遠い他国で起きている人権問題。
その中でも特に、国連安保理常任理事国の拒否権が国連としての行動を阻止している人権問題に対して、「一国」として独自の判断で行動を起こす。重大な人権侵害を犯している指導者に対して、「一国」ができうる限りの制裁を課す。そして、同じ意思を持つ仲間の国を増やし連携することによって、包囲網を築く。つまり、国連安保理が何もできない人権問題に対して、人権の「普遍的な管轄権」を信奉する独立した国家同士が、集団として行動する。
これを可能にする“国内法”、通称「マグニツキー法」は、ロシア政権内の横領疑惑を告発したため2008年に逮捕され、1年にわたる拘束と拷問の末、適切な医療も受けられず非業の死を遂げたロシア人法律家セルゲイ・マグニツキー氏に由来する。当時のアメリカ、オバマ政権が、彼の死に責任のあるロシア当局の要人をターゲットに、アメリカ本土への入国禁止や、アメリカ内の資産凍結等を行う権限を、アメリカ大統領に与える国内法を通過させた。それ以後、同様の整備が、英国、カナダをはじめとする主要先進国で進み「グローバル・マグニツキー」と呼ばれるようになった。
ここで重要なのは、人権侵害を行った個人をターゲットにする「標的制裁(スマート・サンクション)」ということだ。国民全体に影響を及ぼす、いわゆる「経済制裁」とは一線を画す。
ジュネーブ諸条約を主軸とする国際人道法が最も戒めるのが「集団懲罰」だ。日本流に言うと「連座」であるが、これは第二次世界大戦を経験した人類が同条約を結実させた最も大きな歴史的教訓なのだ。集団懲罰はジェノサイド(大量虐殺)の動機になる。要人ではなく国民全体への経済制裁は、この動機と同じとも言えるからだ。
僕が日本もこれに倣う必要性に問題意識を持ったのは2019年11月。香港の選挙監視のために民主派グループから招待され、中国にコントロールされた香港政府による、民主派市民・学生に対する人権侵害の実態に触れる機会も持った。当時は既にマグニツキー法の生みの親アメリカをはじめ、カナダ、イギリス、オーストラリアなどが、広域な人権侵害を推し進める香港政府の要人に対して、一国としてできる制裁包囲網を築き始めていた。さて、日本は?
帰国後、真っ先に相談したのは菅野志桜里衆院議員(当時)だった。そして衆議院法制局との作業がはじまった。まず日本の現行法の限界と新しい基本法制定の必要性を確認し、「日本版マグニツキー法(人権侵害制裁法)」の素案を半年かけてつくった。日本が、日本の意思で、看過できない国外の人権侵害を取り上げ、それを国会にはかり、内閣に調査を要請し、その結果を受けて、日本として、人権侵害の責任をとるべき当事国政権の要人に対してピンポイントで制裁措置を講じる。その制裁措置を講じるためには、現行の外為法や入管法、そしてODA基本政策の改良も必要だ。
その後、この法案を立法化するために、菅野氏、そして中谷元現防衛相の奔走で、自民、公明、立憲民主、国民民主、維新、れいわ、共産など超党派の「人権外交を超党派で考える議員連盟」が設立された。(https://jinken-gaikou.org)。上記の素案は、このサイトに収められている。
一方で、「どの国のどの人権問題に照準を合わせるか」の選択は、常に政治的な恣意に委ねられる。「マグニツキー法」の命名からして、アメリカを中心とする自由主義陣営が、ロシア・中国を制裁する先入観を含有する。「人権外交」、つまり、それがある国家への外交政策である限り、それが時の政治から影響を受けるのは、なんともし難い現実なのかもしれない。しかし、極度のそれは、「普遍性」という人権の根本概念そのものを崩壊させてしまう。
この超党派議連でも、所属議員の内訳にあるように、「単に中国とロシアが嫌いなだけじゃないの」と思わざるを得ない勢力が優勢であることだ。これを執筆している現在(2024年12月11日)でも、ガザについては、1年以上も前に声明を出しただけだ。(2023年11月21日付「イスラエル・ハマス間の軍事衝突に関する声明」)
その記述においても、犠牲となる民衆は、ハマスとイスラエル軍の間の戦闘に巻き込まれた悲劇というニュアンスしか伝わってこない。まず両者の間の圧倒的な軍事力の非対称性。当時でも1万人強、現在は4万人強のパレスチナ人民衆の犠牲者は、その非対称性の中で起きているイスラエル軍の一方的な無差別攻撃によるものという現実が歪められている。
史上最も記録されながら進むジェノサイド
確かに、現在も進行する「ガザ・ジェノサイド」の開始点となった2023年10月7日のハマスによる攻撃では、イスラエル側の約1200名が犠牲となった。その内、約800名はイスラエル一般市民である。しかし、残りの内300名はイスラエル軍兵士・治安部隊要員の殉職であったことを忘れるべきでない。つまり、両軍の交戦の中で起きた犠牲であり、それは国際法の「比例原則」の中で国際法上の違法性が問われるべき問題である。
「比例原則」とは、国連憲章第五一条上の自衛権の行使のための要件が満たされ、反撃が正当化されたときに、その反撃の「烈度」を戒めるものだ。反撃に伴う市民への第二次被害は“許容範囲”でなければならない。それを超えた殺戮は、戦争犯罪となる。国際慣習法としての国際人道法が、戦う双方の自衛権の行使における「倍返し」を諫める「戦争のルール」の最も根本的なものがこれだ。
「10月7日事件」は、イスラエル市民を巻き込んだ痛ましいものであり、当然ハマス側の戦争犯罪が問われるべきである。しかし、それはイスラエルの陸海空の封鎖によりガザが「天井のない監獄」になった2007年以降連綿と続いてきた数ある戦闘の一つに過ぎず、その全てにおいてイスラエル軍が圧倒的にパレスチナ一般市民(推定3000人強)を殺戮してきたこと。同事件は、上記声明文にあるようなハマスが「突如攻撃を開始した」「テロ行為」ではなく、それ以前から圧倒的劣勢に置かれてきたハマスが決行した奇襲反撃であること。そして、10月7日以降は、イスラエル側の市民に犠牲はなく、現在でも日々累積する膨大な犠牲はパレスチナ市民であり、その7割は女性・子どもであると国連が認識する事実は、もはや「敵は民衆に紛れている」という無差別攻撃の常套句をも逸脱していること。さらに…。
【もはや無辜な民はいない。あそこに棲むのはテロリストもしくはその支援者だ。パレスチナ人を女・こども・老人の区別なく全て排除せよ。それが我々の神の意志だ。】
こう言い募るネタニヤフ政権の閣僚の言葉をそのまま実行し、虐殺の現場のセルフィーを戦利品のごとく自慢げにSNSに投稿するイスラエル兵たち。そして、それに狂喜し兵士を鼓舞する、一部であると信じたいが…イスラエル国民。
「人類史上最も記録されながら進行するジェノサイド」。これが、ガザで起きていることなのだ。
2024年11月、オランダ、ハーグを本拠とする国際刑事裁判所は、ついにネタニヤフ首相と前防衛相に逮捕状を出した。もちろん、イスラエルを常に守護してきたアメリカは、この決定を「根拠がないもの」として不支持を表明している。アメリカは同裁判所に加盟していない。というか、もしアメリカ軍人が戦争犯罪のかどで同裁判所に収監されたら、それを力ずくで奪い返す通称「ハーグ侵略法」まで可決させ、同裁判所の権威を侵害してきた。しかし、日本はアメリカに追従する国としては珍しく、加盟だけでなく同裁判所を維持させる最大の出資国なのである。
国際刑事裁判所に加盟するカナダ、オランダやスペインなど先進国は、既に「ネタニヤフが入国したら逮捕し同裁判に引き渡す」と支持を表明している。
イスラエルが参加表明している大阪万博にネタニヤフ首相が来日したら逮捕するのか?
れいわ新選組の大石あきこ議員は12月9日の衆議院本会議でこう政府に詰め寄った。対する石破首相の答弁は、「仮定の質問に答えるのは差し控えたい」と。石破茂氏は、「人権外交を超党派で考える議員連盟」の創設に当初から最大の理解を示してくれた協力者である。
彷徨う日本の「人権外交」。それを微力ながら決着させる新年でありたい。
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いせざき・けんじ 1957年、東京都生まれ。国際NGO職員として、内戦初期のシエラレオネを皮切りにアフリカ3カ国で10年間、開発援助に従事。2000年から国連職員として、インドネシアからの独立運動が起きていた東ティモールに赴き、国連PKO暫定行政府の県知事を務める。2001年からシエラレオネで国連派遣団の武装解除部長を担い、内戦終結に貢献。2003年からは日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を担当。2006年4月~2023年3月、東京外国語大学大学院総合国際学研究科教授(現・名誉教授)。著書に『武装解除―紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『本当の戦争の話をしよう~世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)、『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(共著、集英社クリエイティブ)、『14歳からの非戦入門』(ビジネス社)など多数。