原爆展全国キャラバン隊は3日に米軍ヘリが墜落した宜野湾市の宜野湾市民会館前で街頭原爆展をおこなった。宜野湾市では若い世代が「安保」や基地への憤りをストレートにあらわし、戦争体験者も沖縄戦の深い複雑な思いを重ねつつ原爆展に強い共感を示していた。
人の命より「地位協定」優先
宜野湾市での参観者からはヘリ墜落事件とその後の対応を重ねて意見が出された。原爆展を見て「こんなことは、あってはいけない」と語り出した20代の男性は「ヘリ墜落のとき、たくさんパトカーや消防車が出た。消防署から10台以上出たので、ただの火事ではないと思っていたら、友だちから“米軍のヘリが大学に墜落した”とメールが入った。ほんとうに手が震えた。いつ事故が起きてもおかしくない状況にあると実感した」と強調。
つづけて「復帰まえに米軍のジェット機が小学校に墜落して大惨事になったが、話で聞くだけで実感がなかった。でも今度は怖いと思った。普天間基地も返還するといいながら動く気配すらない。アメリカはイラクが大量破壊兵器を持っていると騒いで戦争をやったが、つぎはイランの核施設を攻撃しようとしている。小型核兵器も使うのではないか」といった。基地問題については「県内移設とか、国内移設とかいう問題ではない。日本が独立しておらず、アメリカの好き放題にされていることにぼくたちは怒っている。原爆展を一人でも多くの沖縄の人に見せてほしい」と強調した。
「これは人間のやることじゃないと思った」と語り署名した女子青年は、「ヘリの問題は、普通は最初に消防に通報すべきなのに、まず警察に通報が行き、消防は最後だった。消防士の父が、現場へ行っても消火作業すらできないことに怒っていた。人の命を救うことよりも米軍の地位協定が優先されていることが問題だ」と語った。また80代の婦人は「疎開していたので、沖縄戦では助かったが、このあいだの墜落したヘリは、わたしの家の上を飛んでいって大学へ落ちた。ほんとうに怖かった。原爆展をどんどんやってください」と署名とカンパを寄せた。
年配者は「なぜこんな目にあわねばならぬのか」の少年の黒こげの写真や「いまも続く後遺症」のケロイドの写真を指さし、うなずきながらじっくり見ていったが、言葉少なに去って行く人やアメリカへの憤りを語ることがはばかられるような空気があった。
沖縄戦のとき「19歳で看護婦だった」という80代の婦人は「死体をこえてきた体験を持っているが、口ではいえない。がんばってください」と署名したが多くは語らなかった。
「平和賛成」で済まぬ 「基地撤去」は選挙の時だけ
「沖縄戦のとき国民学校だった」という70代の男性は「ヘリ墜落のことも、“安保”をなくさないとダメだ。“安保条約”を破棄して亜熱帯農業をやれば沖縄はもうかる。しかし小泉はそれをしない。“安保”で沖縄は守られているというが、“安保”のせいでひどい目にあっている。戦後、強姦事件が多く知りあいも強姦された。でも女性は訴えるところがどこもなかった。防衛隊で負傷兵を担いで壕に連れて行く仕事をしていた父も、爆弾の破片があたって米軍に殺された。父の遺体は戦友が埋めたが、その場所も爆弾でやられ、どこに埋められたかわからなかった。そんな人がすごく多い」と語った。
また教育問題にふれ「沖縄はどうして不良少年が多いと思うか」と聞き、「いまはタバコを吸う生徒を教師がなぐると、生徒が悪いのに教師の方が“体罰だ”と教育委員会に怒られる。そのような教育が問題だ」と語った。
「今回のヘリ墜落のような事故は、基地があるかぎり起きる」と切り出した60代の婦人は、「戦時中、看護婦だった大学の恩師が“あたり一面が死体の山。それを踏みつけて逃げた。でもなかなか逃げられず自分の体さえ大きな重りのように感じるほどだった”と話していた。その先生が“沖縄のバスガイドが沖縄戦について説明するが、現実はそんななまやさしいものではない”と怒っていた」と語った。
台湾から沖縄に帰ったが食べ物がなく芋の茎や葉を食べて生きた経験、土地接収のとき那覇の方で抵抗する地主を米軍がブルドーザーで轢き殺したこと、男手を失い土地も奪われ若い娘が生きるためにアメリカに身を売って生活することが多かったことなどを語り、「よく平和がいい戦争反対というが、現実はそれですむものではない。わたしも若いころは売春婦を見て偏見を持っていたが年をとってふり返ると、売春婦の人が悪いわけではない。あれで生殺しにされたんだと思う」と複雑な心境を語った。
長周新聞「論壇」チラシを道路脇に座って熱心に読んでいた70代の婦人は「終戦のとき13歳だった。嘉数は一家が全滅しているから養子が家をついでいるところがすごく多い。基地を撤去してほしいし、ここに書いてあるとおり、いまも昔も同じ問題。でもここで基地撤去をいうのは選挙のときだけだ。選挙が終わったらなにもいわない」と語った。宜野湾では呼びこみのさい「論壇」チラシを配布したが、まわりで読んでいる人が多かった。