、毎月、着実に活動してきたことがわかり、自分でも驚いている」とのべ、滋賀県の修学旅行生から届いた手紙を紹介した。
 「私が印象に残っているのは、焼けた広島から走って逃げているときの話です。走っているとき、道の脇に黒焦げになった死体がたくさんある中、男性か女性かわからない黒焦げの死体と目が合い、“私のことを忘れないでね…”といわれた気がした、と話されたときゾッとしました。戦争はたくさんの被害が出て、死にたくない人がたくさん死んでしまうひどいものです。核兵器で何万人も死んでしまいました。これまで私は、私が戦争をやめてほしいと思っても変わらないと思っていました。でも、話を聞いていくにつれ、私の中に戦争をやめてほしい、やめたいと思うことの大切さに気づきました。諦めるのではなく、戦争をさせないためにどうするのか考えていきたい」(女子)、「原子爆弾投下の一瞬で無差別に多くの命を奪われたことを知り、悲しく思いました。学校の学習だけではわからないこと、体験したからこそ伝えてくださっているのだと話を聞きながら思いました。私たちは今後、未来を背負って行きます。二度と戦争を起こさないでほしいという言葉を大切にし、その思いを下学年に伝えていきたい」(男子)など、丹念に思いが綴られている。

 

 「決して上手に話しているわけではないが、子どもたちがこれほど伝えたいことをきちんと受け止めてくれていることに感動している。体にガンを抱え十分な活動もままならないが、これからも一生懸命語っていきたい」と抱負をのべた。

 

 続いて、事務局が来年度の方針を提案した。すでに決まっている東広島芸術文化ホール(2月下旬)、フジグラン緑井(広島市安佐南区、4月下旬)、広島修道大学(5月)、広島大学(6月)、南区民文化センター(11月)をはじめ、原爆と戦争展をさらに各地に広げる。現役世代や学生など若い世代が会の事務局にスタッフとして加わり、会の集団的な機能をさらに発揮できるように刷新する。大学生の平和公園での街頭展示参加や被爆体験に学ぶ青年教師や学生の交流など、青年独自の行動を促し、援助する。『広島被爆体験集』第3集出版の準備を進める。被爆と戦争の体験を文章、絵、動画などに残すとともに、朗読を中心とした被爆体験継承の活動を発展させ、被爆体験伝承者を育成するなど、被爆者や戦争体験者、遺族との団結をいっそう強めて、若い世代を育成しながら、より多面的な広がりをもった運動を作ることを提起した。

 

 広島県内で働く20代の男性教員は、被爆体験記や詩の朗読を通して継承活動にかかわっていく決意をのべた。広島出身の女子学生は、「これまで平和教育に疑問を感じ、自分自身で戦争のことを勉強してきたつもりだったが、展示を見ることでみずからの無知に気づかされた。知ったつもりの戦争や原爆について他人事として見ていたことに気づき、手記を読んだり、証言を聞くなかで、事実を知りながら、なにも行動していない自分の愚かさを感じた。来年の大学での原爆展を学生主体で運営していく。そのためにも発信していく側が学ばなければならず、学内でグループを作り、勉強会を開くことを企画している。同世代を巻き込みながら、受け身ではなく能動的に学ぶ場を作っていきたい」とのべた。

 

 別の女子学生は、「大学での原爆展で被爆者の話を聞き、平和を訴え、2度と戦争があってはいけないという思いを強く持った。将来、教員になり、次世代に伝えたいと考えている。現在、学生有志で来年の原爆展を準備しており、学生にボランティアを呼びかけたところ、少しずつ参加の応募が集まっている。大学でも広島の会の学生支部を作ることを目指したい」と抱負を語った。最後に、事務局スタッフに学生を加えた新役員体制が提案され、全会一致で承認された。

 

世代越え強まる使命感 被爆地の心つなぐ

 

 つづく懇親会では、和やかな雰囲気のなか、被爆者から学生までお互いに1年をふり返りながら、奮闘をたたえ合った。

 

 英語通訳として原爆展スタッフを担った女子学生は、「ある米国人の男性2人組が最初から終わりまでパネルを熱心に見て、英語版冊子を求めてきた。なぜかと問うと、“いまのトランプ政権と米国人に自分はすごく違和感を感じている。自分は米国で生まれ育ったが、戦争の方向に動いていく政治の流れに米国人ながらに反発がある”と語っていた。はじめて広島に来て展示を見ることで、“自分がいままで習ってきた米国側の教育とは違い、これまで疑問に感じていた溝が埋まった気がする”という人もいた。米国政府が戦争を煽っているからといって米国人全体がそれを支持しているわけではなく、それに反感を持ち、核廃絶を願う人もたくさんいることを知った。草の根運動でそのような人たちに理解を広げ、核廃絶の決意を広げていくために頑張りたい」とのべた。

 

 戦争遺児で元公務員の男性は、11月半ばの夜8時頃、広島市西部の上空に飛行物体を見たことを語った。「あれ? と見ていると、そこから火球が落とされ、次の瞬間、地上からもレーザーの様な光がパパパパッと火球めがけて飛んでいた。さらに上空にはもう一機飛んでいた。疑問に感じて調べると、米軍岩国基地から飛び立った米軍機による火炎弾(フレア)の訓練だったと知った。広島県の北西部から江田島にかけては米軍が自由に飛行訓練ができるエリアに定められているという。岩国には厚木からの移転も含めて120機もの米軍機が飛び交い、広島湾岸を訓練地にしようとしている。日米安保条約、日米地位協定、さらに日米合同委員会が日米関係のすべての決定権を持ち、日本側は官僚だけが参加し、政治家は参加していない。これが、日本の独立を奪い、戦争に引きずり込む元凶だ。安保法制で派遣される自衛隊には指揮権はなく、すべて米軍指揮下だ。“独自の憲法を”といっているが、この関係を変えない限り、憲法条文をいかに変えようと独立した国にはなりえない。メディアはなにもいわないが、もっと声を上げていきたい」と力を込めて語った。

 

 はじめて参加した男性被爆者は、「原爆で両親を亡くし、友人を多く亡くした。この虐殺によって、家は焼かれ、ビルディングが崩れるなか、猛烈に燃える火を逃れ、煙をくぐって命からがら市内を逃げ回った。後に、学校で“ピカドンの男”とあだ名を付けられたが、当時は、原爆というものさえ知らなかった。1発で広島の40万市民のうちの半分を焼死させ、残ったものも1年以内に死んでいった。親は日赤の裏で魚市場を経営していたが、日の丸を振り、バンザイのなかで兵隊たちが出征していくさまを見てきた。従業員たちも広島の11連隊に召集され、1カ月もたたないうちに戦地に送られていた。面会に行っても行き先もわからず、見送ることさえ許されなかったという。母も48歳で原爆で亡くなった。私はガンは発症と摘出のくり返しで、目も見えなくなっている」とのべ、残された力を振り絞って体験を語っていく決意をのべた。

 

 別の男性被爆者は、「戦争は人が人を殺すものであり、安倍首相はその現実をなにも分かっていない。圧力をかければそのぶん反発が来るということをわかっていながら、平気でやっている。72年たってまた戦争がはじまろうとしていることに情けない思いでいっぱいだ。世界に誇る平和国家としての役割を果たすべきだ」とのべた。

 

 女子大学生は「私には95歳になる祖父がいた。当時、師範学校の教師として教え子を戦場に送り出す役目をしていたという。祖父に当時の話を聞こうと思っていたが、今年の夏に亡くなってしまった。被爆者の方と話していると祖父のことを思い出す。祖父に話を聞けなかった分、しっかり聞き、その思いを次世代に伝えていきたい」と涙ながらに思いをのべた。若い世代の純粋な思いに、会場全体から拍手が送られた。

 

 最後に高橋会長が、「日夜はりつめてばかりでは運動は続かないと思いながらも、時代はそれを許さない。日本人のリーダーを早く選び出さなければ、たいへんなことになると思わざるをえない。長崎では安倍首相は“あなたはどこの国の首相か?”といわれたというが、もし1発でも撃ち合いが始まったとき、安倍首相がどのような責任をとる覚悟があるのか問わなければならない。外国に逃げるような政治家ではなく、日本人の経験に立ち、広島の心を持ち、日本の将来を背負う本当のリーダーを生み出すため、広島の地から着実な歩みを進めていきたい」とのべ、全員で来年度も奮闘することを確認して会を締めくくった。

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